ライラック 14
私は韓国人の小説家です。
2年前に出版した自分の小説を日本語に翻訳し、こちらで連載することにしました。
不自然なところがあったりするかもしれませんが、楽しんで読んでいただけたら嬉しいです。
ありがとうございます。
昼休みが近づくと、ブックカフェは人で賑わった。
誰もが貸出室の奥をちらりと見やり、月曜日の真昼間から暇そうに座っている人間の様子を窺っていた。
3、4人は好奇心を抑えきれず、僕に話しかけてきた。そのたびに僕は、清掃員の母親と哲学教師の息子についての短い話を聞かせた。僕自身を2人の知り合いだと紹介すると、みんな――ブックカフェで聞き耳を立てていた人まで――一斉に納得したように頷いた。
彼らともう少し話を交わしたりもした。
普段は空っぽの貸出室とブックカフェを自由に行き来し、おすすめリストを書いたり、本を返却したりしているという。
ジェヒョクは週に2日ほど、仕事帰りにブックカフェへ立ち寄る。
その時間なら、みんなも仕事を終えたあとだから互いに顔を合わせることはなかったのだろう。
僕もごくたまに、週末に大掃除をしたり古い本を整理したりするときだけ手伝いに来るので、実際に人を見かけるのは彼女以来初めてだった。
清掃員兼ブックカフェの管理人だったジェヒョクのお母さんは、最近体調が優れず、長期休暇を届出ていた。意外にも休暇はすんなり認められたけれど、その代わり、ジェヒョクが臨時の管理人を務めるという条件が含まれていた。哲学教師が管理人ならブックカフェをよりうまく運営できると考えたのだろう。
それに対して、ジェヒョクは他に何と言えただろう?
ジェヒョクは素直にその提案を受け入れた。
昼休みが終わりに近づくと、ブックカフェは元の姿を取り戻していった。
虹はばらばらの欠片になった。
最後の欠片が貸し出されるまで、僕が顔を上げたのは一度だけだった。
白い匂いが一つ。
新入社員でも経営陣でもない、その中間あたりだった。
幸いにも、その男は本を借りも返しもしなかった。おすすめリストを書くこともなかった。
白い匂いを少し残して去っていったけれど、それすらすぐに消えた。
僕は男が出ていくのを確認してからジェヒョクにメッセージを送った。
『カードを取りにブックカフェに来た。せっかくだから、ここで仕事するけど、いいだろ?』
送った途端、あいつがいきなり押しかけてくるんじゃないかと、急に怖くなった。
だから、もう一通送った。
『色紙はもう俺が全部貼ったから、心配するな。30分もしないうちに全部借りていったよ』
数分後、返信が来た。
『好きにしろ』
いつの間にか囁き声の止んだブックカフェを見渡した。
誰もいなかった。
僕は返却された本を空いた本棚に戻そうと立ち上がった。
そのとき、携帯電話が振動した。
『あの女、オンラインカフェに登録してたぞ。名前なんだっけ? タンビ?』
僕は急いでパソコンの電源を入れた。
約1年ぶりに訪れたオンラインカフェは、少しも変わっていなかった。
掲示板はお知らせと自己紹介、書評だけだった。
それでも書評の掲示板には、途切れることなく投稿が上がっていた。
けれど、僕の関心は別のところへ向かっていた。
自己紹介の掲示板に、半年ぶりの新しい投稿が上がっていた。
名前:タンミ
年齢:27歳
職業:写真家
感銘を受けた本:『クラウド・アトラス』
入会理由:書評イベントに参加したくて! :)
その何の変哲もない自己紹介を、何度読み返したかわからない。
何度となく思い浮かべてきたのに、名前は相変わらず変わっていた。
年齢は僕と同じで、職業は彼女によく似合っていた。入会理由には彼女の性格がよく表れていた。
もう読まなくても暗唱できそうになると、僕は彼女のブログを訪れた。
背景には山の峰が高くそびえ、天井には長い万国旗が垂れ下がっていた。
左側にはインディアン模様をあしらったテントがきれいにひらひらとはためいていて、その上の夜空には無数の星が散りばめられていた。
右側にはサハラ砂漠が広がり、その上からナイアガラの滝が荘厳に流れ落ちていた。
華やかなトップページとは対照的に、掲示板には「*ジクバリム」という一言だけだった。
初めて見る言葉だった。
ジクバリムを押すと、トロント、ケベック、ニューヨーク、大阪、ウラジオストク、東京をはじめ、50を超える都市がずらりと並んでいた。
