「問題ない」
集落を出ると、すぐに足元が変わった。
草の丈は人の腰に届くほどに伸び、葉の色が濃くなる。
アルは先頭に立ち、道端の植物たちへと視線を走らせていた。
「もう少し速く歩けるか」
背後から届いたエルリックの声に、アルは振り返りもせず答える。
「歩いてるよ」
「止まりかけながら歩くのは、歩くとは言わない」
「この辺、湿地特有の種が混じってる。ちゃんと確認しないと」
「記録は後でいい」
「後だと忘れるもん」
ルカンは二人の数歩後ろを歩いていた。
道の両側に水が溜まり始めている。
水面には薄い膜が張り、光を受けて虹色に揺れていた。
魔力を帯びた水域特有の現象だ。
「この水、飲まない方がいいな」
「飲まないよ」アルが言う。
「でも、この膜、綺麗だね」
「綺麗かどうかと安全かどうかは別だ」
「わかってる」
アルは水面を覗き込んだ。
「ただ、綺麗だなって思っただけ」
水辺の草が、風もないのに揺れた。
エルリックが足を止め、周囲の気配を探る。
魔力の密度が高く、空気に圧迫感がある。
アルは植物を観察しながら歩いていた。
見慣れた湿地種の間に、図鑑に載っていない小さな草が混じっている。
葉の形を書き写そうとしゃがんだとき、エルリックが足を止めた気配がした。
視線の先には魔力を帯びた植物の群れ。
エルリックは植物に近づき、葉に手を伸ばす。
指先が表面に触れた瞬間、パチリとした反発が走る。
微小ではあるが、はっきりした感覚だった。
すぐに手を引く。
魔力を帯びた植物に触れた際に感じる、痺れに似た何かだ。
「どうした」
「反応がある」
エルリックは自分の指先を見たまま答える。
「魔力的な反発だ。この植物、ただの湿地種じゃない」
「触らない方がいい?」アルが聞いた。
「わからない。もう少し調べてみる」
エルリックは再び、今度はより慎重に葉の縁だけに触れてみた。
やはり、同様の反発が返ってくる。
長く触れ続ければ、頭痛が出る。
そういう類の植物だった。
隣で見ていたアルが、不意に手を伸ばした。
「ちょっと待て」
エルリックが言ったが、間に合わなかった。
アルはもう葉を数枚まとめて掴んでいる。
しかし——
何も起きない。
平然とした様子で葉を裏返し、葉脈の走り方を確認している。
指先に痺れを感じている様子もなければ、顔色も変わっていない。
ただ植物を観察している。
「これ、根がかなり深そう。引き抜かない方がいいね」
独り言のように呟き、茎の付け根を確認した。
同じ植物に、同じように触れている。
一方には反発があり、一方には何もない。
魔力耐性の差だけでは説明がつかない。
耐性があるなら、反発を感じないというより、耐えられるという形になるはずだった。
アルの場合は反発そのものが、起きていない。
まるで、植物の側が反応していないかのように。
「エルリック」
アルが振り返った。
「どうかした? なんか、顔色悪いよ」
「問題ない」
「そう?」
アルはもう一度植物に視線を戻した。
「もう少しで終わる。葉の形だけ書き写したら行けるよ」
エルリックは答えなかった。
アルが図鑑を取り出してスケッチを始めるのを、ただ見ていた。
◇
足元の土が固さを取り戻し、木々の間隔がわずかに広がる。
アルが大きく息を吸った。
「なんか疲れたね。湿気のせいかな」
「魔力が濃かった。影響が出る人間もいる」
「エルリックは大丈夫?」
「問題ない」
「さっきも言ってたね、それ」
アルはエルリックの顔をじっと見た。
「問題あるときも言いそう」
「言わない」
「言いそう」
ルカンが先に歩き出していた。
アルがそれを追いかける。
エルリックは少し遅れて歩きながら、後ろ姿を見ていた。
魔力を帯びた植物に触れても、何も起きない。
濃い魔力環境にいても、平然としている。
毒草を口に入れても、体に異変がない。
それぞれ単独なら、理由をつけることができた。
毒耐性、体質の差、偶然。
だが三つが重なれば——もう偶然ではない。
アルがルカンに何か言った。
ルカンが短く返す。
アルが笑った。
その光景を眺めながら、視線をルカンへと移す。
ルカンもまた、わずかに目を向けていた。
二人とも、何も言わなかった。
「足、濡れちゃった」
「言ったろ、水際に寄るなって」
「寄ってない。染みてきたんだよ」
「同じだ」
アルがルカンを見て、それからエルリックを見た。
「エルリックは?」
「濡れていない」
「なんで」
「寄らなかったからだ」
アルが何か言いかけて、やめた。
三人はそのまま、湿った森の奥へと足を進めていった。




