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奏楽神話 〜君≠を救い出す旅路〜  作者: ぱんどいっち 
半神と異世界転生者の二重奏 第1番
12/21

第十一楽章 「雨上がりの奇跡、あるいは微かな残り香」

 領都の夜は、前の街とは比較にならないほど深い。

 カイルたちが選んだのは、大通りに面した中級以上の宿だった。ようやく確保できた「背中が痛まない」一夜に、ミナトはシーツの敷かれた清潔なベッドへダイブし、そのまま顔を埋めて身悶えした。


「う、うおおおぉぉ……! これだよ、これ! この沈み込むような感覚……。明日からはちゃんと人間として歩けそうだわ……」


「……はしゃぎすぎだ、ミナト。汚れた服のまま潜り込むんじゃない」


 カイルは呆れたように一言投げかけたが、その声にはいつもの鋭さはなかった。ミナトが幸せそうに寝息を立て始めるのを見届けた後、カイルは音を立てずにテラスへと出た。

 見下ろせば、領都の夜景が広がっている。

 無数の家々の窓から漏れる灯りは、地上の星々のようだ。だが、その光のどれ一つとして、カイルの知っている温もりではない。


「……これだけ、人がいるのに」


 カイルは夜空を仰いだ。昼間の聞き込みの成果は、相変わらず無に等しかった。

 この広い世界で、自分だけが置き去りにされたような、冷たい静寂が肺を刺す。

 ふと、視線の先で星が流れた。


(……ああ。あの日も、僕は今日みたいに諦めかけていたな)



     ♢


 脳裏に蘇るのは、カイルが全能を失い、Lv.1の無力な人間として皆と屋敷で過ごしていた頃の記憶。

 流星群が見られるというその夜、空は朝から分厚い雨雲に覆われていた。ぬかるむ足元、叩きつける雨粒。Lv.1の体では一歩進むのも困難で、カイルは丘の中腹で足を止めてしまった。


『……もういいよ。どうせこんな雨じゃ見えない。屋敷に戻ろう』


 弱音を吐き、うつむくカイル。だが、その背中に置かれたのは、確かな体温を持つ力強い手だった。


『何言ってんだカイル。お前が言い出したんだろ。俺たちがついてんだ、きっと晴れるさ』


『そうですわカイル様。大丈夫、みんなで登り切りましょう。奇跡は信じる者の前に現れるものですから』


 ガイアスやセシリアが、当たり前のように微笑んでカイルを支える。レオンやリリィも、雨に濡れるのを構わず前を向き、カイルを一人にはしなかった。

 そして何より、一番隣で袖をギュッと掴んでいたフローラが、言葉はなくともその瞳で「信じている」と訴えていた。

 五人に支えられ、励まされ、ようやく丘の頂に立ち、天を仰いだその瞬間。


 ――嘘のように、風が雨雲を切り裂いた。


 宝石を散りばめたような満天の星空。雨上がりの澄んだ大気の中で、無数の尾を引く流星たちが、次から次へと夜闇を駆けていく。


『……ほらな、言っただろ。俺たちの勝ちだ』


 泥だらけの顔で笑い合った、あの夜。

 自分の無力さを皆の信頼が埋めてくれた、あの再生の記憶。


     ♢



「……あの時の星は、本当に綺麗だったな」


 テラスの縁を握るカイルの手が、微かに震える。

 あの日、皆が信じてくれたように、今度もまた、この「諦めかけた心」を誰かが救ってくれるのだろうか。



        ◇



 同じ夜。領都の端にある、暗い路地裏。

 家路を急ぐ人々も寄り付かない薄汚れた石畳の上で、一つの小さな人影が立ち止まった。

 ぼろぼろの外套を深く被り、周囲を警戒するように耳をそばだてる少女。

 ふわり、と風が路地の奥から吹き抜けた。


「……っ」


 少女――フローラの鼻先が、微かに動いた。

 彼女の並外れた嗅覚が、数多の悪臭や生活臭の中に混じった、決して忘れられない、温かな「残り香」を捉える。

 それは、イタズラ好きな少年の遊び心と、不器用な優しさが混ざり合った、この世界で唯一の匂い。


「……ゆう、しゃ……さま……?」


 掠れた声が、震える唇から零れる。

 彼女は祈るように胸元を握りしめ、つい先ほどまでそこにいたかのような微かな香りを追い、闇の中へと一歩を踏み出した。

 絆の糸は、確実に同じ街の中で結ばれようとしていた。

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