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王様!ちょっと待ってください!~ネット小説の暴君王に、主婦のツッコミが届いてしまいました~  作者: だしのもと
第3章 戦場無敵王、沈黙の神を取り戻すため剣を捨てます

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第25話 崩れた舞台の上で②

 シグルは、走りながら状況を組み立てていた。


 核は戻った。

 だがそれで終わりではない。

 むしろそこからが本命だと、レオンの元に声が戻ったカヤの一言が告げている。

 レオン自身からは、具体的な言葉はなかった。

 けれど、指し示された方角だけで十分だった。


 ――リディア姫が危ない。


 この展開をまったく想定していなかったわけではない。

 しかし、敵はまず間違いなく核を狙うと見て、そちらへ意識を寄せていたのも事実だった。


「来賓席の導線を確保しろ!」


 走りながら鋭く命じる。

 だが返る騎士たちの動きは鈍かった。

 いや、鈍いのではない。

 散らされているのだ。


 広場のあちこちで悲鳴が上がっていた。


「押すな!」

「子どもがいるぞ!」

「北国の方々を守れ!」

「神殿が崩れる!」


 叫び声は互いを打ち消し合いながらも、確実に群衆の恐怖だけを増幅させていく。

 あちこちから、ほぼ同時に上がっている。

 狙って撒かれた混乱だ。


 シグルは舌打ちを飲み込んだ。


(やはり陽動……)


 矢は、始まりにすぎなかった。

 会場全体を崩す段取りが、最初から組まれていた。


 外縁では、ガルドが怒声を飛ばしていた。


「走るな! 押し合うな!」

「東側、来賓席へ人を寄せるな!」

「王席前、道を空けろ!」


 騎士団が次々に群衆へ割って入り、人の流れを制御しようとする。

 だが逃げようとする者、転んだ者、泣き叫ぶ子どもを抱えた者が折り重なり、秩序は一度崩れたら戻らない。


 ガルドの額には、すでに薄く汗が浮いていた。

 中央へ意識を寄せれば外縁が崩れる。

 来賓席を守れば王席が薄くなる。

 全部を守ろうとするほど、全部が少しずつ足りなくなる。


「団長! 西側で接触!」

「南側、民衆が押し寄せています!」

「来賓席へ誘導する者がいます!」


「止めろ! 通路を一本に絞れ!」


 命じながら、ガルドは来賓席の方角を見た。

 カリナがまだリディアの傍にいるのを視認する。


(ひとまず生きている)


