犠牲の上の聖女、理想の上のエゴ
その頃、神殿ではちょっとした騒ぎが起きていた。
いつもなら神殿の言いなりになって公務をこなす筆頭聖女リュミエラが、珍しく、それもかなり強硬な態度で「休み」を要求したからだ。
日頃から真面目にお勤めをこなしている彼女の頼みとあって、神殿幹部たちは戸惑いつつも、あっさりと休暇を許可した。
しかし、自由の身となったリュミエラ(中身:セラフィーナ)が向かったのは、休養のためのリゾート地などではなく、貧民街の近くにある「セラフィーナの施療院」へ一直線だった。
バタン! と勢いよく施療院のドアが開く。
美しい聖女の突然の来訪に、受付にいたアルノーは目を丸くし、すぐさま怪訝そうな顔つきになった。
「リュミエラ、じゃなかった……セラフィーナに話があるんだけど」
リュミエラの姿をした少女が、苛立ちを隠せない様子でそう告げる。
そのぞんざいな口調と態度に、アルノーの警戒心は跳ね上がった。
「……神殿の筆頭聖女様が、うちのセラフィーナ様に何の御用ですか? どちら様ですか、と言いたくなるような乱暴なお口ぶりですが」
アルノーが冷ややかに応対していると、奥の調薬室から、上品な足取りでセラフィーナの身体を持った少女――中身のリュミエラが姿を現した。
「あら、リュミエラ様。このようなむさくるしいところに来られるなんて、いかがなさいましたか?」
完璧な淑女の礼作法。セラフィーナの泥臭い施療院にはまったく似合わない、本物の聖女のオーラがそこにはあった。
「ちょっと、二人きりにして」
リュミエラ(中身セラフィーナ)の鋭い一言で、アルノーは不承不承ながらも席を外した。
部屋に二人きりになった瞬間、リュミエラ(中身セラフィーナ)は、美しい顔を怒りで歪めて詰め寄った。
「あんたの仕事を押し付けられて、私はとんでもない目に遭っているのよ! ブラック職場にも程があるわ! それに……」
彼女は自身の胸元に手を当て、悔しそうに歯噛みした。
「この身体、魔力が少なすぎるのよ! この少なさじゃ、人格の入れ替え魔法を起動することすらできないじゃない!」
つまり、自力では元の身体に戻れない。それがセラフィーナの怒りと焦りの原因だった。
しかし、セラフィーナの身体に入ったリュミエラは、至って冷静に、どこか他人事のように小首を傾げた。
「それはお困りですね。それで……私に何をせよ、とおっしゃるのでしょうか?」
「決まっているでしょ! 私の身体を返しなさいよ! あなたは本来のあなたの身体に戻って、あの激務な聖女の仕事をするべきよ!」
元の身体に戻って、あの地獄のスケジュールを引き取れ。セラフィーナの叫びは切実だった。
だが、リュミエラは静かに自分の(セラフィーナの)手を見つめ、優しく微笑んだ。
「……いいえ。聖女のお仕事をするのには、むしろ今の、このお身体のほうが適しているのです」
「はぁ!?」
「ご覧なさい、このあふれるような潤沢な魔力を。私は今、この魔力を使って、貧民街の困っている人々に次々と救いの手を差し伸べておりますの。これこそが真の聖女の務めなのだと、今、改めて感慨にふけっておりますわ」
その瞳は、本物の慈愛と使命感に満ち満ちていた。環境が変わったことで、彼女の聖女としての理想が完全に開花してしまったのだ。
その様子を見て、リュミエラ(中身セラフィーナ)は冷ややかな、皮肉を込めた笑みを浮かべた。
「ふん……。まさに、聖女の理想の姿を体現した、というわけね」
「ええ。私がセラフィーナ様の身体を使わせていただいたほうが、より多くの方を救うことができると思うのですが……ダメでしょうか?」
リュミエラは本気で言っていた。悪気など微塵もない、純粋な善意からの提案。
だからこそ、セラフィーナにとっては最高にタチが悪かった。
「そうね、素晴らしいわね」
リュミエラ(中身セラフィーナ)は一歩、歩み寄り、自分の元の身体の目をまっすぐに見据えた。
「――だけどね。あなたが言うその『理想の聖女』は、今、私という犠牲があって成立しているのよ?」
「え……?」
「誰かを犠牲にして成り立っている存在を、果たして『聖女』なんて呼べるのかしら? 特に、民に崇められるべき理想の聖女様が、他人の人生を犠牲にして出来上がっているなんて、笑えない冗談だわ」
セラフィーナの容赦のない正論が、リュミエラの胸を深く突き刺す。
自分の身体を奪われ、ブラックな激務に叩き込まれた少女からの静かな怒り。
部屋の空気が、一瞬にして凍りついた。




