「今は違う」
朝から空は白く濁っていた。
窓の外を一目見ただけで、今日は外に出られないとわかる。
雪は真横に吹きつけ、風が建物全体を揺らして窓枠をきしませた。
アルは窓に額をつけて、白一色の世界をしばらく眺めていた。
だが吹雪で視界はすぐに途切れ、ほどなくして目を離す。
毛布を引き寄せ、そのままベッドへ潜り込んだ。
昼前。
三人は宿の共用スペースに集まっていた。
暖炉のある部屋には、使い込まれた長椅子が二つと、小さな丸テーブルが一つ。
他にも客はいたが、皆それぞれ本を読んだり、小声で話したりしている。
外に出られない日は、自然と火の周りに人が寄る——そんな空気があった。
アルは暖炉の前に座り込み、図鑑を広げる。
氷晶洞で記録した植物の下書きに、詳細を書き足していく作業だ。
エルリックは長椅子の端に腰掛け、薄い冊子に目を落としていた。
反対側ではルカンが足を伸ばし、目を閉じている。
寝ているのか起きているのか、分からない。
風が強まり、窓がガタガタと鳴る。
暖炉の火が大きく揺れた。
「暇だね」
アルが膝に肘を乗せて呟く。
返事はない。
「……すごく暇」
「聞こえてる」
ルカンが目を閉じたまま応じた。
「感想は?」
「……暇だな」
「でしょ」
アルは満足したように頷く。
エルリックが冊子からわずかに視線を上げた。
「図鑑を書いているんじゃなかったのか」
「書いてる。でも暇なの。手は動いてても、頭は違うこと考えてる感じ」
「両立するのか」
「する。不思議だけど」
エルリックはそれ以上言わず、再び冊子へ戻る。
アルも図鑑へ視線を落とし、細い茎の線をなぞった。
しばらくの間、薪がぱちりと弾ける音だけが部屋に響き、ゆるやかな時間が流れた。
「エルリックって、北のどのへん出身?」
図鑑を見たまま、アルが口を開く。
手は止まらない。
エルリックは少し間を置いて、ページをめくる手を止めた。
「ここより奥だ。山を二つ越えた先に、小さな集落がある」
「雪、もっと多い?」
「冬は一晩で窓が埋まる」
「すごい」
アルは顔を上げる。
「ずっとそこにいたの?」
「子供の頃はいた」
「今は?」
「今は違う」
「北を出たのは、旅のため?」
エルリックはすぐに答えなかった。
冊子を閉じ、膝の上に置く。
暖炉の火が横顔を照らし、影を揺らした。
「調べたいことがあった」
「なに?」
「魔法のことだ」
「エルリックって魔法使いだもんね」とアルが言った。
「すごく使えるの?」
暖炉の中で薪が崩れ、火の粉が舞う。
エルリックは揺れる火をじっと見ている。
「今は、そうでもない」
アルは顔を上げ、エルリックの横顔を見た。
何かを聞いた気がしたが、何を聞いたのか上手く分からなかった。
「……昔はすごかったの?」
「昔の話だ」
それだけ言って、冊子を開いた。
会話を切り上げる合図だということは、空気で理解できる。
しばらくそのまま見ていたが、やがて図鑑へ視線を戻す。
「そっか」
短く言って、ペンを走らせた。
ルカンは相変わらず腕を組んだまま動かない。
ただ、眉間にわずかな皺が寄っていた。
◇
夕方になり、ようやく吹雪が勢いを弱めた。
完全に止んだわけではないが、隣接する建物の輪郭が見える程度には収まっている。
窓に近づき外を覗くと、積もった雪の向こうに、ぼんやりとした明かりが灯っていた。
「晩ご飯、行けそう。お腹空いた」
「行くか」
ルカンが起き上がる。
エルリックも冊子を畳み、立ち上がった。
外に出ると雪が頬に当たり、一気に冷える。
「……寒い」
「そうか」
「エルリックも寒いって言えばいいのに」
「言った」
「……言ったっけ」
誰も何も言わず、沈黙が続いた。
食堂の分厚い扉を開けると、スパイスの混じった温かな空気が溢れ出してくる。
「あったかい!」
「早く入れ」
「押さないでよ」
「寒かったんだろ」
「それ謝ってない。エルリック、聞いた?」
「席を取る」
「……聞いてないね」
ルカンがさっさと空いた席に向かい、エルリックがその後に続く。
アルはその背中を見てから、小さくため息をついた。
そして二人の後を追った。




