ライラック 9
私は韓国人の小説家です。
2年前に出版した自分の小説を日本語に翻訳し、こちらで連載することにしました。
不自然なところがあったりするかもしれませんが、楽しんで読んでいただけたら嬉しいです。
ありがとうございます。
※「ライラック 9 」も私の大好きなチャプターのひとつです!
人にとって、ずっと、
障害者は違う人。
健常者は同じ人。
僕は似通った人だった。
人は視覚障害者や聴覚障害者には、あえて近づこうとしたり、軽々しく慰めの言葉をかけたりもしない。
けれど、嗅覚を失った障害者には違う。
ときには、天秤にかける声を聞かせてくる。
子供とは違い、大人は天秤にかけるのが好きだ。時折無礼な大人はその結果を口に出すが、たいてい、こんなふうに始まる。
「それでもさ、盲人や聾者よりはましだろ!」
そして、嗅覚なら喜んで諦めてもいいという話。
彼らにとってはただの取るに足らない感覚が、ある人にとっては愛する人が失った一部であり、この世に生まれた理由だと思いながら空っぽの感覚を埋める絵の具であり、大切な記憶なのだ――そんな文章で話を終わらせたくはなかった。
ただ、白い匂いを漂わせる人には沈黙で、そうでない人には、無関心で接した。
僕は今日、2人の子供の夢を交互に見た。
1人は、純粋な女の子だった。
1人は、哀れな男の子だった。
教室を丸ごと呑み込んでしまいそうなほど大きな目を先に見ていたら、あの子を泣かせることはなかっただろう。
僕は我慢できなかった。
その年の冬には、悪夢に悩まされていた。
「本当に匂いが嗅げないの?」
今になってようやく思い出した。
目の前に座っている女の子は、学級委員長だった。
「じゃあ、お菓子を食べても何の味もしないの?」
「もうすぐ死ぬ人からは、匂いがするんだ」
冬は、他の季節より多くの人が死ぬ。
決して言い訳ではない。
「心配しなくていいよ。君は死なないから」
僕は顔を上げた。驚いた純粋さが、徐々に歪んでいく。
幼い僕が鼻で笑った音は、今でもあの子の脳裏に焼きついているはずだ。
「毎日、下校時間になると強迫症みたいに迎えに来る君のお父さんも死なない。でも、どうなるかはわからないよね。人は数日以内にに死ぬことだってあるから。どうしてわかるのかって?」
僕は身を乗り出した。その子と目を合わせながら。
「僕には、もうすぐ死ぬ人が漂わせる匂いが嗅げるんだ。恐ろしい死の匂いだよ。何、怖いの?」
女の子の目に涙がいっぱいに溜まった。
涙の色は夢を見るたびに違ったけれど、今日は透明だった。あれは本物の涙だった。あの日に戻ったみたいに。
どうしても理解できない。
あの子は、なぜ最初から声を上げて泣かなかったのだろう。なぜ僕の言葉に耐えようと、唇をぎゅっと結んでいたのだろう。
「うちの担任のことなんだけどさ」
僕は囁いた。
静かに流れる涙が、僕の神経を逆撫でした。
言葉をけしかけた。
「新学期が始まってから2か月くらい経った頃から、あの匂いがしてたんだ。どこか具合が悪いのかって聞いたら、最初は無視して、2回目は不機嫌になって、3回目は怒った。だから僕は様子を見ていた。この忌々しい匂いを試してみたんだ。数日後、先生が言った」
僕は、自分のクラスの生徒を愛しているふりをする女の声を真似た。
「『みんな、私たちが出会ってから100日が経ったね。そろそろ話してもいい頃だと思うの。今までみんなに紹介していなかったお友達がいるのよ』。そう言って、先生はお腹に手を置いた。僕はそこでようやく、誰があの匂いを漂わせていたのかわかったんだ。覚えてる? なんでそんなに驚くんだって、先生も君たちも僕を嘲笑った日のこと。あのとき僕には、笑い声が聞こえなかった。別の音に耳を澄ませてたから。赤ちゃんは半年間、先生のお腹の中で泣いてた。死ぬのが怖かったのかな?」
季節が2回変わり、戻ってきた先生のお腹は平らになっていた。
砕けた死。
取り出された死。
先生に似た真っ白な子供が1か月ずっと出てきた悪夢の話をしようとした。
女の子は、夢が吹き飛んでしまいそうなほど泣き出した。
僕はその後ろ姿を最後まで見つめていた。今になって見ると、手にはお菓子が握られている。
扉が開いて閉じ、女の子が消えると、夢と夢のあいだをつなぐ深い暗闇が僕を覆った。
考えてみれば、あの子はどうしても、ひとりぼっちのクラスメイトを放っておけなかったのかもしれない。
僕がそうしたように、あの子なりのやり方で、他の人の空っぽの感覚を埋めようとしたのかもしれない。
だから前の晩、家でいちばん硬いお菓子を手に取ったのかもしれない。
お母さんに褒められたのかもしれない。
天秤にかけたのではなく、純粋な心が体を動かしたのかもしれない。
