「行くんだろ、どうせ」
馬車が動き出してすぐのこと。
「そこ、私の席」
「は?」
アルが当然のように、窓側の座席に自分の荷物を置いた。
先に座っていたエルリックが、眉を寄せる。
「俺が先に座っていた」
「窓側じゃないと外の植物が見えないじゃん」
「見なくていい」
「見たいの」
荷物を脇に退けようとしたが、がっしりと抱え込まれてしまう。
退く気は毛頭、ないらしい。
「……話が通じないな」
「通じてるよ。窓側がいいって言ってるの」
「理由になってない」
「理由あるじゃん、植物!」
二人がにらみ合っていると、奥の座席から気怠げな声が飛んできた。
「うるさいぞ」
ルカンは目を瞑ったまま、腕を組んでいる。
「俺はここ。一歩も動かないから」
そう言って、足も組んだ。
「誰も動けとは言ってない」
エルリックが短く言い返すが、ルカンはうっすらと片目を開けただけだった。
「じゃあ、そっち二人で解決しろよ」
「解決できないからこうなってる」
「俺には関係ない」
盛大な欠伸を一つ。
そして、そのまま黙り込んだ。
エルリックはしばらく荷物を抱え込んで動かないアルと、窓の外を交互に眺めていたが、やがて深い溜息をつく。
「……通路側でいい」
「ありがとう!」
「礼を言うな。不本意だ」
渋々と通路側に腰を下ろすと、アルが満足げに窓側へ収まった。
ルカンは奥で目を瞑ったまま。
狭い馬車の中に、ようやく三人分の定位置が決まった。
しばらくの間、車内に静かな時間が流れる。
馬車の中に漂う、三人分の気配。
二人の時とは、空気の流れ方が少し違う。
アルが窓の外を眺めていると、隣で羊皮紙を取り出し、何かを書き始める気配がした。
好奇心から、その手元を覗き込む。
「何を書いてるの?」
「記録だ」
「几帳面だね。ルカンなんて、絶対しないのに」
「しないな。面倒だ」
奥の座席から声がした。
腕を頭の後ろに回した格好で、目だけをこちらに向けていた。
「あ、起きてたの?」
「お前たちがうるさいからだよ」
エルリックは羊皮紙から目を上げず、独り言のように呟いた。
「……いつも、こうなのか」
「こう、って?」
「騒がしい」
「騒がしくないよ。普通だよ」
「今も十分に騒がしい」
アルは少しだけ考え込むような仕草を見せる。
「エルリックって、一人旅が長かったんだね」
「そうだ」
「静かな方が好き?」
「……慣れている」
それだけ言うと、羊皮紙に視線を落とした。
銀ぶちの眼鏡が陽の光を反射して、キラリと光る。
車内は再び静かになった。
ルカンはまた目を閉じていて、何も言わなかったけれど、その口の端がほんの少しだけ上がっていた。
◇
馬車の外に広がる草原の景色が、少しずつ変わり始めていた。
瑞々しかった緑が次第に薄れ、土の明るい色が目立ち、吹き込む空気も、以前よりずっと乾燥している。
アルが窓から顔を出し「なんか景色が変わってきた!」と声を弾ませる。
ルカンが「落ちるぞ」と短く注意すると、大人しく首を引っ込めた。
砂塵の向こうに町が見えてきたのは、それからすぐだった。
カレッタともセルノとも違う、乾いた町だ。
建物はすべて砂色の石で造られ、空気はどこか白く砂っぽい。
風が吹くたびに細かい砂が舞い、町の反対側には、どこまでも続く砂漠が見えた。
「砂漠だ!」
アルが再び窓から身を乗り出す。
「見てよ、砂漠だよ!」
「知ってる。今まさに見えてる」
「初めて見た…すごい」
「砂まみれになるぞ」
「でも見たい」
「窓を閉めろ」
制止を無視して、身を乗り出したまま黄金色の地平を眺め続けた。
砂漠の手前には、町の外壁が続いている。
町と呼べるか微妙なくらい、小さな町だ。
「町、小さいね」
「砂漠の入り口だからな」とルカンが言った。
「旅人が一晩、砂を落として休む程度の場所だな」
「補給地点みたいな?」
「そんなとこだ」
馬車が砂色の門をくぐり、町の中心へと入っていく。
町の中も外と同じく乾いており、露店には干した果物や頑丈そうな革製品が並んでいた。
住人の姿はまばらで、旅人らしき人間の方が目立つ。
「なんだか、いい匂いがする」
「砂の匂いだ」
エルリックが地図を広げながら答えた。
「砂って匂いがするの?」
「する」
「へえ……知らなかった」
未知の土地の空気を味わうように、大きく息を吸い込む。
砂の匂いと共に、砂そのものが口の中に入り込み、アルはむせた。
「……平気か」
「……大丈夫」
ルカンはそんなアルを一瞥して、馬車を宿の近くに止めた。
三人はようやく乾いた大地に降り立つと、宿へ向けて歩き出した。
◇
砂漠の町は変わった物が多い。
乾燥したフルーツなのか野菜なのかわからない、色とりどりの何か。
真っ黒な布は、日除けのためのものだろうか。
全身を覆うことが出来るくらい、大きめのものだった。
アルが興味津々に露店を覗き込み、エルリックがその隣を歩く。
ルカンはいつものように、少し後ろから気だるげについてきた。
町の外れ、外壁のすぐ近くに差し掛かったとき、アルが唐突に足を止めた。
乾いた土から直接生え出した、見たこともない植物。
葉が厚くて、表面には細かい棘が並んでいる。