 だが、その距離が今は妙に遠く見えた。


***


―――神殿 北国来賓席―――


 来賓席では、リディアが立ち上がっていた。


 周囲のざわめきは、もはや無視できるものではない。

 避難を促す声があちこちから飛び、北国使節の周囲にも人が集まり始めている。


「姫様、こちらへ」


 近くの侍女がそう言って手を差し出した。

 だがカリナが一歩前へ出て、それを遮る。


「待て。動線を確認する」


 声は低く、短い。

 いつもの寡黙さのままだが、そこには切羽詰まった鋭さがあった。


 リディアは頷いた。

 カリナが過剰に警戒しているのではないことを、もう知っている。


 カリナは周囲を見た。


 人の流れが不自然だ。

 北国側の席へ近づこうとする者と、逆にそこから逃がそうとする者が混ざっている。

 しかも、どちらもそ(・)れ(・)ら(・)し(・)く(・)見える。

 護衛でない者まで口々に「こちらです」「危険です」と叫んでいるせいで、正しい導線が埋もれてしまっていた。


「リディア様、私の後ろへ」


 そう言ってリディアを背に庇った時、背後に立っていたエルザが静かに息を吸った。


 そのほんの一拍前。


 群衆のざわめきに紛れるように、一人の隠密がエルザの近くへ滑り込んでいた。

 膝を折るほどの動作すら見せず、ただ主の背後を通る従者のような顔で。


「――失敗しました」


 囁きは短かった。


「核は王の手に」


 エルザの肩が、ほんのわずかに強張った。


 それだけだった。

 焦りも、苛立ちも、表には出さない。

 静かな侍女頭の顔のまま、ただ一度だけ視線を流す。

 その先には、混乱の中で避難導線を見極めようとしているカリナと、彼女に守られるように立つリディア。


 核回収は失敗。

 ならば次だ。


 エルザはごく小さく、指先だけを動かした。

 それは周囲の誰にも気づかれない程度の、ほんのわずかな合図だった。

 だが、それで十分だった。


 会場の別の場所で、買収された人員がさらに大きな声を上げる。


「北国の姫君をお守りしろ!」

「こちらの通路へ!」

「危険です、早く!」


 人の流れが一気に捻じれた。


 カリナは舌打ちを堪える。

 動線が変えられた。

 このまま席に留まれば群衆がなだれ込み、かえって危険だ。

 避難は必要。

 だが動かされている感覚がある。


「……リディア様、移動します。私から離れないでください」


「ええ」


 リディアは短く答えた。

 その声に怯えはあった。

 だが、取り乱しはしない。

 北国の姫として、見られていることに慣れた者の気丈さがそこにはあった。


 カリナは左手でリディアを庇い、右手を剣へ添える。

 前方の混乱、左右の視線、背後の気配。

 全部を拾おうとした、その時だった。


 目の前で子どもが転んだ。


「っ」


 反射的に、カリナの視線が一瞬だけそちらへ向く。

 母親が悲鳴を上げ、人波が不自然に膨らむ。


 その一瞬。

 人垣の陰から、影が滑り込んだ。

 光が反射したのは――短剣。


「リディア様!」


 叫ぶと同時に、カリナは身を捻った。

 剣を抜きざま、最初の一撃を弾く。

 金属音が高く鳴り、襲撃者の腕が外へ流れる。


 だが一人ではなかった。


 もう一つの影が、群衆に紛れてリディアの脇へ入り込んでいた。

 避難に追われる者の顔で。

 怯えた民衆を装った顔で。


 近い、と気づいた時には遅い。


「――っ!」


 鈍い音。

 布を裂き、肉へ入る感触。


 リディアの体が、かすかに揺れた。


 声にならない声が、喉の奥で潰れた。

 その白い衣装の脇腹に、じわりと赤が滲んでいく。


「リディア様!」


 カリナが叫んだ。

 返すように剣を薙ぎ、二人目の襲撃者の肩口を深く裂く。

 血が散る。

 襲撃者はよろめきながらも後ろへ倒れ、人波の中に呑まれる。


 だが遅かった。


 リディアの膝が崩れる。

 カリナは即座に抱き留めた。


「しっかりしてください、姫様!」


 リディアは答えようとした。

 だが声にはならず、浅い呼吸だけが漏れた。

 痛みよりも、何が起きたのかわからない驚きの方がまだ強い顔だった。

 血が、カリナの手を濡らしていく。


 その時、遅れてシグルが来賓席へ飛び込んできた。


 状況を一目で見る。

 倒れたリディア。

 支えるカリナ。

 まだ動く影。

 そして、背後で静かに立つエルザ。


 説明を待つ必要はなかった。


 シグルの剣が閃く。

 逃げようとした襲撃者の一人が、そのまま石畳へ崩れ落ちる。

 もう一人は短く悲鳴を上げ、群衆の中へ紛れようとするが、シグルは追わない。

 まず見るべきは、中心だ。


 リディアの前へ膝をつき、傷を一瞥する。

 深い。

 致命傷と断じるには早いが軽くもない。


 シグルの視線が、そのままエルザへ向いた。


「……北国の本当の目的は、これですか」


 低く、刃のような声だった。


 エルザは一切慌てることなく、ゆっくりと目を細める。

 それは怒りでも悲しみでもなく、冷えきった侮蔑に近い微笑だった。


「アルカディア王国の警備は、ずいぶんと杜撰《ずさん》なのですね。他者にその情報が流れるなんて」


 静かな声だった。

 周囲の混乱とは対照的なほど静かで、だからこそよく通る。


「我が姫が、このような場で傷つけられるとは」


 エルザは血に染まり始めたリディアの衣へ一瞬だけ視線を落とし、それから再びシグルを見る。


「これが、どういう意味を成すか。おわかりですか? 宰(・)相(・)殿(・)」


 カリナは歯を食いしばったまま、言葉を返せなかった。


 守れなかった。

 あの一瞬。

 視線を切った、たった一瞬の間に刃は届いた。

 リディアを抱く腕に、無意識に力がこもる。


「……申し訳、ありません」


 かすれた声で漏れたのは、誰に向けた言葉だったのか。

 リディアか、自分か、それともここにいない兄か。


 リディアは薄く目を開けた。

 意識はまだ切れていない。

 だが唇は青ざめ、呼吸は浅い。


 シグルは即座に立ち上がる。


「医官を! それと来賓席周囲を封鎖しろ! ここから誰も出すな!」


 騎士たちが走る。

 だが混乱はまだ止まらない。

 広場全体が、ゆっくりと確実に崩れ始めていた。


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