「なのに開いている」
階段を下りきると、また通路が続いていた。
地上とは空気の質が違う。
冷たさは湿り気を帯びて重く、石の匂いも一段と濃い。
鼻を掠めるのは、鉄のような匂い。
壁には苔が生えていて、アルは素早くそれを採取した。
「……お前は本当に緊張感がないな」
「だって、遺跡の苔だよ?珍しいじゃん」
鞄に苔を入れた容器を詰め込みながら、ルカンの後に続く。
壁に装飾はなく、地上の通路を埋め尽くしていた浮き彫りもここには一切ない。
ただ石を積み上げただけの、均一で無機質な構造が続いていた。
魔法灯を向けると、通路の奥まで見通すことができた。
光は途中で薄れながらも、先へと伸びている。
地上より距離は短いように思えた。
三人はそのまま奥へと進む。
聞こえるのは靴音だけで、変化らしい変化はなく、ただ通路は緩やかに続いているように見えた。
だが、数分も進まないうちに、それは不意に途切れる。
行く手を塞ぐのは、継ぎ目も隙間もない石の壁。
崩落の跡ではなく、最初からそこで終わるように造られたものだった。
「行き止まりだ」
壁の中央には上の扉と同じ、円形と放射状の線が描かれていた。
「ここにも同じ模様があるね」
アルが指先でその輪郭に触れる。
ほんの一瞬だった。
指に伝わる石の感触が暖かくなった——ような気がした。
しかし、今はもう冷たい。
どれだけ押しても、びくともしない。
「………」
アルは少しの間手を当てて、じっとしていた。
その様子をエルリックが見ていたが、そのまま何も言わず、視線を外す。
「戻るぞ」
その言葉より先に、ルカンはすでに踵を返していた。
◇
階段を上りきると、扉がある。
さきほどと同じ位置に、何も変わらず、閉じたままで。
そのはずたった。
「——開いている」
エルリックが周囲を見回す。
指先で壁の継ぎ目に触れるが、変化はない。
崩れた痕跡も、仕掛けが動いた形跡もない。
アルは壁の文字を見返しながら首を傾げた。
「さっきと何も変わってない気がするけど」
「なのに開いている」
ルカンは無言で扉を一瞥する。
次にアルへ視線をずらし、一拍だけ、間を置いた。
扉の向こうは、縦に長い空間が広がっていた。
長く放置された場所特有の、澱みを含んだ気配が満ちている。
魔法灯を掲げると、反射した光が石壁に広がり、部屋の隅々を照らし出していく。
左右の壁には石板が等間隔に並んでいた。
床から天井近くまで続くそれらすべてに、文字だけが刻まれている。
図形や絵の類は一切なく、ただ文字だけが記録のように並ぶ光景がそこにはあった。
「全部、文字だ」
アルが小さく呟く。
エルリックが一番手前の石板に歩み寄り、光を頼りに行を追い始めた。
指先が文字の上をゆっくりと滑り、その意味を拾い上げていく。
ルカンは入口近くに佇んだまま、遠巻きに石板を眺めている。
解読が始まってから、しばらくの間は沈黙だけが流れた。
「魔力調律、という概念が書かれているな」
エルリックの声が響いた。
「なにそれ」
アルは瞬きを一つして、石板をじっと見る。
「魔力は力で制御するのではなく、律するものだという考え方だ。押さえ込むのではなく、流れに沿わせる」
「違うの?それ」
「今の魔法の使い方とは根本的に違う」
次の石板へ移動する。
魔力調律の術式、応用、そして古代魔法の体系。
一つひとつは断片に過ぎないが、合わせると意味を成していく。
エルリックは黙々と読み進めた。
——どのくらいの時間が過ぎただろうか。
石板の数は膨大で、全てを読み切るには何日も費やすことになりそうだった。
要点だけを拾いながら読み進めたが、全体像はまだ見えない。
「これ以上は読み切れない」
エルリックが顔を上げる。
「写して持ち帰る?」
「量が多すぎる」
ルカンはすでに扉の方を向いていて、ここに入ってから一言も発していない。
視線の向きだけが、次の判断を先に決めているようだった。
「先へ進む」
エルリックの合図で、三人は部屋を後にした。
◇
遺跡の奥。
そこはさらに深く、暗く
道が続いているようだった。
先頭を行くルカンが掲げる魔法灯の光が、長く細い影を落とす。
アルがそのすぐ後ろで、壁の彫刻を目で追いながら歩いていた。
最後尾のエルリックは、一定の間隔で静かに足音を刻んでいる。
異変に気づいたのは、一番前を歩くルカンだった。
ふと歩みを緩め、頭上の暗闇を仰ぎ見る。
「……石の音がする」
「え、どこ?」
アルが顔を上げた瞬間、石の継ぎ目からさらさらと細い砂がこぼれ落ちた。
エルリックが「下がれ」と声を出すよりも早く、天井の一角が音を立ててずれ始める。
巨大な石の塊が轟音とともに落下した。
激しく舞い上がった砂埃に視界を奪われ、アルは咄嗟に腕で顔を覆う。
やがて音が収まり、顔を上げると、そこにあるはずの二人の姿が消えていた。
「ルカン、エルリック?」
振り返ると、来た道も半ばまで瓦礫で塞がれている。
隙間の向こうに人の気配は感じるが、返事がない。
「……聞こえてる?」
「聞こえている」
エルリックの声が、重なった石の向こうから平坦に響いた。
「怪我は」
「ない。平気」
アルは短く答え、目の前の隙間を凝視した。
人が通れる幅ではない。
「どうする?」
「迂回する。合流できる道を探せ」
それだけ言い残し、エルリックの気配が遠ざかっていく。
ルカンの方からは、依然として何の音も聞こえてこなかった。
アルは魔法灯を持ち直し、通路の奥へと視線を向けた。