「何あれ!」
「待て」
駆け出そうとする腕を、エルリックが即座に掴む。
「なに?」
「棘に毒があるかもしれない。砂漠地帯の植物は安易に触るな」
「毒?」
アルの目がぱっと輝く。
「どんな毒?」
「輝くな」
「気になるじゃん」
「だめだ」
押し問答をしていると、背後から不意に声がかかった。
振り返ると、白髪の小柄な老人が立っていて、腰には使い込まれた薬師の道具をぶら下げている。
「その植物に興味があるのかい?」
「はい!初めて見る種類だったので」
「砂漠にしか生えない草だよ。貴重な薬になるんだが、採取が難しくてね」
老人はアルの顔をじっと見つめる。
何かを考えるように少しの間顎に手を当てていたが、一つ頷き、笑顔で切り出した。
「もしよければ、頼まれてくれないかい。この先の砂漠に、これと同じ薬草が群生している場所があるんだ」
「行く!」
即答だった。
というより、聞き終わる前に返事をしていた。
「話を最後まで聞け」
「でも行きたい。砂漠の植物、もっと見たい」
「危険だ」
「行きたい」
「………」
エルリックは老人へと視線を向けるが、特に動じた様子もなく笑っている。
「砂漠の入り口付近だよ。そう危なくはないさ」
ルカンはといえば、大きな欠伸を一つ。
それから、投げやりに言った。
「行くんだろ、どうせ」
「……勝手に動くな」
「わかった!」
「絶対わかってないやつだろ、これ」
◇
教えられた場所を目指し、三人は町を後にした。
外壁を抜けると、砂漠の空気が一気に押し寄せる。
乾いてて、熱い。
地面が砂と岩の混じった色になり、草が少なくなっていく。
「暑いね……」
「砂漠だからな」
「もっとカラッとして、涼しいかと思ってた」
「そんなわけないだろう」
「……だよね」
エルリックは深く、長い溜息をつく。
ルカンは特に文句も言わず、どこか涼しげな顔で歩いている。
汗一つかいてないように見えた。
「ルカンは暑くないの?」
「暑い」
「そうは見えないけど」
「見えなくても暑いもんは暑い」
しばらく歩くと、巨大な岩場が見えてきた。
その影に、低い植物が群生している。
葉は肉厚で、青みがかった深い緑色。
「これだ!」
「待て。確認する」
エルリックが割り込み、しゃがみ込んだ。
棘の生え方を入念に確かめ、慎重に葉の裏と表を観察する。
「毒棘は葉の裏だけだ。表から触れる分には問題ない」
「わかった!」
言い終わるより早く、すでに葉の表を撫でていた。
エルリックが「早い」と苦言を呈したが、アルは「大丈夫」と事もなげに笑う。
「棘に触れたらどうするつもりだったんだ」
「触っても平気だけどね」
「そいつ、毒耐性持ちだからな」
ルカンが岩に背を預けたまま、退屈そうに口を挟んだ。
「毒耐性?」
「触れても勝手に中和する。極論、食べても平気」
「絶対に食べるな」
釘を刺されたが、アルは「食べないよ、さすがに」と軽く流した。
エルリックはしばらくの間、その横顔を無言で見つめていたが、やがて静かに視線を外し、それ以上深く追求しなかった。
アルは手早く採取を始めた。
葉の角度を一つひとつ確かめ、丁寧に摘み取っていく。
その手つきは、先ほどまでの危なっかしさが嘘のように、きびきびとしていた。
「慣れているな」
「一応、薬草師だからね」
「そうか」
「これ、おばあちゃんの図鑑に似た記述があったんだ」
「図鑑?」
「おばあちゃんが作りかけてた図鑑。それを完成させるのが旅の目的なの」
「……そうか」
採取を終え、植物を大事に布で包むと、すぐに図鑑を取り出してスケッチを始める。
葉の輪郭、棘の配置、群生の密度。
ペンを走らせる手は一度も止まらない。
乾いた風が吹き、細かな砂が舞う。
砂が頬に当たっても、アルは顔を上げなかった。
◇
町に戻ると、老人は先ほどと同じ外壁の際で、三人の帰りを待っていた。
布に包んだ薬草を差し出すと、丁寧にそれを受け取り中身を確認する。
「きれいに採れている。ありがとう、助かったよ」
「楽しかったです」
「怪我はなかったかい?」
「大丈夫、なかったです」
満足そうに頷くと、三人を順番に見やり、微笑んだ。
「旅の方々。もしこのまま南に向かうなら、くれぐれも気をつけなさい」
「古代遺跡のことですか」
エルリックの問いに、老人の表情がわずかに動く。
「あの界隈の植物は、普通じゃない育ち方をする。魔法の影響か、あるいは古代文明の名残か……なぜそうなるのかは、わからないがね」
アルが図鑑をぎゅっと抱え直した。
「普通じゃない育ち方、って?」
「毒が薬になったり、薬が毒になったり。性質が逆転することがあるのさ。薬草師なら、興味があるだろう?」
「……はい。あります」
「なら、なおさら気をつけて行きなさい」
それだけ言い残すと、ゆっくりとした足取りで去っていった。
アルはその背中を見送ってから、図鑑を開いてページをめくる。
遺跡周辺の植物。魔法の影響。性質の逆転。
「………」
「ほら、行くぞ」
図鑑に目を落としたままでいると、ルカンが声をかけてきた。
「うん」
促されるように、アルは二人の後を追い、歩き出した。