けれど、幼い僕には、それこそがもっと辛かったように思う。
純粋さはしばしば慰めをもたらすけれど、ときには、とても大きな傷を残すこともある。
もう一つの夢は、それから3年が経ち、中学校を卒業する頃へと流れていく。
傷んだ牛乳や汚れた雑巾の束、持ち主を失ったまま教室の隅に数か月も放置されていた体操服に耐え、僕への関心が薄れ始めた頃だった。
「これ、何?」
カバンから落ちたノートが、太い指先でぶらぶらと揺れていた。他人を踏みにじることに喜びを感じる、かわいそうな子だった。
僕が反応すると、そのかわいそうな顔がぱっと明るくなった。
その子は、自分の手でちぎった紙片を、僕の頭の上からばらまいた。紙は白かったけれど、文字は色とりどりで、きれいに舞った。
昨夜、思いがけず転がり込んできた色のノート。
母が失った感覚を埋めていたノート。
月の浮かぶ明け方と、淡い色の屋根が描かれたノート。
ふと、泣いている女の子を窓の向こうに見たような気がした。
僕の視線を追って男の子が振り返った瞬間、僕はその子を押し倒し、上に馬乗りになった。
周りから歓声が上がった。
さまざまな好奇心が、僕たちの周りに輪を描いた。
下から突き上げてくる重い拳も、僕は意に介さなかった。口の中を、粘ついた液体が流れるのを感じた。拳を振り下ろすたびに、僕は叫んだ。
「死ね! 死ね!」
白い匂いを吐き出すまで、終わらせるつもりはなかった。
けれど、その子は最後まで真っ赤な血しか吐かなかった。
鼻血が止まるより先に、職員室の扉が壊れそうな勢いで開いた。
ぎょっとして顔を上げる前に、その子の母親が僕の頬を平手打ちした。
それから6時間ずっと、非難と軽蔑の言葉を浴びせ続けた。
息をするのが苦しかった。
鼻を塞ぎたかった。
祖母が現れた頃には、僕は半分、正気を失っていた。
祖母は、体も心も強靭な人だった。
孫が14歳になると1人残して実家へ帰ってしまえるほど残酷で、ぱんぱんに腫れた孫の顔を見て、子供が残した傷と大人が残した傷を見分けられるほど鋭い人だった。
祖母がゆっくりとした足取りで、腰を曲げて歩いてきた。
みんな、息を殺した。
老人の歩幅が、あんなふうに変わるとは、誰も予想できなかった。枯れ木のような祖母が平手打ちすると、男の子は後ろまで吹き飛んだ。
時間にも、解決できないことはあるものだ。
どれほど時間が経っても、決して止まりそうにない2人の大人のあいだへ割り込んでいった。
僕はとうとう、そこまで行った。
「すみません」
僕は腰をかがめた隙に、息を吐いて、吸った。
祖母は咳払いをした。
唇の紫色の女は、待っていたかのように口角を上げた。夢の中でさえ唇しか浮かばなかったのは、どうしても目まで合わせる勇気がなかったからだ。
「あなたが謝るべき相手は、私の息子よ」
僕はその子に近づいた。
「ごめん。お母さんと一緒に、必ず病院へ行ってね」
びっくりしたその子は、すぐにくすくすと笑った。
どうして笑えるんだ?
僕は心の中でその子に、そして、みんなにも聞いた。
『本当に誰も、この匂いが嗅げないの?』
僕はもう知っていた。
その子はずっと、白い匂いの後ろに隠れている。
自分の母親が死ぬことも知らず、勝利を満喫している。匂いが嗅げないのなら、せめてこの言葉だけでも聞いてほしかったけれど、その子は最後まで笑っていた。
『お母さんに似たその唇は、やがて君だけの唇になるよ』
僕はまた転校しなければならなかった。
むしろ、そのほうがよかった。万が一にも、その子が僕を恨む瞬間は来ないだろうから。
しばらくして僕は高校に入学し、それ以降転校することはなかった。
2人の子供の夢を交互に見て目を覚ました朝は、空が青白かった。
霜の花が、カタツムリのように窓に張りついていた。吹きすさぶ冬の風が引っ張っても、微動だにしなかった。
僕はベッドにぼんやりと座り、半分床を引きずっていた布団を引き上げかけようとしたが、もうやめた。
冷えた足の指をもぞもぞと動かした。
灰色の中で、ベッドが軋む音が聞こえた。
タンミ。
僕は何度も呟いた。
「本当に変わった名前だな」
宙に、赤い曲線が糸くずのように漂っていた。
眠い目をぎゅっと閉じて、開いてみた。それでも消えなかった。
ふと、一つの言葉が空っぽの感覚を埋めた。
アトリエ。
「一度、行ってみようかな……」
僕はすぐに、ぶんぶんと首を左右に振った。
布団を頭の上まで引き上げた。
体を丸めた。
軋む音が、次第に止んでいった。
やがて、純粋さが僕に尋ねた。
「本当に匂いが嗅げないの?」
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