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第〇楽章 「道化師による幕開け⭐︎」

――視界の端で、嫌に白い光が跳ねていた。

 使い込まれた木の食卓。微かに漂う湯気の白濁。舌を焼く、ガイアスの淹れた暴力的なまでに苦いコーヒーの熱。

 すべてが、あまりにも完成された、幸福という名の停滞だった。

 

「おいカイル、また俺の肉を狙ってるだろ。……おいレオン! お前もぼさっとしてないで早く座れ。セシリアに叱られるぞ」


 ガイアスの野太い声が、鼓膜を心地よく震わせる。それに弾かれたように、黄金の髪を揺らしたレオンが、背筋を伸ばして破顔した。


「はい! すみません、今朝の素振りで少し遅れました。先代様、僕の肉がなくなっているのは……これも、僕の隙を突くための修行の一環ですね! ありがとうございます!」


 剥き出しの善意。奪われた肉すら「教え」として咀嚼してしまうレオンの純粋さに、隣のリリィが堪えきれずに吹き出した。


「あはは! レオン、それ本気で言ってるの? 修行じゃなくて、カイルがただ食べたかっただけだって!」


 カイルと視線を合わせ、悪戯が成功した子供のようにニヤリと笑う。彼女はカイルのイタズラ仲間であり魔法のプロ、その企みに真っ先に乗っかっては共に面白がる、最悪で最高の悪友だった。


「……レオン様、食べないの? なら、もらう」


 迷いのない、野生そのものの手つきで、フローラがレオンの皿から肉をさらう。期待に揺れる尻尾と、カイルに向けられた無垢な、何一つ曇りのない信頼の視線。


「……カイル様のご飯、やっぱり一番」


 食器の触れ合う音。他愛ない、けれど、これ以外に何も必要ないと断言できる、騒がしすぎる日常。

 

「勇者様、リリィ、二人とも、朝から騒がしいですよ。……リュミ、エト。そんなに急いで食べると喉に詰まりますよ?」


 セシリアが、凪のような慈愛を湛えて、口元を汚した子供たちを見守る。

 

「だってお父様、今日はお外で遊んでくれるって言ったんだもん!」

「……うん。お父様と、影絵あそび、するの」


 ああ、そうだ。そうだ。これこそが、僕の――。

 過去と未来の自分で神権を分かち、半神として己を定義し直してまで、泥を這うような思いをして手に入れた、唯一の『真実』。

 この温もりのためなら、どんな永劫も、どんな高みも棄てられる。そう確信していた、完璧な朝だった。



 ――なのに。



 心臓を汚い手で握り潰されるような、吐き気を催す『拍手』が響いた。


「パチ、パチ、パチ。――あはっ! きゃははははぁ! なにこれ、すっごく滑稽ぇ!」


 空間が硝子細工のようにひび割れる。

 次元の裂け目からぶら下がった、狂気的な極彩色を纏った女児が、逆さまにこちらを覗き込んでいた。


「ねえ、見たぁ? 今の見たぁ? 神権を切り売りしてまで『人間ごっこ』に必死な、半端者のなり損ないがいるよぉ! おかしいぃ、おかしくってお腹が痛いよぉお!」


 彼女がひとしきり笑い転げたかと思えば、次の瞬間、その顔から一切の感情が抜け落ちた。


「…………汚らわしいわぁ」


 鈴の音のように透き通った、けれど凍てつくほどに冷酷な宣告。


「神の座を棄てたり拾ったりぃ、泥を舐めてまで欲しがったのが……こんなゴミクズ? 冗談でしょうぉ? ねえ、本気なのぉ? カイル、君はいつからそんなに、救いようのない馬鹿になっちゃったのぉ?」


 言葉のナイフがカイルの精神を削り取る。半神としての理が、彼女の放つ異質な質量に圧倒され、霧散していく。


「――っ、みんな、僕のそばにッ!」


 椅子を蹴り、無様に手を伸ばす。

 レオンが、リリィが、フローラが、抗う術もなく次元の濁流へと飲み込まれていく。

 あと一寸。あと数ミリ。


 Lv.100という傲慢な数字。因果さえ捻じ曲げるはずの権能。そのすべてが、あやすような女児の手のひらの上で、無価値なガラクタへと成り果てる。


「あははぁ! ほら、あとちょっとぉ! 頑張って、頑張ってお父様ぁ! その中途半端な腕を伸ばして、大事な大事な『お人形さん』たちを捕まえてごらんよぉ!」


 リュミとエトの泣き叫ぶ声が、引き絞られたノイズとなって、カイルの脳髄を蹂躙する。


「お父様……ッ!」

「お父、さま……!」


 指先を、絡める。二度と離さないと。魂の最期の一滴まで使ってでも。そう誓い、繋ぎ止めたはずの幼い掌。指と指が、確かに熱を共有したその刹那。


「――あーあ、飽きちゃったぁ」


 女児が、ふっと死を囁くように、氷のように冷たい息を吹きかけた。

 

 感覚が、剥離する。

 掴んでいたはずの幼い熱が、さらさらと、無情な砂となって指の間をこぼれ落ちていった。



「きゃはははぁ! 落としたぁ! 落としちゃったぁ! 下手くそぉ、下手くそぉ! どんな気持ちぃ? 半分の神様になっても、たった二人のガキすら救えない気分はぁ。ねえぇ!」


 女児は今度は狂ったように自分の頭を叩き、地面を転げ回って嘲笑った。かと思えば、瞬きする間にカイルの背後に回り込み、その耳元で、逃げ場のない声を重ねる。


「ねえぇ! ねえぇ!! ねえぇえ!! どんな気分ぅ!? 自分の指がすり抜けて、子供が泣きながら消えていくのを見てた気分はぁ! ねえぇ!! ねえってばぁああ!!」


 粘りつくような、生理的な嫌悪感を伴う問いかけ。カイルの鼓膜に、脳髄に、その無邪気な悪意が直接流し込まれる。


「あっははははは、あははははぁ! さいっこうな顔ぉお! あはははぁ! あはははははぁ!!」


 女児は身を捩り、酸欠になりそうなほど笑い転げる。その笑い声が響くたび、カイルの心臓は凍りつき、守りたかった日常の残骸がさらに遠くへ押し流されていく。


「無力だねぇ、惨めだねぇ! その最高の絶望顔、ボクのコレクションに加えてあげるぅ。おままごとは、これでおーしまいっ!」


 視界が明滅し、反転する。

 光が死に、音が死に、ただあの道化の笑い声だけが、消えない熱となって網膜に焼き付いた。




     *




 「………………」


 先ほどまでの狂乱が嘘のように、女児の笑い声がぴたりと止まった。

 歪んでいた頬も、爛々としていた瞳も、急速に「無」へと戻っていく。小さい母音を交えた不気味な情緒は影を潜め、後に残ったのは、煮えくり返るような苛立ちを湛えた少女の素顔だった。


「……けっ、反吐が出る。何がコレクションだ、馬鹿々々しい」


 吐き捨てた声は、地を這うように低く、ドスの利いた響きを帯びている。

 少女は乱れた衣装を忌々しげに整えると、誰もいないはずの虚空を、燃えるような嫌悪の眼差しで睨みつけた。


「あ”ー、うざいうざいうざいうざいうざいっ! うざいんだよッ!!」


 絶叫とともに、少女は手近な空間を力任せに殴り抜けた。

 音を置き去りにした衝撃が爆ぜ、豪華だった食卓の残骸が、壁もろとも粉々に粉砕される。衝撃波だけで部屋の調度品がひしゃげ、凄まじい轟音が虚無の世界に反響した。


「……はぁ、はぁ……。おい、これで満足かよ。言われた通りに壊して、言われた通りに放り出してやったぞ。これ以上、私に何の用があるってんだ、あぁん?」


 肩で息をしながら、彼女は虚空に向かって牙を剥くように言い放つ。だが、すぐに乱れた前髪を無造作にかき上げると、吐き捨てるように声を漏らした。


「……あーあ。私らしくねえ。………うあ”ぁぁぁーーーーーーー!!……チッ、きもちわりぃんだよ!」


 自身の内側で渦巻く正体不明の苛立ちを叩き出すように叫び、鋭い舌打ちとともに毒を吐く。


 ふぅ、と長く、熱を吐き出す。


 冷え切った瞳で虚空を見つめていた彼女は、不意に、思い出したように口角を吊り上げた。


「――おっと。ボクとしたことが、お見苦しいところを見せちゃったねぇ!」


 瞬き一つの間に、刺々しい殺気は消失した。代わりに溢れ出したのは、先ほどまでと寸分違わぬ、粘りつくようなあの狂気だ。


「きゃははははぁ! 続きはまた今度ぉ! 頑張ってねぇ、カイル! ボクの最高のお人形でいてよねぇえ!!」


 耳をつんざく高笑いを響かせながら、彼女は世界の裂け目へと鮮やかに溶けて消えた。

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