「似合わないから」
砂漠を出てから、数日が経過していた。
北の町は、長い坂道を上りきった先にあった。
馬車を町外れに停めて歩き始めた途端、真正面から冷たい風が吹きつけてくる。
アルは身震いをして、マフラーの代わりに上着の襟を両手で引き上げた。
気休めにもならない抵抗だ。
だけど、しないよりはマシな気がした。
「さむ……!」
「言ったはずだぞ」
エルリックが前を見据えたまま応じる。
「桁違いって聞いてはいたけどさ」
「事実だ」
「思ってたより桁が違うんだよね」
エルリックはそれ以上答えなかった。
二人の少し後ろを歩くルカンは、特に寒そうな素振りも見せていない。
アルがちらりと振り返ると、視線だけを返してきた。
「平気なの?」
「まあ」
「ずるいくない?」
「才能だから」
「体質だ」とエルリックが割り込んだ。
「才能ではない」
町は石造りの建物が主流らしい。
屋根には雪が厚く積もり、軒先にはつららが一列に並んでいた。
通りを行き交う人々は皆、厚手の外套に深く身を包んでいる。
砂漠の町とは何もかもが違っていて、白く澄んだ空気を吸うたび、肺の奥が冷えた。
北の町は、目を見張るものが多かった。
凍りついたままの洗濯物や、氷の中に閉じ込められたまま咲いている軒先の花。
そして見たこともない植物が並んでいた。
図鑑を取り出したかったが指先がかじかんでいて、うまく鞄を開けられない。
アルは渋々諦める。
「先に防寒具を買う」
エルリックがそう提案した。
町で一番大きな雑貨店は、入口に立派な熊の剥製が飾られている店だった。
一歩中へ入ると、店内の暖かさが体を包みこむ。
店内には外套や手袋、帽子にブーツが所狭しと並べられている。
無口そうな老店主は、三人を一瞥しただけで、すぐに手元の作業へ視線を戻した。
「これ可愛い」
アルが手に取ったのは、耳あてのついた丸い帽子だった。
白くふわふわとしていて、てっぺんには大きな毛玉がついている。
「実用性はどうなんだ」
エルリックが横から口を出す。
「ある、と思う」
「思う、では困る」
そう言うエルリック自身が選んだのは、シンプルな濃紺の外套だった。
裏地が厚く、いかにも風を通さなそうな一着と
さらに深めの帽子を一つ。
手袋は作業のしやすさを優先してか、指先が出るタイプを迷わず手に取った。
全部で三点、過不足のない選択をした。
ルカンは棚の前で腕を組んだまま、しばらく動こうとしなかった。
やがて、黒い外套を一着だけ手に取る。
飾り気のない長めのものだ。
そのままレジへ向かおうとする背中に、アルが声をかけた。
「手袋は?」
「いらない」
「帽子は?」
「必要ない」
「耳、冷たくないの?」
「冷たい」
アルは一瞬止まった。
「なんで買わないの?」
「似合わないから」
「……それが理由?」
「わりと重要だろ」
アルは手に持っていた白い帽子を自分の頭に乗せ、それからルカンの頭にも同じものを乗せてみた。
ルカンは無言でそれを外す。
アルはもう一度乗せる。
ルカンはまた外す。
それを見ていたエルリックが、一言だけ言った。
「似合っている」
ルカンが振り返った。
「お前まで」
「事実だ」
アルがにっこりした。
「ほらね」
ルカンは無言で帽子を外し、棚に戻した。
結局、アルは白い帽子と手袋、外套を購入した。
ルカンは黒い外套を一着のみ。
エルリックは予定通り三点を淡々と買い揃える。
店を出ると、再び厳しい風が三人を迎えた。
アルはすぐに帽子を深く被り、ルカンは外套の襟を立てる。エルリックは手袋をはめた。
三人の防寒の備えは、最後までまったく揃うことがなかった。
◇
防寒具の袋を抱えて通りを歩いていると、エルリックが口を開いた。
「次の目的地の情報を集めておきたい」
「どこで聞く?」
「地元の人間に聞くのが一番早いだろう」
三人が通りを見回したときには、ルカンはすでに角にある食堂へと足を向けていた。
通りの角に佇む小さな食堂。
昼時にはまだ早く、客席には老人が一人座っている。
ルカンは迷わず中へ入り、その老人の隣の席に腰を下ろす。
二人も少し遅れて店に入り、向かいの席に座った。
「この辺りで、面白い場所とか古い建物とか、知ってたら教えてほしいんだけど」
問いかけに、老人は杯を置いた。
ルカンの顔をじっくりと眺めてから、ゆっくりと口を開く。
「面白い、か。氷晶洞なら、東の山道を三日行ったところにある」
「気をつけることは?」
「あそこは気流が荒れている」
「古い建物については?」
「雪嶺の観測塔だな。もっと奥にある。儂は行ったことがないがね」
「他に何かわかることはあるか」
「魔法使いのものだったらしい。あとは、とにかく寒い」
「……寒い」
「観測塔は特に冷えるらしいぞ。儂は行ったことがないが」
「さっき聞いたよ」
「そうだったかな」
会話が終わると、二人は同時に前を向いた。
老人は再び杯を持ち上げ
ルカンは店主に飲み物を三つ注文した。
アルがエルリックに小声で耳打ちする。
「なんか、友達みたいだったね」
エルリックは何も答えなかった。
◇
宿は食堂から二軒隣の場所にあった。
受付で部屋を求めたが、あいにく空いているのは二人部屋と一人部屋が一つずつだけだという。
三人は同時に黙り込む。
「一人部屋、俺」
すぐにルカンが主張した。
「なんで?」
「静かな方がいいから」
「私も静かな方がいいんだけど」
「先に言ったの俺」
アルはエルリックを振り返る。
「エルリックは二人部屋でいい?」
「……荷物の量を考えれば、二人部屋の方が合理的だな」
「それ、いいって言ってないよね」
エルリックは視線を受付に掲げられた料金表へと移した。
「一人部屋の方が、わずかに安い」
「やっぱりいいって言ってない」
三人がそれぞれ違う方向を向き、受付の女性が困ったような表情でその様子を見ている。
最終的に、じゃんけんで決めることになった。
ルカンが最初に出した手を途中で変えたような気もしたが、結果としてアルが一人部屋を勝ち取る。
鍵を受け取ると、エルリックが静かに言った。
「……なるほど」
「何が?」
「気にするな」
ルカンは何も言わず、鍵を受け取って階段を上がっていく。
その背中に、アルが「おやすみ」と声をかける。
振り返りこそしなかったが、片手だけを軽く上げた。
二人を見送り自分の部屋へ向かうと、そのままベッドに倒れ込んだ。
外套も脱がないまま、天井を見上げる。
「……さむかった」
誰に言うでもなく。
しばらくじっとしているとすぐに眠くなってきて、目を閉じる。
図鑑を出そうと思っていたのに。
氷の中の花のことを、ちゃんと書き留めたかった。
部屋は静かで、時折窓から風の音だけが聞こえてくる。
荷物は散らかったままだが、アルはもう眠っていた。




