「決まったじゃん」
朝、町を出た。
市場の喧騒が遠ざかり、再び草原を貫く一本道。
空はどこまでも高く、風は心地よく乾いている。
馬車が静かに速度を上げると、アルは窓から顔を出し、遠ざかっていくカレッタの町を眺めた。
「いい町だったな……ねえ、次の町まではどのくらい?」
「半日くらい」
「じゃあ、着くのは夕方だ」
アルは少し考えてからルカンに尋ねる。
「夕ご飯、何か美味しいものが食べたいな。ルカンは何が好きなの?」
「別に。食えるなら何でもいい」
「なんでも?」
「便利な言葉だろ、それ」
「いざ決めたら、それじゃない、ってなるやつじゃん」
ルカンはそれには答えず、窓の外を流れる草原に目をやり、それから独り言のように呟いた。
「……肉」
「え?」
アルは思わず吹き出した。
「ちゃんと言えるじゃん」
「聞かれたから答えたんだろ」
草原がしばらく続いたあと、街道の両側に建物が姿を現し始めた。
カレッタのような喧騒はなく、かといってセルノほど静かすぎることもない、程よい規模の町だった。
整然と並ぶ建物の間には街路樹が植えられ、通りには旅人らしき姿がちらほらと見受けられる。
「なんかいい感じの町だね。宿、先に取る?」
「ああ。まずは荷物を預ける」
「夕ご飯は?」
「宿決めてから」
「肉料理が美味しいところがいいね」
「……うるさい」
宿に荷物を預け、夕飯には少し早い時間だったので、二人は町を散策することにした。
街路樹が並ぶ道は日陰が多く、涼しくて歩きやすい。
アルは道端に落ちていた木の葉を一枚拾い上げ、表や裏をじっくりと観察しながら歩を進めた。
「この葉っぱ、薬になったりするかな」
「さあな」
「少し苦そうな匂いがする」
「口に入れるなよ」
「落ち葉は食べないよ……」
「食べるだろ、お前は」
「食べないってば」
小競り合いをしながら通りの角を曲がったとき、アルが唐突に足を止める。
広場の端に、見覚えのある外套があった。
落ち着いた色で、旅慣れた印象の。
その人物は一人、建物の壁に貼り出された告知のようなものを読んでいた。
「あっ」
「なんだよ」
「あれ、エルリックじゃない?」
「……本当だな」
「ちょっと声かけてくる!」
「おい、待て」
制止の声が届くよりも早く、駆け出していた。
「エルリック!」
名を呼ばれたエルリックが、静かに振り返った。
まずアルを、次に少し遅れてやってきたルカンを視界に収め、一瞬だけ動きを止める。
「……お前たちか」
「また会ったね!」
アルは声を弾ませながら駆け寄った。
「セルノからそのまま来たの?」
「カレッタを経由してきた」
「一緒だ!」
声が一段、跳ね上がる。
「エルリックも南に行くんでしょ?」
「ああ」
「じゃあ、一緒に行こうよ!」
「……は?」
「馬車があるから三人でも余裕だよ。ね、ルカン」
話をふられた本人は、視線を向けずに「好きにすれば」と一言。
「待て」
エルリックが遮った。
「話が早すぎる」
「そうかな?」
「そうだ。俺は一人で——」
「どうせ目的地は南だろ」
事実だけがその場に響き、エルリックは沈黙した。
「……そうだ」
「じゃあ決まりね」と、アルが満足げに笑う。
「決まっていない」
「決まったじゃん、今」
「………」
視線はもう一度2人に向かうが、片方は目を輝かせ、片方は気だる気に通りを見ていた。
「……世話にはならないからな」
「なってくれていいのに」
「ならないと言っている」
「なっていいってば」
「……宿はどこだ」
エルリックが踵を返し、歩き出した。
アルがそのすぐ隣に並び、ルカンが少し遅れてついていく。
石畳に、三人の足音が重なって響き始めた。
特に会話があるわけではなかったが、不思議と気まずさはない。
アルの耳に、市場の喧騒が遠く届いていた。
人々が行き交う、賑やかな気配。
だが、通りの角を曲がった時、鋭い悲鳴が上がった。
見れば何かに驚いたのか、一頭の馬が激しくいななき、御者の制止を振り切って暴走し始めていた。
荷馬車は猛スピードで通りを駆け抜け、御者は必死に手綱を引くが、パニックに陥った馬は止まる気配がない。
通りにいた人々が慌てて左右に逃げていき、制御を失った馬車は、勢いのままに道端の露店に向かって突っ込んでいく。
「あ、危ない!」
アルが声を上げた。
隣でルカンが溜息をつく。
歩みを止めることなく、さらっと片手を上げ──
