「つい、じゃない」
中に入った瞬間、空気が変わった。
砂漠の熱が、扉の向こうで断ち切られる。
代わりに、冷たく重い空気が肌にまとわりついた。
アルは思わず足を止め、その場に立ち尽くす。
「すごい……」
呟いた声は、湿り気を帯びた石の壁に吸い込まれていった。
通路は暗闇の奥へと続いている。
天井は驚くほど高く、左右の壁一面に、浮き彫りが描かれていた。
人影や動物、意味のわからない図形。
それらが規則的に並び、無言のままこちらを見下ろしている。
ルカンが魔法灯を掲げた。
その光に照らされ、浮き彫りの影が生き物のように揺らめく。
エルリックが慎重に壁へと手をかざした。
「古代文明の建築だ。保存状態も悪くない」
「これ、なんの絵かな」
アルが指さしたのは、複雑に絡み合う線と、その中央に描かれた真円の図形だった。
「さあな」
ルカンが短く応じる。
アルはスケッチ帳を取り出し、その図形をサッと写し取った。
通路を進むにつれて、壁の浮き彫りが増えていく。
文字に見えるような形や、生き物なのかすら怪しい、謎の図形が目立つようになってきた。
ルカンが先頭を歩いていたが、その歩き方はいつもと違っていた。
歩幅は一定で無駄がない。
左右の影へ、絶えず意識を向けているような、張り詰めた気配だ。
アルが小走りで追いつくと、その足音だけがやけに大きく反響した。
「この先、何があるんだろうね」
「わからない」
「記録には載ってないの?」
「内部の詳細までは残っていない。入口の構造までだ」
通路の天井を見上げるとあまりに高く、上の方はよく見えない。
不意に、ルカンが足を止めた。
無言で片手を上げ、手のひらを広げる。
特に何かをするでもなく、そのままじっと手のひらを眺めている。
「どうした」
エルリックが声をかける。
「術式が、機能してない」
独り言のような、低い声。
「魔力の流れが歪んでいるのか」
エルリックの問いに、ルカンはわずかに間を置いた。
「さあな」
それだけ言って、再び歩き出した。
◇
通路の突き当たりは、広い空間だった。
中央には石の柱が何本も立っており、その周囲には装飾の破片がいくつも散らばっていた。
かつては、相当な規模を誇る場所だったのかもしれない。
「昔はすごかったんだろうね」
「そうだな」
その呟きに、エルリックが短く同意する。
アルは足元に落ちていた破片の一つを拾い上げた。
手のひらに収まるくらいのそれには、細かな模様が隙間なく描かれている。
壁の浮き彫りと似た、文字のような物もある。
「これもスケッチ帳に描いておこうかな」
「物好きだな」
ルカンが背を向けたまま答えた。
アルがページを開こうとした、そのとき。
ふと隣の台座に置かれた彫像が目に入った。
人の顔のようなものが彫り込まれていて、精巧な造りをしている。
どこかで見たことがあるような、ないような。
「なにこれ」
もっとよく見ようと、顔を近づけた。
細部を確かめるために、自然と手が伸びる。
「触るな」
ルカンの鋭い声。
だが——
アルの指先が、石の表面に触れる方が早かった。
次の瞬間。
ごごごご、と全身に響くような低い地鳴りが走る。
台座の奥から、巨大な石同士がこすれ合う音が広間に響き渡った。
「えっ」
次に、広間の奥の壁から、石が崩れ始めた。
最初は、小さな破片がいくつか落ちるだけだった。
だがそれが連鎖するように広がり、天井からも石が降り注ぎ始める。
「走れ!」
エルリックの声が響いた。
三人は一斉に駆け出す。
途中でアルが石につまずき、転びかけた。
それを見たルカンが、咄嗟に片手を上げる。
防御の術式を組もうとした。
だが指先に集まりかけた光は、形を成す前に消えていく。
舌打ちして手首の腕輪に触れると、一瞬だけ光を放つが、それも消えた。
隣を走るエルリックも、同時に手を上げた。
照明の魔法。
魔法使いなら容易なはずの、初歩的な術式。
通路を照らすだけなら、防御と並行して組むことすらできる。
そのはずだった。
しかし、構築の途中で術式が歪む。
不自然に。
エルリックは即座にそれを放棄した。
アルの腕を掴み、背後から迫る落石の軌道を読みながら、強引に引きずるようにして走る。
どさり、と重い音が背後を叩いた。
地面に叩きつけられた石は砕け、砕けた石がさらに飛び散り、土煙が一気に吹き上がる。
三人がつい数秒前までいた場所に、巨大な石が降り積もっていく。
やがて、落石は止まった。
広間には、天井から降り続けている細かな石の音と、三人の荒い呼吸だけが残された。
「ごめん……つい」
アルが消え入りそうな声で謝る。
「つい、じゃない」
ルカンが低く言った。
「……顔みたいな模様があったから、気になって」
「だから何だよ」
ルカンは続きを言いかけて、口を閉ざす。
エルリックは一度、積み上がった石の山を振り返った。
それからアルへ視線を戻した。
「怪我はないか」
「うん……大丈夫」
「……そうか」
短いやり取りを終えると、すぐに前を向いた。
崩れた石で塞がれた背後には、もう目もくれない。
「行くぞ」
エルリックの言葉を合図に、落石の跡を迂回しながら進んでいく。
広間の奥に着くと、通路が二つあった。
一つは崩落で塞がれている。
石が積み重なり、人が通れる隙間はない。
「こっちは無理だ」とエルリックが言った。
もう一つは狭かった。
最初の通路よりも装飾が細かく、壁には文字のような模様が続いている。
「じゃあ、こっちか」
ルカンが言い、迷わず足を踏み入れた。
三人はその狭い通路を進んでいく。
やがて通路が折れ曲がり、その先には扉があった。
古い木製の扉だ。
周囲は石で塞がれている。
ただの崩落ではない。
外部から意図的に封鎖されていた。
扉の表面には、複雑な線と円形の仕掛けが施されている。
「これ、さっき上にも同じ模様があった」
アルが呟く。
ルカンが扉へ手をかざした。
指先に一瞬だけ青白い光が走り——すぐに消えた。
腕輪が、わずかに反応する。
「魔法の仕掛けか」
「開けられる?」
「今は無理だ」
ルカンは扉から手を離した。
それ以上は何も言わない。
「戻るの?」
「いや」とエルリックが答え、通路の脇を指した。
「階段がある」
石で出来た、狭い階段だった。
深い下層へと続いている。
それを見たルカンは、躊躇なく階段へ向かった。
光を頼りに、一段ずつ慎重に下りていく。
暗闇が深くなるにつれて、冷気が増した。
やがて三人の姿が闇に消え、それきり地上は沈黙した。




