第27話 騎士団長の答え
夜も更けた頃、扉が再び叩かれた。
答える前に、ガルドが入ってきた。
先ほどとは違う。
拳は解かれ、代わりに背筋が、これ以上ないほどまっすぐに伸びていた。
人払いは、すでに済んでいる。
二人きりの部屋で、堅苦しい呼び方を続ける理由はなかった。
「戻ったか」
「あぁ」
レオンは、書類から顔を上げた。
「答えは出たのか」
「出た」
短い返事だった。
だが、その一言に、迷いの余地はなかった。
「北国が欲しいのは、カリナの身柄そのものじゃない。詫びの形だ。だとすれば――詫びを差し出す人間は、誰でもいい」
「――まさか」
レオンの声が、低くなった。
「俺が行く」
静寂が落ちた。
「団の不始末は、団長の責任だ。護衛の任を許可したのは俺で、警備計画を承認したのはお前だ。筋を通すなら、こっちが先に立つのが道理だろう」
「筋の話をしているんじゃない!」
レオンは立ち上がった。
「お前を人質に出すつもりはない。カリナも渡さない。俺はそう決めた」
「気持ちは分かる」
ガルドの声は変わらなかった。
「だが、七日の間に、他に北国を退ける手立てがあるのか。ないなら、誰かが盤の上に立つしかない。それが俺なら、被害は最小で済む」
「被害の話でもない!」
「――なら、何の話だ?」
ガルドの目が、初めてわずかに揺れた。
「お前は、失うことを恐れているだけじゃないのか」
図星だった。
(昔の俺なら、失うなど気にしなかった言葉だ)
誰を失っても、心は動かなかった。
仲間が死んでも、手向けの言葉一つかけなかった。
それが今は、たった一言に、立ち尽くしている。
レオンは、答えられなかった。
ガルドの目にも、わずかな揺らぎが差した。
問うた声が、思いのほか震えていたことに、彼自身も気づいていないようだった。
「前に、俺は言った」
レオンは、絞り出すように言った。
「カリナを、便利な駒にするつもりはないと」
「あぁ、覚えている。だから話は早い」
ガルドの口の端が、わずかに動いた。
「なら、代わりに立つ人間が要る。それが俺で悪いか」
言葉に詰まる。
自分の言葉を、そのまま返された。
「妹を、盤の上に立たせたくない」
ガルドが続けた。
「それだけだ。理由なら、それで十分だろう」
レオンは、しばらく黙ってガルドを見ていた。
(それだけで、済む話か)
妹可愛さだけで、団長の首を差し出す男には見えなかった。
もっと重い何かを、抱えたままの目をしている。
「本当に、それだけか?」
「……何が言いたい」
「お前は、そこまで単純な男じゃない!」
レオンは、一歩詰め寄った。
「カリナのためだけなら、他にもやり方はあったはずだ。それでもお前は、自分が行くと決めた。理由が、それ一つだとは思えない」
ガルドは、しばらく答えなかった。
言葉を選んでいるというより、口にすることを渋っているようだった。
「……カリナだけの話なら、まだ簡単だった」
ようやく、低い声が落ちる。
「北国が本気で欲しいのは、詫びの形だけじゃない。俺たちがどこまで折れるか、それを測っている。カリナを渡そうが渡すまいが、戦を仕掛けたいなら、いずれ別の口実を作るだけだ」
「分かっている」
「なら分かるだろう。今この国で戦になれば、何も持ちこたえられない。儀式の後始末もついていない。民の信も、貴族の足並みも、まだ固まっていない」
ガルドの声に、初めて焦りに似た響きが混じった。
「そこへ戦が来れば、潰れるのはカリナ一人じゃ済まない。国そのものだ」
レオンは、黙って聞いていた。
「だから、時間を稼ぐ。俺という駒一つで、カリナを守り、開戦を先延ばしにし、この国が立て直る猶予を作る。それだけの計算だ」
「……それだけ、か」
レオンの声が、わずかに揺れた。
「俺のことは、勘定に入っていないのか」
ガルドの目が、初めて泳いだ。
「――入っていないと言えば、嘘になる」
絞り出すような答えだった。
「お前が潰れれば、元も子もない。今この国で、お前の代わりが利く人間はいない。それも、計算のうちだ」
「計算、な」
レオンは、短く笑った。
自嘲でも、苛立ちでもない、もっと複雑な響きだった。
「都合のいい言葉だ。国のためと言えば、自分の気持ちに蓋ができる」
「――」
ガルドは、何も言わなかった。
図星を突かれた者の沈黙だった。
「昔は、そんな遠回しな言い方はしなかったはずだ」
レオンの声から、抑えが薄れていく。
「お前も、俺も。まだ何も背負っていなかった頃は」
「昔の話をするな」
ガルドが、鋭く遮る。
「あの頃と今は違う。お前は玉座に座り、俺は騎士団長だ。友人のふりをしていい立場じゃない」
「ふりだと言ったのは、お前が先に線を引いたからだろう」
レオンも、退かなかった。
「……行かせない、と言ったら、聞くのか」
「聞かない」
即答だった。
「お前がどれだけ喚こうと、俺はもう腹を決めている」
気づけば、レオンの手がガルドの胸倉を掴んでいた。
「剣を持っていたら、刺してでも止める。俺が前に、お前に言ったようにな」
声が、抑えきれない怒りに震えていた。
ガルドは、その手を静かに払いのけた。
「――やってみろ。だが、お前にその剣は握れない」
低く、突き放すような声だった。
「お前はもう、一人の男じゃない。国を背負っている。私情で剣を抜けば、真っ先に潰れるのはお前自身だ」
レオンは、それ以上、言葉を継げなかった。
そして脳裏に、カリナの言葉が過った。
『――兄を守りたい』
同じ血が、似た形の覚悟を持っている。
だが、今目の前にいる男の覚悟は、それだけでは括れないほど、複雑に絡み合っていた。
「――カリナは、納得するのか」
「しないだろうな」
ガルドは、初めて表情を崩した。
苦く、しかし迷いのない笑みだった。
「だからこそ、俺が先に決めておく必要がある。あいつは放っておけば、自分が行くと言い出しかねない」
それに、とガルドは付け加えた。
「俺がいなくなれば、カリナの一番近くにいるのはお前になる」
「そうだな」
「勘違いするなよ」
念を押すように、ガルドは言った。
「今言ったことは、お前を信じたからする話じゃない。俺はまだ、お前を完全には信用していない。カリナを差し出せと言われた、あの頃と――いや」
言葉が、途中で止まる。
「……昔と、同じだ」
「……あぁ」
レオンは、それを否定しなかった。
卓上の蝋燭の炎が、小さく揺れた。
レオンは、拳を握り、止める言葉を探した。
だが、七日という時間の中に、それに代わる答えは見つからなかった。
「……分かった」
声を絞り出すように、レオンは言った。
「だが、これで終わりだと思うな。必ず、取り戻す。お前の覚悟も」
「言葉だけで済むと言ったのは、俺の方だったんだがな」
ガルドは、小さく息を吐いた。
「まさか、こういう形で戻ってくるとは思わなかった」
「約束は約束だ。刺してでも止めろと言った俺が、今度は取り戻すと言っている。筋は通ってる」
「……減らず口だけは変わらないな、レオン」
ガルドはそう言って、背を向けた。
「お前はお前の役目を果たせ」
部屋を出ていく背中に、迷いは一つもなかった。
残されたレオンは、しばらく動けなかった。
(俺には俺の......)
握りしめた拳の中に、その言葉だけが、いつまでも残っていた。
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