第24話 祈りの舞台に立つ者たち①
―――神殿 祈りの広場―――
空はよく晴れていた。
祝福にふさわしい澄んだ青だと、誰かが言えばそう見えたかもしれない。
けれどレオンには、その空の下に広がるすべてが、薄く張った氷の上に乗っているように思えてならなかった。
広場には、夜明けのうちから人が集まっていた。
規則正しく並ぶ神官たちの白衣。
硬い表情のまま列をなす貴族たち。
北国使節の外套が風を受けるたび、広場の空気はわずかに冷えたように感じられる。
民衆は神殿側の誘導で区画を埋め、誰もが『創造神の祝福』を待っていた。
「聖女様だ……」
「我々に創造神の祝福をしてくださるはずだ」
ざわめきは波のように広がっては、また引いていく。
祭りのような華やかさがあるのに、底には張り詰めたものが沈んでいた。
だがレオンにはわかっていた。
ここにいる誰もが、祈りのためだけに立っているわけではない。
広場の中央には、神殿が用意した祭壇と御像が据えられていた。
白石の台座の上に立つそれは、優に三メートルを超える巨体を朝の光に晒しながら、なお冷たく沈黙している。
表面には古代文字とも幾何学紋様ともつかぬ複雑な刻印が走り、胸の中央には円形の窪みがあった。
その部分だけが不自然なほど滑らかで、光の加減によっては脈動しているようにも見える。
石像でありながら、ただの石ではない。
そう思わせる不気味さがあった。
(あそこに……いるのか)
レオンの視線はそこへ吸い寄せられた。
今すぐでも近づきたい。
踏み込みたいが、それは許されない。
「……ずいぶんと堂々と並べたものだな」
低く漏らすと、シグルは御像から目を離さないまま答えた。
「だからこそ、あちらは揺らがないのでしょう。民衆の目があります」
「今ここで下手に俺が動けば、神殿にとっては願ったりか」
「ええ。ですから、まだです」
レオンは小さく息を吐いた。
(わかっている)
わかっているからこそ、歯噛みするしかなかった。
ここで王が先に動けば、それだけで神殿に口実を与える。
セレスに託すしかなく、シグルの合図を待つしかない。
今は、耐える場だ。
シグルはレオンの二歩後ろに控えながら、御像ではなく広場全体を見ていた。
群衆の密度、神官の立ち位置のわずかなずれ、北国使節の視線の向き、来賓席と出入口の距離、騎士団の間隔。
個々の要素を拾い上げながら、広場という盤面を頭の中で組み立てていく。
(やはり……)
盤面が思った以上に整いすぎている、と言ってもよかった。
「北側の導線を詰めてください」
名を呼ばれた騎士が一礼し、すぐに持ち場へ走る。
「来賓席の背後は、念のためもう一列」
シグルはもう次の位置を見ていた。
「そんなに動かす必要があるか」
「あります。あまりにも舞台が整いすぎています。こういう時は、むしろ小さなずれの方が怖いです」
「仕掛けるのは神殿か? それとも北国か?」
「両方、と見ておくべきでしょう」
レオンは来賓席へ目を向けた。
リディアの背後に立つ侍女頭の姿が、朝の光の中でも影を帯び、妙に冷たく見えた。
***
―――観客席(北国陣営)―――
来賓席には、リディアが座っていた。
北国の姫としてふさわしい装いを纏い、集まる視線を静かに受け流している。
優雅な表情は崩れず、姿勢も揺らがない。
乱れないこと、それ自体が役目だと、リディアは骨の髄まで叩き込まれていた。
けれど意識の大半は、背後にあった。
振り向かずともわかる。
エルザが、いつも通り完璧な侍女頭の顔で立っている。
乱れのない姿勢、静かな眼差し、非の打ちどころのない立ち姿。
誰が見ても忠実な侍女頭にしか見えないだろう。
それなのに、ときおりその視線だけが主ではなく、場全体を測るように漂った。
ほんのわずかな違和感。
気のせいと言えば、それで済む程度のずれだった。
だが、だからこそ恐ろしかった。
すぐ傍らでは、カリナが一歩後ろに控えていた。
穏やかに立っているように見えて、その視線は休むことなく広場を見ている。
群衆、神官、北国使節、出入口、そしてリディアの背後。
「カリナ様。そんなに周りをご覧になっていたら、かえって目立ってしまいますわ」
リディアが小声で言うと、カリナは正面を向いたまま答えた。
「……失礼しました。ですが本日は、気を緩めるわけには参りません。こういう大衆が集まる場面では、何が起きてもおかしくありませんので」
硬い声音だったが、その一言が今は頼もしかった。
カリナがふと外縁へ目をやる。
その先でガルドもこちらを見ていた。
兄は何も言わず、ただ持ち場へ視線を戻した。
***
―――神殿 祈りの広場 外縁―――
広場の外縁では、ガルドが騎士団の配置を確認していた。
「南側、間隔を詰めろ」
「群衆が押したら、先に来賓席を下げろ」
「王の動線は常に空けておけ」
短く、無駄のない指示が飛ぶ。
部下たちはすