第六楽章 「ギフト発現、ただし……。」
地下水道の依頼を終え、翌日。
二人は再び、街の近郊にある緩やかな丘陵地へと足を運んでいた。簡単な採取依頼のついでに、カイルがミナトに「最低限の自衛」を叩き込もうとしたからだ。
「いいか、ミナト。君には魔法の素養もなければ、剣の筋も最悪だ。だが、昨日の地下水道で見せたあの『違和感を拾う直感』だけは、この世界の理から外れている。何かあるはずだ、君にしかできないことが」
「そんなこと言われても、俺、ただの帰宅部ですよ? あ、カイルさん、危ない!」
ミナトが指差した先。茂みから飛び出してきたのは、森で遭遇した多眼の狼よりも一回り小ぶりだが、極めて俊敏な『ホーンラビット』だった。鋭い角を持つその魔物が、ミナトの喉元を目掛けて跳躍する。
「……っ、しまった」
カイルが手をかざそうとしたが、魔物との距離が近すぎた。
ミナトは恐怖で琥珀色の瞳を見開き、無意識に、けれど強く、「死にたくない」「地面に落ちろ」と――その事実だけを魂の底から願った。
その瞬間。
カイルの眼に、ミナトの周囲が虹色のノイズと共に強制的に「書き換わる」のが見えた。
本来、空中で制動が利くはずのない魔物の体が、まるで透明な手で叩きつけられたかのように、不自然な角度で地面へと激突した。
激しい土煙。魔物は自らの突進速度に耐えきれず、絶命していた。
「……は、え……? 今、何が起きたんだ?」
ミナトの震える手が何も捉えられず、カイルに視線を送る。
カイルは驚愕に目を見開いていた。今のは魔法ではない。因果そのものを捻じ曲げ、望んだ「結果」を世界に強制した――神権にも似た、いや、それ以上に理不尽な強制力だ。
「……ミナト。今のは君がやったのか? 『こうなる』と、決めたのか?」
「え、あ、はい。なんか、絶対地面に落ちろって思ったら、勝手に……。え、これ、もしかして俺の最強チート能力!? 『事象確定』的なやつ!?」
ミナトの顔が、一瞬で期待に輝いた。
一度決めた事象を100%確定させる。それがあれば、神だろうが魔王だろうが、指先一つで倒せるのではないか。
「カイルさん! 見ててください、次はあの岩を消し飛ばして――」
ミナトが格好をつけて指を鳴らそうとする。
……が、何も起きない。
虹を出そうとしても、宝くじを当てようと願っても、世界は沈黙したままだ。
「あれ? おかしいな。えいっ! 消えろ! 爆発しろ! ……あ、れ?」
「……ミナト。どうやら、その力には相当な制約があるようだな」
カイルは冷静に分析を始めた。
「一度発動してから、君の魂の回路が閉じている。……おそらく、一日、あるいはそれ以上の間隔が必要なんだろう。それに、発動の瞬間、君はひどく『確信』していた。無意識の切羽詰まった状況でのみ引き出されるのか、強い意志や執念によるものか...」
ミナトは、自分の手を呆然と見つめた。
一日にたった一回。
「……いやいやいや! 一日に一回だけ!? しかも、さっきみたいに『ウサギを地面に落とす』とかいうしょぼいことに使っちゃったら、その日はもう終わりってことですか!?」
「おそらく、そうだろうね」
「び、びみょうじゃねぇかぁぁぁーーーーっ!!!」
のどかな丘に、ミナトの魂の叫びが木霊する。
膝を突き、地面を叩いて悔しがるミナトを、カイルは冷ややかな、けれどどこか愉快そうな眼差しで見下ろしていた。
「……ミナト。いつまでその無様な格好をしているんだ。その『一回』を無駄遣いさせたのは、君自身の油断だろう」
「いやいやカイルさん! これ、絶対におかしいっすよ! 転生特典なら、もっとこう『無限魔力』とか『スキル習得百倍』とか、もっと連発できるもんじゃないんですか!? 一発撃ったらリロードに一日とか、どこの旧式兵器ですか俺は!」
ミナトは涙目で訴えるが、カイルはフンと鼻で笑い、顎を摩った。
「むしろ、僕からすればその制約こそが救いだ。……ミナト、君は自覚していないようだが、今君が使った力は、魔力や物理法則の枠組みにすら入っていない。君が『こうなる』と確信した瞬間に、世界がそれに合わせて辻褄を合わせた。……それは、僕たちが知る『魔法』とは決定的に異なる、最悪の理不尽だ」
カイルの瞳に、一瞬だけ知略家としての鋭い色が宿る。
もし、ミナトが「カイルの家族はここへ現れる」と確定させれば、世界は無理やりにでも家族を連れてくるだろう。だが、その代償としてどれほどの因果が歪み、世界に新たな「バグ」を生むかは未知数だ。
(……この少年を野放しにするのは、あまりに危険だ。あるいは、僕の側に置くのが、この世界にとって最も安全な管理方法かもしれないな)
「な、なんすかその『観察対象を見る目』は……。俺、実験台とかご免ですよ?」
「安心しろ。君のような未熟者にこの力を使いこなせるとは思えない。……さて、ギフトの確認も済んだことだ。街へ戻るぞ。昨日地下水道で泥を啜った分の報酬が、ギルドから支払われているはずだ」
「……うぅ。なんかさりげなくディスられてる気がする。せめて美味いもん食わせてくださいよ。もう肉だ、肉! 豪華な宮廷料理とは言わないから、とにかく肉!」
◇
夕暮れ時の街。
二人はギルドで受け取ったばかりの銅貨を握りしめ、路地裏にある一軒の食堂の門を叩いた。
香ばしいスパイスと肉が焼ける匂い、そして荒物たちがジョッキを傾ける喧騒。
「はいよ! 今日のオススメ、オーク肉の煮込みと黒パンだ!」
目の前に置かれたのは、ゴロゴロと肉が入ったスープと、岩のように硬そうなパンだった。
ミナトは「待ってました!」とばかりにスプーンを手に取る。
「……カイルさん。これ、パンよりずっと『飯』って感じがしますね」
「……そうだな。……いただきます」
カイルは、ふと自分から出たその言葉に、胸の奥がチクリと痛むのを感じた。
『いただきます』。それは、家族と食卓を囲む時に必ず交わしていた、大切な約束。
セシリアが微笑み、リュミとエトが声を合わせる、あの温かな空気。
「……カイルさん?」
ミナトが、大きな肉を口に運びかけたまま、不思議そうにカイルを覗き込んできた。
カイルは咄嗟に表情を繕い、スープを一口啜る。
「……少し、味が濃すぎるな。あの男ーーガイアスが喜びそうな下品な味だ」
「へぇ、カイルさんの仲間は、こういうのが好きなんですね。……いいじゃないですか。まずは腹を満たして、明日からまたその『下品な味の男』を捜しましょうよ。俺の微妙なチートも、ここぞって時に役に立つ……はずですから」
「……期待せずに待っておくよ」
カイルは自嘲気味に笑い、パンをスープに浸した。
ミナトの図太さと、異世界という現実。
家族と離れ離れになってから、初めて味わう温かな食事。
カイルは、隣で「熱っ! これ超美味いな!」とはしゃぐ少年の姿を視界の端に捉えながら、自分の中にあった孤独が、少しずつ「二人分の目的」へと上書きされていくのを感じていた。
――琥珀の瞳を持つ少年と、白銀の力を秘めた青年。
凸凹コンビの旅は、ここから本格的に「街の外」へと、その歩みを進めていくことになる。




