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奏楽神話 〜君≠を救い出す旅路〜  作者: ぱんどいっち 
半神と異世界転生者の二重奏 第1番
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第一楽章 「異世界転生は、甘くない」

 視界が、ぐにゃりと歪んだ。

 耳の奥で、テレビの砂嵐のような不快なノイズが弾ける。

 浅葉湊アサバ・ミナトの意識が最後に捉えていたのは、部活の帰り道、西日に照らされた横断歩道と、耳を貫くトラックの急ブレーキ音だった。


(……あ、これ。死んだな、俺)


 暗闇の中で、ミナトは妙に冷静だった。ラノベやアニメで何度も見た、あのテンプレだ。次に目が覚めたら、真っ白な空間に女神様がいて、「おめでとう、君には特別なギフトを授けよう」なんて言うに決まっている。


 期待と、少しの不安。

 だが、次にミナトの鼓膜を震わせたのは、慈愛に満ちた女神の声ではなく、容赦のない「湿り気」と「生命の咆哮」だった。


「――っ、げほっ! ごほっ……なんだ、ここ……っ!」


 目を開けた瞬間、肺に流れ込んできたのは、濃密な緑の匂いと、嗅いだこともない獣の臭気。

 そこは、女神のいる神殿でも、のどかな農村でもなかった。天を突くほど巨大な樹木がひしめき、陽光すら遮られた鬱蒼とした深き森。


「嘘だろ……。異世界って、もっとこう、真っ白い空間で説明会とかあるもんじゃないのかよ……」


 ミナトは震える膝を叩き、誰もいない森の静寂に向かって、虚勢を張るように、そして自分を奮い立たせるように名乗りを上げた。


「……落ち着け。俺は浅葉湊。どこにでもいる、ごく普通の男子高校生だ。今日から異世界ライフを満喫する……はずの、転生者だ! よし、自己紹介終わり! ……で、ギ、ギフトは!? 聖剣とか、ステータス画面はどこだよ!」


 だが、虚空に指を振っても「ステータス」の文字は現れない。

 腰に聖剣はなく、手元にあるのは半分中身の減った麦茶が入った通学カバンだけ。

 その時、背後の茂みが重機でなぎ倒されたような音を立てて弾けた。


「グルゥゥ……ッ」


 振り返ったミナトの琥珀色の瞳が、恐怖に凍りつく。

 そこにいたのは、巨大な多眼の狼。元の世界の常識を置き去りにした「魔物」が、一跳びでミナトの逃げ道を塞いだ。


(死ぬ死ぬ死ぬ! 待て待て、俺、まだ何のチートも発動してないんだけど!?)


 ミナトはなりふり構わず走り出した。

 しかし、逃げ込んだ先は行き止まりの断崖だった。

 迫りくる凶悪な顎。ミナトが覚悟を決め、腕で顔を覆った、その時――。


 ――キィィィィィン


 鼓膜を震わせるほど澄んだ、硬質な『音』が響いた。

 襲いくるはずの衝撃が、来ない。

 恐る恐るミナトが目を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。

 

 目の前に、誰かが立っている。

 その人物が軽く指を振っただけで、あの大狼が、まるで目に見えない壁に叩きつけられたかのように、数十メートル先まで吹き飛んでいた。

 逆光の中に立つその姿に、ミナトの呼吸が止まる。


 さらりと流れる髪は、月光を煮詰めたような、神秘的な『白銀』。

 透き通るような肌と、どこかこの世の理を超越したような、中性的で完璧な横顔。


(き、きた……これ……!)


 ミナトの脳内に、これまでの人生で蓄積されたラノベ知識が急速にフル回転を始める。


(これだよ! 危機一髪のところで助けてくれる、超絶美人な守護聖女様!)


「あ、あの……! 助けてくれて、ありがとうございます、お姉さん!」


 ミナトは立ち上がり、目を輝かせた。

 だが、白銀の髪をなびかせた人物ーーカイルは、ゆっくりと首を傾げた。


「……お姉さん?」


 その声は、美しさの中に、明らかに青年の低さを孕んでいた。

 カイルはスッと目を細め、白銀の輝きを抑えていく。次第に髪の色は黒茶へと戻り、先ほどまでの神々しさは、どこか底知れぬ凄みと、観察者のような冷徹さを帯びた青年の気配へと変質していった。


「……君。その瞳、一体どうなっている」

「え? 瞳……って、目ですか? いや、生まれつきですけど……」


 カイルは答えず、じっとミナトの琥珀色の瞳の奥を見据えた。

 かつて全能であった頃も、そして今の不完全な半神としての眼でも、これほど「捉えどころのない」輝きを見たことがない。この世界の住人なら誰もが持つはずの、魂の根底にある『決まり事』のようなものが、その少年の目からは一切感じられなかった。


 それが何を意味するのか、今のカイルにはわからない。ただ、先ほどまで自分を「バグ」として排除しようとしてきた、あの高慢で冷酷な神々とは決定的に異なる、あまりにも矮小で――けれど同時に、見たこともない異質な気配を纏ったその少年に、わずかな興味を抱いただけだ。


「……いや、いい。僕の知ったことじゃない」


 カイルは興味を振り切るように視線を外し、無造作に歩き出した。


「えっ、ちょ、待ってください! 置いてかないでくださいよ! ここ、魔物とかいっぱいいそうだし!」


 ミナトは慌てて立ち上がり、泥を払いながらその背中を追う。


「勝手についてくるのは構わないが、足手まといになるなら置いていくよ。僕は……ある『痕跡』を追わなければならない。君の相手をしている暇はないんだ」

「そこをなんとか! ほら、俺、見ての通り無力な迷子なんで! 恩人さん、頼みますよ!」


 カイルは、背後から必死についてくるミナトの騒がしい足音を聞きながら、心の中で小さく吐息した。

 本来なら、家族と離れ離れになった今の状況で、正体不明の男を連れ歩く余裕などない。だが、この少年の放つ徹底的な「ひ弱さ」は、張り詰めていたカイルの心に、奇妙な隙間を作っていた。


「カイルだ」

「え?」

「僕の名前だよ。……君は?」

「あ、ミナトです! 浅葉湊!」

「ミナト、か。行くよ。あまり離れるな」



♢♢♢♢♢



 少し時間を遡る...



 ――熱い。

 いや、凍えるほどに冷たいのか。

 指先一つ動かすのにも、鉛のような重みが伴う。

 カイルは、泥の匂いが混じる下草に顔を伏せたまま、震える呼吸を繰り返していた。


「……っ……ガイ、アス……セシリア……っ!」


 泥にまみれた地面を強く掴み、声を絞り出す。だが、返ってくるのは冷たい風の音と、鬱蒼とした木々のざわめきだけだ。

 数刻前まで、そこには体温があった、「家族」と食卓を囲んでいたはずだった。リュミとエトの笑い声、ガイアスの淹れた苦すぎるコーヒーの匂い。それこそが、彼が神の座を捨ててまで手に入れた、唯一の真実だったはずだ。


 それが。

 たった一人の、道化の気まぐれ。その指先ひとつで。

 ゴミ箱をひっくり返すような雑さで、粉々に、徹底的に、粉砕された。

 空間が硝子細工のようにひび割れ、次元の渦が愛する者たちを飲み込んでいく光景が、網膜に焼き付いて離れない。


(僕は……また、失ったのか?)


 家族のためにLv.100にまで至り、世界を力ずくで書き換えて手に入れた幸福。それが、あまりにも。あまりにも、救いがないほどに脆く崩れ去った。その事実が、カイルの心を内側から削り取っていく。

 立ち上がる気力さえ湧かない。このままこの地の泥と同化してしまいたいという強烈な誘惑が、カイルを支配しそうになった、その時だ。


「助けて……誰でもいい、助けてくれ……ッ!」


 耳を打ったのは、あまりにも無様で、あまりにも必死な、若い男の悲鳴だった。

 その声の響きは、かつて絶望の淵で「生きたい」と願った自分自身の過去の慟哭と、どうしようもなく重なって聞こえた。


(……動け、僕の身体)


 半神としての本能が、絶望に沈もうとする意識を無理やり引きずり上げる。

 カイルは泥を蹴り飛ばし、悲鳴の主へと跳んだ。

 崖っぷちに追い詰められた少年。その背後から躍りかかる多眼の狼。

 カイルは迷うことなく、右手を一閃させた。


「――消えろ」


 神権の行使。

 キィィィィィン、という硬質な音と共に放たれた斥力が、巨大な獣を木の葉のように吹き飛ばした。

 溢れ出した白銀の魔力がカイルの髪を染め、月の雫のように輝く。それは、今の彼が「家族を守る」ためにのみ振るうと決めた、慈愛と破壊が同居する色だ。

 目の前で腰を抜かしている少年が、こちらを呆然と見上げているのがわかった。


「あ、あの……! 助けてくれて、ありがとうございます、お姉さん!」

「……お姉さん?」


 眉が動いた。

 その言葉に含まれた純粋な「勘違い」と、絶体絶命の直後とは思えない間の抜けた響きが、張り詰めていたカイルの毒気をわずかに抜いた。


 カイルはふぅ、と深く息を吐き、白銀の輝きを沈めた。

 髪の色が黒茶へと戻り、いつもの「人間」としての姿に収まる。


「……君。その瞳、一体どうなっている」

「え? 瞳……って、目ですか? いや、生まれつきですけど……」


 カイルは答えず、じっと少年の琥珀色の瞳の奥を見据えた。

 かつて全能であった頃も、今の半神としての眼でも、これほど捉えどころのない輝きは見たことがない。この世界の住人なら誰もが持つはずの、魂の根底にある「決まり事」のようなものが、その少年の目からは一切感じられなかった。


 それが何を意味するのか、今のカイルには分からない。ただ、自分から全てを奪っていったあの不条理な存在とはまた別の、あまりにも矮小で、けれど決定的に異質な気配を纏ったその少年に、わずかな興味を抱いただけだ。


「……いや、いい。僕の知ったことじゃない」


 カイルは興味を振り切るように視線を外し、無造作に歩き出した。

 今の自分には、家族を捜すという目的がある。こんな妙な少年に構っている暇はない。


「えっ、ちょ、待ってください! 置いてかないでくださいよ! ここ、魔物とかいっぱいいそうだし!」


 背後から響く、必死で騒がしい足音。

 カイルは無視して進もうとするが、少年は転びそうになりながらも懸命に食らいついてくる。その「一人にしないでくれ」と言わんばかりの必死さが、家族を失ったばかりの自分の孤独と共鳴し、胸の奥をざわつかせた。


「……勝手についてくるのは構わないが、足手まといになるなら置いていくよ。僕は……ある『痕跡』を追わなければならない」


 歩みを止めずに投げかけた言葉に、少年はぱあっと表情を明るくした。


「そこをなんとか! ほら、俺、見ての通り無力な迷子なんで! 恩人さん、頼みますよ!」


 恩人。その響きが、かつて「勇者」と呼ばれていた頃の自分を思い出させ、カイルは苦笑を噛み殺した。これほど騒がしい話し相手なら、歩いている間だけは、最悪の記憶を思い出さずに済むかもしれない。


「カイルだ」

「え?」

「僕の名前だよ。……君は?」

「あ、ミナトです! 浅葉湊!」

「ミナト、か。行くよ。あまり離れるな」


 こうして、一人の「元神」と、一人の「異邦人」による旅が始まった。

 まだ見ぬ家族との再会を信じて。そして、この奇妙な瞳を持つ少年が、いつか自分の運命を大きく変える存在になるとは、今のカイルはまだ、思いもよらなかった。

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