似ているけど、違う。
遺跡のシルエットが夕闇に沈んでいく頃、馬車は静かに廃村へと滑り込んだ。
かつて人が住んでいたらしい集落の名残の建物が、砂に半分埋もれて並んでいる。
屋根が崩れ落ちているものも少なくない。
風が吹くたび、砂が建物の隙間を通り抜け、低い音を立てた。
「ここで夜を過ごすんだね」
「建物が風除けになる。砂漠の夜には好都合だ」
エルリックの言葉に従い、アルは砂の上へと降り立つ。
辺りを見渡しても人の気配は一切ない。
荒れた空気の中に、妙な静けさが同居していた。
「なんか、雰囲気ある場所だね」
「褒めてんのか、それ」
ルカンが横目で応じる。
アルは少し間を置いて「褒めてる」とだけ返した。
それ以上は何も言わず、毛布や食料を手際よく下ろし、近くの壁に立てかけていく。
「火はどうするの?」
「お前は木を拾ってこい。この辺なら手頃な廃材があるだろ」
「エルリックは?」
「周囲を見てくる」
返答は短く、その視線はすでに暗がりへと向いていた。
アルは廃村の奥へ足を踏み入れ、使えそうな木材を探す。
崩落した木の板が砂に埋もれていたので、端を掴んで引き抜いた。
重さを確かめるように抱え直し、そのまま野営地へ。
ルカンが無言でそれを受け取ると、手際よく焚き火を組み始めた。
やがて、エルリックも戻ってくる。
「問題ない」
その一言を合図に作業が進み、夜の準備が整った。
◇
焚き火の火勢が安定したころ、夜の冷気が降りてきた。
昼間の熱気が嘘のように、空気が急速に冷えていく。
アルは厚手の毛布を肩にしっかりと巻き直し、火に手をかざした。
「本当に寒くなるんだね」
「これからまだ冷える」
エルリックが鍋を火にかける。
干し肉と乾燥野菜を放り込み、水を注ぐ。
旅の食事らしい簡素なものだが、その手際に迷いはない。
「これ、エルリックが作ってくれるの?」
「何か問題があるか」
「ないない、助かるよ」
ルカンが無言のまま木の棒で薪を突き、火の加減を調整する。
その横でエルリックが静かに鍋をかき混ぜる。
アルはそんな二人を交互に眺めた。
「なんか、所帯じみてるね」
「そういう言い方やめろ」
ルカンが即座に反応した。
「エルリックが料理をして、ルカンが火の番をして……私、何もしてない」
「気づいたなら動け」
言われるがまま、毛布を羽織った姿で鍋の蓋を押さえる役を買って出た。
横から小さなため息が聞こえる。
アルは気にする素振りも見せずに、真剣に鍋の蓋を押さえていた。
しばらくして、鍋の中から良い匂いが立ち上ってきた。
アルが「わあ……」と声を上げ、エルリックが椀に分け、二人に差し出す。
「おいしい!」
「干し肉と野菜を煮込んだだけだ」
「それがおいしいんだよ。ね、ルカンはどう?」
「まあ、食える」
「『まあ』だって」
エルリックに報告すると「聞こえている」と短い返事が返ってくる。
ルカンは黙ったまま椀を傾けていた。
食事が終わると、焚き火の前に再び静けさが戻ってくる。
三人は何をするでもなく、ただなんとなく焚き火の周りに集まっていた。
その中でアルが「さて」と立ち上がり、廃村の端に足を向けた。
砂漠の夜は深い。
遠くで鳴る風の音と、焚き火が小さく爆ぜる音だけが響いている。
崩れた石壁の影に近づいた時、小さな光を見つけた。
近づいてよく見れば、それは見たことのない植物だった。
砂の隙間から細い茎が伸び、その先に白い花が咲いている。
そして、それはかすかに光ってみえた。
「………」
しゃがみ込み、顔を寄せる。
どこかで見た記憶があった。
——そうだ。
自宅の窓際に置かれている、あの花。
ほんのりと光る、白い花。
アルのお気に入りの植物だ。
だが、同じではない。
「似ているけれど、違うね」
触れてみようと、指先を伸ばす。
「アル」
突然背後から聞こえた声に振り向くと、いつの間にかエルリックが立っていて、こちらを見ていた。
「砂漠の植物は、昼間と性質が変わるものがある。触るな」
伸ばしかけた手を止める。
改めて花を見ると、確かに昼間の植物とは違う気配が宿っているように見える。
「……スケッチは?」
「それならいい」
急いで図鑑を取りに戻り、再び花の前に腰を下ろす。
白紙のページに、花びらの輪郭を丁寧に描き始めた。
少し離れた場所で、エルリックは周囲を見ていた。
風の向きに合わせ、視線だけが動く。
スケッチを半分ほど終えたころ、不意に風の流れが変わった。
さっきまでの乾いた風とは違う、重い風だ。
砂が舞い上がり、焚き火の炎が大きく揺れる。
「砂嵐が来る」
エルリックの低い声。
「戻るぞ」
アルは即座に図鑑を閉じ、立ち上がった。
しかし砂嵐が来る方が早く、砂が一気に吹きつけ、視界を塞いでくる。
目を開けていられず、砂に足元を取られてぐらりと体が揺れた。
次の瞬間、腕を掴まれた。
ルカンだ。
何も言わず、アルの腕を掴んだまま焚き火の方へ引いていく。
最初、アルは自分の手を引く人物が誰かわかっていなかった。
砂嵐で自分の足元さえも見えていない状態だったから。
建物の壁際まで戻ると、吹き荒れる風がようやく遮られた。
砂嵐の規模は小さく、数分もしないうちに風は落ち着いていく。
砂が入って痛む目を擦り、アルは数回瞬きをした。
焚き火の前に戻り、何事もなかったかのような顔で座り直しているルカン見て、ようやく気づく。
「ルカンだったんだ。ありがとう」
「礼はいい。お前、一人でフラフラするなよ」
アルは素直に頷いた。
見ればエルリックも戻ってきている。
周囲が落ち着くと、三人は再び輪になった。
さっきまでの騒がしさが嘘のように、夜はまた深い静寂に包まれている。
アルは膝を抱え、揺れる炎をじっと見つめながらルカンに話しかけた。
「ねえ」
「ん」
「ルカンは魔法使いだよね。魔法って、楽しい?」
ルカンは炎を見たまま動かない。
しばらくしてから、小さく答えた。
「……さあな」
いつもの返しと同じはずなのに、その響きは少し違って聞こえる。
アルはルカンを見ていたが、それ以上追求することなく「そっか」とだけ返し、また炎を眺め始めた。
その様子を、エルリックが静かに見ていた。
視線が一瞬、腕輪に止まり、すぐに逸れる。
それきり、誰も言葉を続けなかった。
夜は更けていく。
焚き火が次第に小さくなり、影が廃村の壁に長く伸びる。
アルは砂の上に仰向けに転がり、空を見た。
砂漠の空は遮るものがない。
端から端まで、星で埋め尽くされている。
こんなに広い空は、旅に出てから初めてのことだった。
大きく息を吸うと、砂の匂いが体中に広がっていく。
「遺跡、明日から入るんだね」
「そうだ」とエルリック。
「朝は冷える。準備は早めにしておけ」
「わかった」
途端、しんとした静寂が降りる。
「おやすみ」
ルカンは答えない。
代わりに、衣擦れの音だけが小さく聞こえた。
「……おやすみ」
エルリックが短く返し、横たわる気配がした。
焚き火がパチリと音を立てる。
残りは、ほんの僅かだった。




