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匂いの色  作者: ゆず
第1章 ライラック
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7/21

ライラック 6

私は韓国人の小説家です。

2年前に出版した自分の小説を日本語に翻訳し、こちらで連載することにしました。

不自然なところがあったりするかもしれませんが、楽しんで読んでいただけたら嬉しいです。

ありがとうございます。


※「ライラック 6 」は私の大好きなチャプターのひとつです!

 いつだったか、母に絵を依頼した一人の視覚障害者がいた。


 明暗くらいなら見分けられる一般的な視覚障害者とは違い、その女はまったく目が見えなかった。


 僕たちは薄暗いリビングにいて、母はアトリエにいた。


 僕は頬杖をつき、向かいに座る女をじっくりと頭からつま先まで観察した。


 碁盤の目のようなチェックの上着とスカートが体にぴったりだった。小さな顔と青白い肌、赤黒い唇。つばの広い帽子を斜めにかぶった姿。


 高価なアンティーク人形のようだった。


 女は一度も瞬きをしなかった。


 膝の上には3、4回折り畳まれた白い杖が置かれていた。


 慎ましく座るその姿は、どこかぎこちなく、不自然だった。


 暗闇の向こうをじっと見つめていたので、僕もつられてそちらを見た。


 5歳の子供がいくら顔を動かしたところで音がするはずもない。


 けれど、女はその音を確かに聞き取っていた。


 僕がもう一度顔を向けると、女はまっすぐ僕のほうを見ていた。


 僕はぎょっとして、思わず心の中にあった疑問を口にしてしまった。


「視覚障害者も夢を見るんですか?」


 女はにっこりと笑った。


 出会ってから別れるまで、僕には女が何を考えているのかさっぱりわからなかったけれど、女は僕のことを何もかも見透かしていた。


 僕の顔も、心の中も、性格も。


 もしかすると、過去も未来も。


 こだまするようなその声は、わざわざこの薄気味悪い階段で思い出さなくても、いつだって背筋が寒くなる。


「もちろん。見るわよ」


「どんな夢なんですか?」


「健常者と同じ夢よ。いいえ、もっと色とりどりの夢かもしれない。明晰夢って知ってる?」


「はい。現実に変わる夢です」


 女は一瞬、動きを止めた。


 そして、僕のほうへもう少し体を向けた。


「ほかの視覚障害者は知らないけれど、私は毎日明晰夢を見るの。生まれたときから真っ暗な世界に慣れているからなのか、美しい世界が見えたらすぐに夢だってわかるのよ」


「じゃあ、夢の中では何をするんですか?」



「記憶」

「記憶?」



「そう、記憶」


「何を記憶するんですか?」


「目に見えるものを、すべて記憶するの。明晰夢は現実に変わる夢だって言ったわよね?そう。私には夢が一つしかないから」


 女はそっと目を閉じた。


 すぐに夢へ辿り着いた。


 たった一つの夢。


 女が囁いた。


「夢のようだったあの日、あの男と見たすべての色を記憶するの」


 色!


 この人も、空っぽの感覚を色で埋めているんだ!


 僕は身を乗り出した。


 その夢が気になった。


「毎晩、眠りにつくと、その夢が私の前に広がるの。退屈な暗闇が流れ落ちて、色とりどりの明晰夢が姿を現す。


 色は全部違うの。あの人と一緒に描いた世界みたいに。


 人々はそれぞれ忙しそうに歩き回って、通りには街灯の明かりが横たわっている。頭の上には太陽が浮かび、雲が空を這い回って、そのまた上の夜空では月と星がきらめいている。山は紅葉と雪を半分ずつ身にまとい、その上には雨が降っている。


 私は一歩下がって、いつ夢から覚めるのかと落ち着かない気持ちになりながら、色を一つ一つ記憶しようと努める。どれ一つ、ただ見過ごすことはない。


 記憶しなくちゃいけないから。また暗闇の中で目を覚ますことになるから。


 よく、視覚や嗅覚を失うと他の感覚がそれを補うっていうでしょう?


