ライラック 10
私は韓国人の小説家です。
2年前に出版した自分の小説を日本語に翻訳し、こちらで連載することにしました。
不自然なところがあったりするかもしれませんが、楽しんで読んでいただけたら嬉しいです。
ありがとうございます。
「それで、なんで俺を呼んだんだ?」
聞き慣れた声に視線を上げると、ジェヒョクが目の前に現れた。鋭い目で僕を睨みつけていた。
僕は、今しがた眠りから覚めたばかりの人のように周囲を見回した。
テーブルの向こうにはジェヒョクが座っていて、僕は腕を組んだまま壁にもたれていた。
僕は落ち着いて聞いた。
「俺、何か話したっけ?」
ジェヒョクがかっとした。
「何も言わないから聞いてるんだろ!」
僕は平然を装い、手に持っていた何かを口元へ運んだが、カップの中では固まったコーヒーのカスだけが僕を見上げていた。
僕はカップをそっと置いた。
「昨日、ブックカフェである女の人に会った」
ジェヒョクの目がきらりと光った。
「女?」
普段、僕たちの会話に女が登場することはめったになかった。特に、僕が話すときは。けれど、ジェヒョクはずっと僕の話に女が登場することを望んでいた。
「本を借りに来た人なんだけど、名前はタンミだって。もしかして知ってる?」
「タンミ?」
ジェヒョクはじっくり考え込んだ。
「初めて聞く名前だな。そんな学生も見たことない。でも、その女がどうした?」
「違う匂いを漂わせてた」
「どんな匂い?」
僕は身を乗り出し、声を潜めた。
「薔薇」
その言葉を聞くと、ジェヒョクは僕の後ろをちらりと見た。
僕とその向こうを交互に見ながら、知らぬ顔をした。
そこには、一つの扉がある。
黒と白がほとんどを占める家の中で、目立たない灰色の扉。
僕は振り返らなかった。
ジェヒョクは諦めて尋ねた。
「ただ勘違いしただけじゃないのか? お前、もともと別の匂いを嗅ぐだろ。何だっけ? 死の匂い?」
「白い匂いだよ、馬鹿」
「ああ、それ」
ジェヒョクは笑いを堪えた。
「前から気になってたんだけど、その匂いって正確にはどんな匂いなんだ? つまり、俺が知ってる匂い
で言うと」
「それは……」
僕はためらった。
「俺にもわからない」
僕は、白い匂いが実際に存在する匂いなのか確信が持てなかった。
もともと何かの匂いを嗅いでも、それに似合う形容詞と色が同時に思い浮かんだけれど、白い匂いは違った。色よりも、死という言葉が先に浮かんだ。
でも、死はこの世に存在すると言えるのだろうか?
僕は鼻で、たまに目でもそれを感じ取ることができる。
けれど、果たして死が存在すると言えるのだろうか?
「なのに、別の匂いがしたって?」
「間違いない。白い匂いとは違う。俺が嗅覚を失ったあの日と比べれば、あまりにも微かだけど、薔薇の香りに間違いない。あの香りは、俺が唯一覚えている匂いなんだ。実は昨日まで、すべての匂いを忘れたと思ってたんだけど、あの女に会って突然思い出した」
「薔薇か……」
ジェヒョクは顎をさすりながら、再び考え込んだ。何か思いつくたびに口を開きかけては、また固く閉ざした。
しばらくしてようやく口を開いたとき、僕は聞き間違いであってほしいと思った。
「今、何て言った?」
「とりあえず、飯にしようって」
僕は軽蔑の眼差しを向け、言葉を詰まらせた。
「今さら言うことが、たかがご飯?」
「たかがご飯って、ひどいだろ。お前から電話かかてきて急いで来たから、夕飯も食ってないんだぞ。それに、見る限りお前、今日何も食ってないだろ?」
ジェヒョクは紙袋をテーブルの上に置いた。
「母さんが、今は持たせるおかずがないから、とりあえずこれだけ先に持っていけって」
テーブルの上に、プラスチック容器が次々と積み上がっていった。
「ちょっと足りなさそうだけど、何か頼むか?」
「好きにして」
僕はため息交じりの声で言った。
「俺はコーヒーでも飲むわ」
「また? さっき3杯も飲んだだろ」
食器棚をいくら探しても、出てくるのは空になったコーヒーの箱しかなかった。
僕は深くため息をついた。
そして、言った。
「俺、カードない」
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