「なんで俺が」
ベルネリに近づくにつれ、景色の色が変わっていった。
道の両脇には木々が密度を増し、尖っていた葉の形は、この土地特有の丸みを帯びたものへと姿を変えていく。
「あ、あの木だ」
アルが窓から身を乗り出した。
道の右手に、太い幹を持つ広葉樹が数本並んでいる。
「子供のとき、あの木で虫採ってたんだ。夏になるとでっかいのが来るんだよ」
「そうか」
ルカンが短く返したが、アルはもう次の景色へ視線を移していた。
「あ、川だ。橋、架け替えたのかな。なんか新しい」
エルリックは外を一瞥しただけで、すぐに手元の手帳へと視線を戻した。
ベルネリ周辺の地図と、記録所から書き写した断片的なメモ。
森に入れば、答えが出るはずだ。
ルカンもまた、窓の外を見ていた。
アルが指差した川の先、街の外れに広がる木立の方向へ、一瞬だけ視線を向ける。
それきり何事もなかったかのように前を向いた。
アルの実家は、街の中心から少し外れた静かな場所にあった。
木の板壁がやわらかい色合いを帯び、温かみのある木の扉と白い枠の窓が並ぶ。
こじんまりとした二階建ての家だ。
庭には多種多様な薬草が、きっちりと植えられている。
「ちょっと待ってて」
アルは駆け足で扉へ向かうと、軽くノックして「ただいまー」と言いながら中へ入る。
残された二人は、外で足を止める。
ルカンは庭に目を向けた。
整然と並ぶ薬草の列、石で丁寧に縁取られた花壇、隅に立てかけられた古い木の支柱。
「手入れが行き届いてる」
独り言のように、低く呟いた。
「そうだな」
二人はしばらく黙って外に立っていた。
ふと、ルカンの視線が二階の窓辺で止まった。
窓の内側、鉢植えが置かれている。
白い花をつけた、小さな植物だ。
窓から差し込む光の中で、花がわずかに発光している。
淡く、ほんのりと。
見間違いかと思うくらいの光だった。
「エルリック」
「見てる」
エルリックはすでにそちらを向いていた。
視線が植物から動かない。
しばらくして、アルが戻ってきた。
手には風呂敷包みを持っている。
「待たせてごめん。お母さんがいろいろ持たせようとして」
「植物」
エルリックの唐突な声に、アルが目を瞬かせる。
「窓辺の植物。あれは?」
「ああ、あれ?」
アルが二階を振り仰ぐ。
「ほら、昔ベルネリの森で拾ってきたやつ。可愛いでしょ」
「そうか」
エルリックは相槌を打つに留めた。
それ以上は何も語らない。
アルは特に気にする様子もなく、風呂敷包みを抱え直して歩き出す。
「さ、宿どうする?街の中心に一軒いいとこあるけど」
「案内しろ」
ルカンが促し、アルが「まかせて」と前を歩き始める。
エルリックは歩き出す直前、もう一度だけ二階の窓を見上げた。
光は昼間の明るさに溶けて、もう見えない。
◇
宿へ向かう道の途中、アルが急に足を止めた。
「あ」
「なんだ」
「薬屋。入っていい?」
「用があるなら」
「あるある。すぐ終わる」
アルが駆け込んでいく。
二人は一度顔を見合わせ、後に続いた。
店の中は独特の匂いが漂っている。
凝縮された薬草の、濃い匂い。
棚には瓶が並び、天井からは乾燥させた草の束がいくつも吊り下げられている。
奥のカウンターで帳簿を開いていた年配の女店主が顔を上げた。
「……アル!」
「おばさん!」
店主がカウンターを回り込んで出てくると、アルの両頬を挟みこんだ。
「ずいぶん久しぶりじゃないか。顔つきが変わったね」
「そう?」
「変わった変わった。お母さんは?」
「さっき寄ってきたよ」
「そうかい、そりゃよかった」
店主の視線が、アルの背後に立つ二人へと向けられた。
「その人たちは?」