 でも、どうかしら。


 ある程度は正しいけれど、すべてを埋めることなんてできない。


 むしろ、空っぽの感覚を埋めるものは――記憶なの」


 女は薄暗いリビングへ戻り、さっきまで見つめていた方向へ体を向けた。


 僕もつられてそちらを見た。


「じゃあ、母さんに絵を依頼した理由は、記憶のためなんですか?」


 女は頷いた。


 女が依頼した絵は、今でも僕の頭の中に残っている。


 背が高く、肩にかかるくらいの髪の長さの男と、腰まで髪を伸ばした痩せた少女が手をつないでいる。

 背景は黒だった。


 どこかへ歩いていく。


 男はもう片方の手で上を指し、女は杖を筆のように握ったまま、それより少し下を指している。


 一見すると平凡に見えるその絵に、女が特別に注文したのは、男を塗るとき、できるだけたくさんの絵の具を使ってほしいということだった。


 ひと目で高価だとわかる絵の具を送ってきたこともあった。


 母は何日ものあいだ、男の色を考え続けた。


 そのせいで仕上げはかなり遅れたけれど、女は完成さえすれば、時間はいくらかかっても構わないと言った。


「あの人は、夢に出てきてくれないから」


 女が言った。


「うん、私はそう思う。色に魅了されすぎて、誰かが後ろにいることに気づかないの。夢が終わる頃になってようやく気づくのに、また忘れてしまう。それでも毎日毎日、意味のない決意を繰り返して、泣いて、また暗闇の中で夜を待つ。


 あの人は、そんな私の姿を見るのを楽しんでいるみたい。正面から私を見てくれたらいいのに……


 でも、実はわかってる。


 ほんの束の間でも、この世のすべての色を見せてくれたあの人は、絶対に私の前には現れない。


 夢のようだったあの日でさえ、一人だけ真っ黒だったあの男は、その気になれば、色とりどりの世界を背にして私を見下ろすことも、抱きしめることも、口づけすることもできる。


 なのに、そうしないの」


「でも、母さんはその人のことを知らないですよね。それなのに、どうして母さんに頼むんですか?」


 女はためらった。


 膝を見下ろし、しばらく口を開かなかった。


 杖についた鈴が、チリンと鳴った。


 僕はふと気になった。


 どっちのほうが暗いんだろう?


 目を開けたとき?


 それとも、閉じたとき?


「初めてあなたのお母さんに会ったとき、私と似た人だと思ったの」


 女はゆっくりと言葉を続けた。


「空っぽの感覚を埋めるのは、他の感覚じゃなく、記憶なんだってことは、障害者も健常者もあまり知らない。でも、あなたのお母さんは知ってる。


 だから、切なくて、悲しい。


 それは、知ってはいけないことだから。


 画家も私を見て、きっと同じように感じたはずよ」


 女は折り畳まれていた白い杖を、投げ捨てるような勢いで伸ばした。


 両手を重ね、ぼんやりと立ち尽くした。


「私は欲張ることにしたの。


 私と似ている画家が、あの男を描いたらどうなるんだろうって。


 その絵を枕元に掛けて夢を見れば、もしかしたら、あの男が夢に出てきてくれるんじゃないかって」


 女はまっすぐ僕を見た。


「うん、きっとそうなる」


 女が言った。


 母がリビングへ出てきた。


 その手には、真っ黒な少女と色とりどりの男がいた。



 記憶。



 僕はずっと、死が僕の空っぽの感覚を満たしているのだと思っていた。


 白い匂い。白い死。



『あなたは私たちとは違うことを望んでいるだろうけど、たぶん……』



 視覚障害者は、帰る直前になんて言っていたっけ?


 階段を漂い、扉を開けるその瞬間まで、こだまのような女の声をそのままにしておいた。


 やがて扉を開けたとき、


 死が僕に襲いかかったとき、


 僕が入っていく場所がブックカフェなのか、それとも空っぽの感覚なのかはわからない。


 けれど、これだけは確かだった。


 鼻の奥深くと、両目の間。


 頭の中。


 いや、記憶……


 遥か遠くのどこかから、ほんの少しだけ、薔薇の香りが漂ってきた。


 あえて言うなら、一輪分くらい。


 空っぽの感覚を満たしてくれる、記憶だった。

#読んでいただき、ありがとうございました!

ブックマークや評価「☆☆☆☆☆」で応援していただけると嬉しいです!

よろしくお願いします!


※もし韓国語を勉強している方や、韓国語に興味のある方がいらっしゃいましたら、お気軽にメッセージをください。韓国語の原文をお送りします。

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