第四楽章 「斜陽の街と、消えない空白」
森を抜けた先、街道を半日ほど歩いた場所にあったのは、2人の予想を上回る規模の城塞都市だった。石造りの強固な外壁と、ひっきりなしに行き交う馬車。行き交う人々は多種多様な色彩を纏い、活気ある声が石畳に反響している。
「うおぉ……すげぇ、マジで異世界の街だ……。カイルさん、ここ、RPGのスタート地点にしては規模デカすぎません?」
隣で目を輝かせるミナトを、カイルは冷ややかな、けれどどこか急いたような目で見やった。
「……ミナト。約束通り、街まで送り届けた。ここからは好きにするといい。君の世界の道具を売れば、数日は食いつなぐ金くらい手に入るだろう」
「えっ、ちょ、カイルさん!? マジでここでサヨナラっすか?」
「僕は、遊びに来たわけではないと言ったはずだ」
カイルはミナトの返事も待たず、人混みの中へと踏み出した。
今のカイルを動かしているのは、義務感に近い焦燥だった。これだけの人が集まる場所なら、あの異常な空間転移の噂や、目立つ特徴を持った「家族」たちの痕跡が一つくらいは見つかるはずだ。
――だが。
現実は、カイルをあざ笑うかのように残酷だった。
カイルは感情を殺し、かつて「神」として君臨していた頃のような冷徹なまでの効率さで、街中の情報を洗い出した。
「白銀の髪の少女と、黒銀の髪の少年……? どちらも宝石みたいな美形だって? いや、そんな目立つガキ、見たら忘れないねぇ」
「魔王のような角を持つ男に、純白の慈愛を感じる聖女? 冗談はやめてくれ、衛兵に捕まりたいのかい」
返ってくるのは、一様に首を振る動作ばかり。
白銀のリュミも、黒銀のエトも。全てを見通すような聖女も、風のように走る勇者も。
この街の誰も、彼らの存在を知らなかった。
陽が傾き、街が橙色の光に包まれ始める。家路を急ぐ人々が、楽しげな笑い声を上げながらカイルの脇を通り過ぎていく。どこからか漂ってくる、夕食を準備する温かな匂い。
(……いない)
カイルは人通りの少ない裏通りの石壁に、力なく背を預けた。
世界の理を書き換える力を持つ半神。そんな圧倒的な力を持ちながら、自分は今、家族がどこで生きているのか、あるいは本当に生きているのかさえ、何一つ掴めていない。
「……っ……ぁ……」
視界が、急激に歪んだ。
昼間の冷徹な仮面が、夕闇に溶けるように剥がれ落ちていく。
震える指先で顔を覆うと、熱い雫が手の甲に零れた。
神権を分け合った、あの暖かい絆の感触が消えてしまったかのように、胸の奥が冷たくて、痛い。
知略を尽くしても、力を尽くしても届かない。かつて泥の中でガイアスに抱きしめられた時のような、あの「無様な自分」が、再びカイルを飲み込もうとしていた。
人混みの中で、自分だけが世界から切り離されたような、耐え難い静寂。
カイルは溢れ出しそうな嗚咽を必死に飲み込み、誰にも見られないよう、暗い路地裏で独り、崩れ落ちそうになっていた。
「……ったく、見つけるのに苦労しましたよ。カイルさん、足速すぎ」
不意に背後から響いたのは、この状況にはあまりに不釣り合いな、間の抜けた声だった。
カイルはびくりと肩を跳ねさせ、咄嗟に腕で目元を拭った。だが、一度溢れ出した感情の揺らぎを完璧に隠し通すことはできない。
「……ミナト……。君、なぜ……」
「なぜって、そりゃカイルさんが一人で泣いてそうな顔してどっか行ったからですよ。現代っ子の勘をなめないでください」
ミナトは茶化すように言いながらも、カイルの隣に並び、所在なげに石壁に背を預けた。カイルの痛々しいほどの震えに気づかないふりをしながら、彼はポケットから取り出した、少し潰れたパンを差し出す。
「ほら、これ。お近づきの印にまた半分。……話、聞きますよ? 誰かに喋らないと、頭良すぎて爆発しちゃいそうですし」
カイルは差し出されたパンを見つめ、それからようやく、消え入りそうな声で口を開いた。
「……あいつらは、僕のすべてなんだ」
ぽつり、ぽつりと。夕闇が路地裏を浸食していく中、カイルはこれまでの旅を振り返るように語り始めた。
「魔王のガイアス……。粗野で不器用で、僕の淹れるコーヒーにいつも『甘すぎる』って文句をつける男だ。でも、僕が自分の罪に潰されそうになった時、泥まみれで僕を抱きしめて『無様でも生きていろ』と言ってくれたのは、あいつだった」
カイルの瞳に、温かな、けれど切ない光が宿る。
「聖女のセシリアは、僕が神として君臨していた頃に見捨てた場所の生き残りだ。それなのに彼女は、僕の汚れた手を握って『共に歩みましょう』と笑った。……彼女の祈りに、僕は何度も魂を救われた」
それから、若き勇者レオンの真っ直ぐな眩しさ。賑やかな魔法使いリリィが「日常」を記録し続けようとする懸命さ。そして、名前を授けた小さな獣人の少女であるフローラの暖かい優しさ。
「そして……卵から生まれた時から見守ってきた、白銀と黒銀の龍族の双子。リュミとエト」
カイルの声が、いっそう震える。
「あの子たちは僕の『希望』と『絆』の象徴なんだ。僕を『お父様』と呼んで、あんなに笑ってくれていたのに。……彼らとのあの食卓こそが、僕の全てだった。それを、僕は……」
語るうちに、カイルの中で「家族」という概念が単なる知識ではなく、血の通った記憶として蘇っていく。ガイアスの背中の広さ、セシリアの髪の香り、子供たちの体温。
それらは、システムの一部として生きていた「神」のカイルには得られなかった、不完全で、けれど至高の宝物だった。
「……なんだ。カイルさん、めちゃくちゃ愛されてるじゃないですか」
ミナトが静かに言った。
その言葉には、同情ではなく、確固たる納得がこもっていた。
「そんなに濃い連中が、カイルさんを一人にするわけないですよ。もし俺がそのガイアスさんとかだったら、意地でも地獄から這い上がってきて、カイルさんに文句言いに来ますね」
「……ふっ、そうだな。あいつなら……やりかねない」
カイルは自嘲気味に、けれど今日初めて、心からの微笑を浮かべた。
ミナトの言葉はあまりに短絡的で、何の根拠もない。けれど、その「人間味のある確信」が、カイルの凍りついた心を確実に溶かしていった。
「……ミナト。君は、本当にお節介だな」
「よく言われます。……で、カイルさん。一人より二人の方が、効率いいですよね? その『最強の家族』捜すの」
カイルは夜空を仰いだ。
そこには、かつての自分が見守っていた無機質な星々ではなく、今はまだ見ぬ家族も同じ空を見上げているかもしれないという、希望の灯火がまたたいていた。
「……ああ。仕方ない。ここまでの約束だったが、しばらくは君の『不敬』に付き合ってやるとしよう」
こうして、路地裏の片隅で、半神である一人の少年と一人の異邦人は、再び歩き出す決意を固めた。
カイルの目元はまだ少し赤かったが、その足取りには、先ほどまでの絶望を振り払うような力強さが戻っていた。