「旅仲間だよ」
「旅仲間!」目を輝かせながら、食い入るように聞いてくる。
「どちらから?」
ルカンが答えるより早く、店主は二人の前に立った。
「細いね、ちゃんと食べてる?アル、この人たちに食べさせてあげてるの」
「食べさせてもらってるのは私の方で……」
「そうなの?」
店主がルカンを見上げた。
「あんた、料理できるの?」
「できない」
「じゃあ誰が作ってるの」
「俺が」
エルリックが応じると「あらまあ、偉いじゃないの」と言いながらまじまじと見つめてきた。
「……そうでもない」
「偉いよ。アル、いい人連れてきたね」
「でしょ」アルは胸を張った。
ルカンがため息をつく。
「あんたは、愛想のない顔してるけど優しそうね」
ルカンは答えず、わずかに視線を逸らした。
「図星?」
「……違う」
「図星だね」アルが言った。
「お前は黙ってろ」
店主は楽しそうに笑い、棚の奥へ向かいながら「何が要るの」とアルに声をかける。
アルが「珍しいのある?」と身を乗り出すと、景気の良い声が返ってきた。
「あるよ。ベルネリ産のキノコ、今年よく採れてね。乾燥させたものが余ってるんだよ」
「防腐に使えるやつ?」
「そうそう。下処理が面倒なやつ」
「分けてもらえる?」
店主がいくつか包みを取り出し、アルがそれを吟味する。
その間二人は、棚の前に並んで立っていた。
「旅の間、アルのこと頼むね」
店主がふと、ルカンに声をかけた。
「なんで俺が」
「あんた達、旅仲間なんでしょう」
ルカンが小さく息をついた。
「……聞いておく」
「ありがとう」
店主は微笑んだ。
「あんたもね」
「はあ」エルリックが短く返した。
支払いを済ませ、両手に紙袋を抱えたアルと共に三人は店を出る。
「いい人でしょ」
「そうだな」
エルリックは何も言わなかったが、否定もしない。
アルは紙袋を覗き込みながら、弾んだ声で言う。
「これ、ベルネリ産の乾燥キノコ。このへんでしか採れないやつで、防腐剤として使えるんだよ。けど、処理が難しくて」
「聞いてない」とルカンが一言。
「えっ聞いてなかったの?」
「聞いてた」
エルリックが言った。
「処理が難しいまでは」
「ほんと?」アルが明るい顔になる。
「じゃあ続き話す?」
「いい」
「聞いてよ」
小走りで回り込んできて、二人の顔を交互に見た。
「じゃあ宿ついたら話すね」
「それも聞かない」ルカンが言った。
表情を変えずに歩き出したルカンのあとに、エルリックが続く。
アルは後ろを歩きながら、紙袋をがさがさと鳴らし続けた。
宿に着く頃には、日が傾いていた。
今回は個室が二つ空いていて、一つはアルが、もう一つはルカンとエルリックが使うことになった。
「今日は別々だね」
「そうだな」
「二人が一緒なんだ」
「それが何か」
「いや、なんか意外で」
アルが少し考える顔をする。
「仲いいんだね」
ルカンが一瞬だけエルリックを見る。
エルリックは鍵を受け取りながら「仲良くはない」と言い、それにルカンは頷き「お前に延々草の話を聞かされるよりはマシ」と涼しい顔をした。
夕食の席で、アルはキノコの話をした。
ルカンは聞いていないようで聞いていて、時々相槌を打つ。
エルリックは一切の返事をせず、黙々と食事を口へ運んだ。
そんな二人の様子を気にすることもなく、キノコの話は延々と続いていった。
窓の外にはベルネリの夕暮れが広がっている。
街並みは橙色に染まり、遠くに木立の影が見えた。
ベルネリの森。
ルカンが、そちらを一瞥した。
話題はキノコから、近所に生えていた変わった草の話へと移っている。
ルカンの視線が森へ向いていたことに、アルは気づかなかった。




