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王様!ちょっと待ってください!~ネット小説の暴君王に、主婦のツッコミが届いてしまいました~  作者: だしのもと
第3章 戦場無敵王、沈黙の神を取り戻すため剣を捨てます

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第25話 崩れた舞台の上で①

 足場が、限界を迎えた。

 傾いだ木組みが悲鳴のような音を立て、踏み板が一枚、弾かれるように外れる。

 支柱が折れ、仮設の階段は一気に片側へ沈み込んだ。


「きゃ――っ!」


 セレスの体が、崩れる足場の上で大きく傾いだ。


(――落ちる!)


 そう理解した瞬間、彼女はなおも御像へ向かって手を伸ばした。

 離してはいけない。

 あれを落としてはいけない。

 指先が届く、寸前。

 浮き上がっていた核が、ついに胸の窪みから外れた。


 赤い核が、ひと呼吸遅れて宙へこぼれ落ちる。

 セレスは反射的に身を乗り出し、そのまま落下の勢いに呑まれた。

 白い祈りの衣が、空中で大きく翻る。


 その次の瞬間には、さらに二の矢、三の矢が風を裂いていた。

 狙いは自分ではない。

 まっすぐに向かってくるその軌道を見て、セレスは反射的に悟った。


 (核だ!あれを狙って――)


 落ちながら、セレスはなおも両手を伸ばした。

 指先が空を掻く。

 二の矢が核の脇を掠め、三の矢がそのすぐ横へ突き立つ。

 空中で弾かれるように核の軌道がぶれた。

 それでも、セレスは諦めなかった。


「だめ……!」


 掠れた声とともに、ようやくその両腕が核を抱え込む。

 落としてなるものかと、ただそれだけで身を丸めた。


 その姿を見た瞬間、レオンはもう走り出していた。

 王席から祭壇までは近い。

 何か起きた時にすぐ踏み込めるよう置かれた距離が、ここで生きた。


 セレスが落ちる。

 その腕の中には、核。

 それだけを見て、レオンは石畳を蹴った。

 シグルも同時に走り出している。

 祭壇の下へ駆け込んだレオンは、落下してくるセレスへ両腕を伸ばした。

 祈りの衣の軽い布が、風を孕んでふわりと広がる。

 次の瞬間、衝撃が腕の中へ飛び込んできた。


 鈍い重み。

 だが思っていたより軽い。

 レオンは歯を食いしばり、その体を抱き止めたまま一歩、二歩とたたらを踏む。

 腕の中でセレスが小さく息を呑んだ。

 落下の衝撃で苦しそうに目を閉じているが、両腕だけはまだぎゅっと何かを抱き込んでいた。核だ。


「陛下!」


 シグルが鋭く声を飛ばした。

 その声とほぼ同時に、再び風切り音が頭上を掠める。

 シグルは抜き放った剣でそれを弾いた。

 キィンと細い金属音が乾いた空気に散る。


「祭壇からお下がりください!」


 周囲の神官が叫ぶがもう遅い。

 王が動いてしまった以上、神殿にとっても『何も起きていない儀式』ではなくなった。

 しかも混乱は、祭壇の周辺だけで終わらなかった。


「襲撃だ!」

「我々が襲われる!危ないぞ!」

「御像が崩れる!」


 別々の場所から、別々の方向へ向けて、恐怖を煽る声がいくつも上がる。

 ざわめきは一瞬で悲鳴に変わった。

 立ち上がる者、押し合う者、子どもを庇ってしゃがみ込む女、何が起きたのかわからないまま出口へ殺到しようとする群衆。

 広場は、たちまち秩序を失った。


「隊列を維持しろ!」

「押し返すな、導線を空けろ!」

「来賓席を守れ!」


 外縁から、ガルドの怒声が飛ぶ。

 騎士団が一斉に動き始めるが、民衆の波がそれを呑み込もうとしていた。


 シグルは広場全体へ視線を走らせた。

 不自然なほどに、叫ぶ者たちの位置が散りすぎている。

 恐怖が恐怖を呼び、群衆が自ら崩れていくよう計算された混乱だった。


「……仕組まれた混乱ですね」


「わかっている」


 レオンは短く返しながら、腕の中のセレスへ視線を落とした。

 微かに身じろいだのだ。


「セレス! 大丈夫か」


 呼びかけると、セレスは苦しそうにまぶたを震わせ、ゆっくりと目を開けた。

 落下の衝撃で息が浅く、頬も青ざめている。

 それでも、その腕だけはまだ離れていなかった。

 抱きしめるように守られた核が、白い袖の間から覗いている。


「陛下……これを」


 差し出された両手の中に、核があった。

 石とも金属ともつかない不思議な光沢を帯びたそれは、セレスの体温を移されたように熱を帯びていた。

 セレスの手はまだ離そうとしない。

 危険を冒しながら、ここまで守ってきたものだ。

 陛下へ渡す、その最後の瞬間まで、自分の役目だとでも言うように。


「……しっかり掴んでいろ」


「でも、陛下に……」


「今はいい。まず息を整えるんだ」


 セレスは一度だけ頷き、それからゆっくりと核をレオンへ押しつけた。

 震えた手から、レオンの掌へ。


 触れた瞬間――


 凍りついていた何かが、一気に流れ込んできた。

 気配、熱、ずっと失っていたもの。

 喪失の穴へ水が満ちるみたいに、それはレオンの内側へ戻ってくる。

 呼吸が一瞬止まり、次の瞬間には、堰を切ったように繋がった。


『――さま! 王様!』


 聞こえた。

 間違いなく、あの声だった。


「……カヤ!」


 驚愕と安堵と、失っていたものを取り戻した喜びが一度に噴き上がり、ぶっきらぼうな王の表情を崩した。


***


 現実世界で、由奈は大きく息を吸い込んだ。

 今まで胸を押さえつけていた重しが、嘘みたいに消えていた。

 頭の奥で鳴っていた鈍い痛みも、いつのまにか引いている。

 息が、ちゃんと胸の奥まで入ってくる。


 つながった。


 そう思った瞬間、耳の奥へ聞き慣れた声が飛び込んできた。


『カヤ!』


「王様!」


 由奈は半ば叫ぶように声を上げた。

 やっと通じたこのへの喜び。

 セレスもレオン達も無事だったのだと、今すぐそれだけで泣いてしまいたかった。

 けれど、それどころではない。


「王様! 再会の喜びは後で! 実は――」


 言いかけた、その時だった。


***


 異世界で、レオンの耳にもう一つの声が飛び込んだ。


『王様! リディア姫が危ないの!』


 カヤの声だった。

 先ほどまで封じられていたはずなのに、戻った瞬間にはもう広場全体の異変を掴んでいる。

 レオンがハッと顔を上げた。

 視線が、反射的に来賓席の方角へ走る。


「――シグル!」


 叫ぶと同時に、レオンはそちらを指さした。

 シグルは問い返しもしなかった。

 命令の意味を一瞬で汲み取り、踵を返して走り出す。


 混乱の渦が、来賓席の方角へじわじわと広がり始めていた。


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