第26話 駒への通達②
返答の書状は、その夜のうちに発たせた。
安易に頭を下げず、しかし挑発もしない。
言葉を選び抜いた一枚だった。
シグルと二人、蝋燭の火が短くなるまで文言を練った。
それで、いくらかは時間が稼げるはずだった。
――そう思っていた。
***
二日後の朝。
執務室の扉が、ノックもそこそこに開いた。
「陛下」
入ってきたシグルの顔に、レオンは違和感を覚えた。
いつもの抑えた静けさではない。
もっと硬い、押し殺した何かがあった。
「北国から二通目です」
「……早いな」
返答すら届いていないはずの時期だった。
早すぎる二通目。
それ自体が、すでに何かを語っていた。
差し出された書状には、先のものより一回り大きな封蝋が押されていた。
国璽ではない。
王家の紋章――北国の王本人の印だった。
「直接きたか」
封を切る指先に、自然と力がこもった。
***
文面は、前回よりも短かった。
言葉数を削られた分だけ、迷いのなさがくっきりと残っていた。
『アルカディア国内における謹慎処分については、承知した。
だが、それは貴国の都合による裁きに過ぎぬ。
我が娘を害した罪は、北国の手によってのみ裁かれるべきものである。
近衛騎士カリナ・ヴァルニールの身柄を、七日以内に引き渡されたし。
応じぬ場合、両国の関係は破綻したものとみなす』
最後の一文だけ、他より力強い筆致だった。
『多少の軋轢は構わぬ』
レオンの指先が、紙の端を強く握った。
「……軋轢、だと?」
「あの御方らしい言葉です」
シグルの声は静かだったが、奥に苦いものが滲んでいた。
「娘を交渉の駒として扱うような方です。騎士の一人を要求することに、何のためらいもないでしょう」
レオンの脳裏に、謹慎中のカリナの姿が浮かぶ。
剣を取り上げられ、ただ一人、部屋の中で耐えているはずだった。
(あいつを、差し出せというのか)
守ると決めた人間を、交渉の駒として渡せと。
それが、当然のことのように書かれている。
「陛下」
シグルが一歩、机に近づいた。
「七日という猶予は、こちらに考える時間を与えたわけではありません。断れば戦になる。その覚悟を固めるための日数、というだけです」
「分かっている」
短く答えたレオンの声に、静かな熱がこもっていた。
「シグル」
「はい」
「ガルドを呼べ。この件は、あいつ抜きに進められない」
「すでに使いを出しております。じきに参るかと」
レオンは、シグルの顔を見た。
言われるまでもなく、動いていたらしい。
「……相変わらずだな」
「褒め言葉として受け取っておきます」
***
執務室の扉が、再び開いた。
今度はノックさえなかった。
立っていたのは、ガルドだった。
組まれるはずの腕は下ろされたまま、拳が固く握られている。
「陛下」
声は低く、抑えられていた。
だが、抑えられているからこそ、その奥にあるものが分かった。
「使いの者から、おおよそのことは聞きました。北国が……カリナを寄越せと」
「ガルド……」
「妹を、渡すおつもりですか」
問いというより、確認だった。
それは刃を突きつけるような、静かな圧力だった。
レオンは、ガルドの目をまっすぐに見返した。
「渡さない」
迷いのない声だった。
「だが、七日で答えを出す必要がある。北国が求めているのは、カリナ一人じゃない。俺たちがどこまで退くか、それを試している」
ガルドは何も言わなかった。
ただ、握った拳の中で、爪が皮膚に食い込んでいくのが見えた。
(この男が、何を考えているのか)
レオンには、まだ分からなかった。
沈黙を破ったのは、シグルだった。
「陛下。七日はあっという間です」
「分かっている」
「――ガルド殿も、そのおつもりで」
シグルの声に、いつもの飄々とした響きはなかった。
ガルドは答えず、ただ深く一礼して身を翻した。
閉じられた扉を、レオンはしばらく見つめていた。
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