その中にはリスボンもあった。
半分以上は知らない都市だった。
最初から一つずつ遡ってみた。どの都市にも、一行の文章と一枚の写真が載っていた。
ところが、写真が少し変わっていた。
正方形の写真は25のピースに分かれており、それぞれ異なる姿を見せていた。
薄暗かったり、明るかったり、雨が降っていたり、雪が降っていたりした。
傘を差す子供の手や、顔の半分だけが撮られてた老婦人の顔もあった。
幼い頃、初めてキュビスムの絵を見たときに感じたぞっとするような感覚もこんなものだった。
現実の世界から切り離された自画像のように、それぞれ異なる世界の24のピースが出会い、奇妙な形へと変わっていた。
写真は、全体としてもそうだった。
太陽と月が共に浮かぶ街。
昼と夜を一歩で行き来する街。
異なる高さの波が打ち寄せる街。
50枚を超える写真が、すべて同じ方法で撮られていた。
けれど、さらに奇妙なのは最後のピースだった。
隅の部分が切り取られていた。
いや、四角く穴が開いていた。
僕はそこをじっと覗き込んだ。
不完全な写真には不完全な時間が流れているのか、その奇妙な魅力に深く引き込まれ、目を離すことができなかった。
時間が好き勝手に流れていった。
入口は、最後のピースだった。
その中では、数十枚もの写真がすべてつながっていた。
数千ものピースが、すべてつながっていた。
僕はそこへ入り込み、いくつもの世界を探求し始めた。
枠に閉じ込められたピースを、目で一度、手で一度、撫でてみた。
その中の一つくらいは、僕の世界であってほしいと願ったりもした。彼女が作った世界には、白い匂いがないからだ。
彼女はきっと、そんな世界の中で生きてきたはずだ。
死のない世界。
だから、終わりがないことを願った。
けれど、結局、一番最後の写真に辿り着いた。
[ギリシャ+1]サントリーニ空港
その写真も25のピースで構成されており、そのうち一つは真っ白な隅だった。
残りの24のピースは、ほとんど人で埋め尽くされていた。
肌の色も、人種も、服装も、向ける視線もすべて違っていたけれど、誰もがどこかへ向かって忙しそうに歩いていた。
僕はさらに、キュビスムの絵のように、彼らは本当は一人の人間なのではないかと想像した。みんな、同じ感情で微笑んでいたからだ。
それは、おそらくときめきだった。
では、その姿を見つめていた写真家は、どんな感情を抱いていたのだろう?
僕と同じだろうか?
僕は最初のピースからずっと、この感情を抱いていた。
写真の中の彼らに宿る感情とは、正反対のものを。
女に会えたら、その疑問を真っ先に尋ねてみたかった。
最後の写真の最後のピースを見終え、僕はブックカフェへ戻ってきた。
凝り固まった体を起こし、返却された本を空いた本棚にしまい、もう一度椅子に体を預けた。
それから、目を覚ましたばかりの人が夢を反芻するようにいくつもの場面を思い浮かべてみた。
頭の中は恐ろしいほどの速さで現実に順応した。もう、そのいくつかの場面を一つずつじっくり考えることができた。
間違いなく、24時間、1時間おきに同じ場所から同じ角度で撮った写真だった。
では、女はなぜ最後の写真を空港で撮ったのだろう?
「+1」から考えれば、旅に出る直前に撮ったはずだった。
それとも、これも写真家の意図なのだろうか?
あるいは、写真は撮ったものの、別の理由で載せなかったのだろうか?
女に、一体何があったのだろう?
いや。
なぜ女は、完璧な世界から出てきたのだろう?
時間はいつの間にか、24のピースのうち17のピースほどが流れていた。
18ピース目から、時間はゆっくりと流れ始めた。疑問ばかりを膨らませる待ち時間は、とても耐え難い苦痛そのものだった。
その苦痛を忘れるための方法は、幸いすぐそばにあった。
ふいに、やらなければならないことを思い出したかのように、僕はカバンから一冊の本を取り出した。
そして、『リスボンへの夜行列車』を開いた。
*ジクバリム
>韓国でのみ使用している表現です。 漢字が入っていません! 日本語では「メモ」または「備忘録」という意味です。
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