二つの招待状、そして入れ替わりの儀
「ねえアルノー、ヴァルデリアのエステル王の戴冠式がいよいよ行われるみたいね。そういえばあの二人――エステルとレオナ、私たちを戴冠式に招待するって言ってた気がするんだけど、招待状なんて来てないわよね?」
調薬室の机に突っ伏しながら、セラフィーナは思い出したように呟いた。すると、書類を整理していたアルノーが呆れたようにため息をつく。
「セラフィーナ様、何をおっしゃっているんですか。とっくに届いておりましたよ。神殿から山のように送りつけられてくる呼び出し状の束に、ご自分で紛れ込ませたのではないですか?」
「うそ、見てないわよ」
「ほら、これですよ。……一体どうしたら、こんな最高級の金箔が施された豪華な招待状を見落とせるんですか」
アルノーが差し出してきたのは、もはや手紙というよりは一冊の「本」のような重厚な造りの書状だった。セラフィーナはそれを受け取り、まじまじと見つめる。
「いや、こんな本みたいな招待状、豪華すぎて招待状だなんて気が付かないでしょ普通。……どれどれ? 『我々が宿泊するのは王宮内の家族用の客室』……? ねえアルノー、オフィシャルな賓客用の客室じゃなくて家族用の部屋に通されるって、私たちの扱いは上なの? それとも下なの?」
アルノーが腕を組んで「うーん」と真剣に悩み始めると、セラフィーナは不敵にニヤリと笑った。
「たぶんね、何か人知れずプライベートな相談をしたいことがあるんだと思うよ。だからこそ、公の目につかない身内用のエリアに私たちを呼ぶのよ、きっと」
そんな旅の準備を進めていた矢先、ついに宮殿から「例の件」での極秘の呼び出しがかかった。
セラフィーナが必要な道具を一式携えて王妃の私室へと参上すると、そこにいた王妃は、普段の冷静沈着な姿からは想像もつかないほど、微かな高揚感に包まれていた。
「よく来てくれた、セラフィーナ。かねてより話してあった禁忌の術を、今日、この場で執行してほしい。王子妃のセシルにもすでに話は通し、承諾させている。まもなくセシルがここへやってくるわ」
「王妃様、念のための確認ですが、今回の入れ替えはあくまでヴァルデリアでの外交のため、と伺っております。戴冠式の期間だけ入れ替わればよろしいのですね?」
セラフィーナが釘を刺すように尋ねると、王妃は当然だと言わんばかりに頷いた。
「もちろんだ。外交の場を乗り切れば用は済む。私がいつまでも、あのような若いだけの王子妃に成り代わっていたところで何の利点もないからな。まあ、最愛の王子のそばに妻としていられるというメリットはあるかもしれないが」
「……王妃様。それは冗談でも、少々危ういお言葉ですわ」
セラフィーナは笑顔のまま、ほんの少しだけ目を細めた。
その時、部屋の重厚な扉が静かに開き、王子妃セシルが姿を現した。
おっとりとした佇まいで、いかにも世間知らずな深窓の令嬢といったおとなしそうな風情の少女だ。
セラフィーナはセシルの前に進み出ると、その瞳をまっすぐに見つめて問いかけた。
「セシル様、人格交換魔法には少なからず精神的な危険が伴いますが……本当に、よろしいのですか?」
「あまり長い期間入れ替わったままだと元へ戻った時に完全に戻りきらない場合や記憶がまじりあう場合があります。お気を付けください」
セシルは一瞬、きゅっと唇を噛み、背後に立つ王妃の顔をチラリと盗み見た。そして、消え入りそうな声で一言だけ、ぽつりと言った。
「……仕方が、ありませんわ」
(あーあ、やっぱり本意じゃないのね。完全に王妃様に押し切られた形か。可哀想に、政治の世界は非情だわ)
「セシル様。これは王妃様の命令ではなく、あなた自身の意思でなければ施術できません。嫌なら嫌と言ってください。私はその場合、絶対に術をかけません」
「はい、怖いです。でも……エドガー様を……、国を守るために、私にもできることがあるなら引き受けます。ただし、必ず元に戻してくださいませ」
セラフィーナは内心でセシルに同情しつつも、これは国家の最高機密であり、自分が引き受けた仕事だ。割り切って準備を進める。
「お二人とも、そのソファーに深くお掛けください。術の発動時、短時間ですが意識が遠のくかと思います」
王妃とセシルが並んでソファーに腰掛けるのを確認し、セラフィーナは空間に複雑な魔法陣を描きながら、あえて緊張をほぐすように解説を始めた。
「人格とは、ある意味で『記憶そのもの』なんですよ。そこでこの術では、お二人の脳の構造――専門用語で言う『エングラム』ってやつを丸ごと移し替えることで、記憶の完全な転写を行っています。まあ、実際にはそんな難しいことは全く意識しなくて大丈夫です。リラックスしている間にすべてが終わります」
セラフィーナの指先が、眩い純白の光を放ち始める。
「――それでは、行きますよ。『人格転写』」
刹那、部屋の中に激しい魔力の風が吹き荒れた。
ソファーに腰掛けた王妃とセシルは、光の鎖に縛られたかのように、同時に一瞬だけ、その身体をビクンとこわばらせたのだった。