ただ、それだけだった。
次の瞬間暴走していた荷馬車が、ぴたりと静止した。
車輪を浮かせたまま、空中で微動だにしない。
ルカンがもう一度指先をわずかに動かすと、荷馬車はゆっくりと静かに、道の端に降り立った。
静まり返る通り。
アルはすでに状況を確認するため、駆け出していた。
「……今の」
エルリックが静かに聞く。
「空間固定か」
「まあ、そんなとこ」
視線が、ルカンの右手首にある細い金属製の腕輪に止まる。
しかし、何も言わない。
ただ今見た光景を、思考の奥深くに静かにしまい込んだ。
◇
アルが駆け足で戻ってくると、三人は再び歩き出す。
静かな沈黙を最初に破ったのは、やはり彼女だった。
「ねえ、エルリックって、今までどんな依頼をこなしてきたの?」
「色々だ」
「たとえば?」
「魔法道具の回収、封印処理、調査依頼。その辺りが多い」
「セルノの町でやってたみたいなやつ?」
「ああ」
アルは少しだけ考え込むような仕草を見せる。
「それって楽しい?」
「……仕事だ」
「そっか。じゃあさ——」
やがて露店が軒を連ねる一角に差し掛かった時、アルの声と足が止まる。
「あ、珍しい薬草がある!」
「おい、行くなよ」
即座にルカンが言うが、もう遅い。
「少し見るだけだから」
「そう言ってまた迷子になるだろ」
「ならないってば!」
「なるんだよ、お前は」
アルはすでに露店へと向かっていた。
それを見送ったエルリックが、ぼそりと言う。
「……いつも、ああなのか」
「だいたいああだな」
「止めないのか」
「止めても行く」
「……そうか」
視線の先では、アルが露店の主人と何か熱心に話している。
身振り手振りを交えながら楽しそうに話す彼女につられたのか、気難しそうだった主人の顔にも、いつの間にか笑みが浮かんでいた。
「あの体質、なんなんだ」
エルリックが、低い声で切り出した。
「魔法道具が触れただけで止まるのは——」
「さあな」
ルカンは遮るように言葉を返す。
隣からの鋭い視線をまともに受けることなく、アルが薬草を手に取るのを、少し離れた場所から眺めていた。
それ以上、会話が重ねられることはなかった。
◇
宿に戻ったのは、日が完全に沈みかけた頃だった。
食堂には焼きたての肉料理が並んでいて、アルがそれを見て「ルカンの好きなやつだね」と笑い、「うるさい」とだけ返される。
エルリックは相変わらず口数が少なかったが、温かい食事を前にして、その表情がほんの少しだけ和らいだようだった。
食事を終えると、それぞれ明日の準備のために部屋へと分かれる。
一人になった部屋で、エルリックは窓の外を眺めていた。
視線はここよりさらに南へ向いている。
そこには、広大な砂漠が控えているはずだ。
一人で向かう予定だった。
しかし、いつの間にか一人ではなくなっていた。
視線を室内に戻すと、テーブルの上に広げたままの地図へ目を落とす。
南方の、古代遺跡。
その名を声に出さずに反芻する。
それから、ふと動きをとめた。
ルカンの空間固定。感知系の精度。
アルの、魔法道具の件。
小さく息をつき、地図を折り畳んだ。
丁寧に、元の折り目通りに。
そしてそのまま、荷物の整理へと戻った。
◇
翌朝、馬車の前に三人が集まる。
アルが荷物を抱え、意気揚々と扉を開けた。
「さあ、乗って乗って!」
「……三人で乗るには、狭くないか」
馬車の外観を見つめ、エルリックが口を開く。
「大丈夫、中は広いよ」
「外から見るよりは、な」
ルカンも同意するように付け加えた。
「どういう意味だ?」
「乗ればわかるさ」
馬車に一歩足を踏み入れると、その動きがぴたりと止まる。
「……なるほど。空間拡張か」
「すごいでしょ」
アルが自慢げに笑う。
「薬草の棚も調合台もあるし、奥にはベッドもあるんだよ」
「……ベッドは一つか?」
「二つだよ」
「三人でどう分けるんだ」
「ルカンはいつも座席で寝てるから大丈夫」
見ると、すでに欠伸をしながら、座席の背もたれを倒している。
「慣れてるから」
「……そうか」
エルリックが荷物を棚に置いて、空いている席に腰を下ろす。
それを確認したアルが「よし、出発!」と声を張って扉を閉めると、馬車がゆっくりと動き出した。
薬草師と、2人の魔法使い。
一人旅から三人旅へ。
向かうは南。
古代遺跡は、まだ先だ。




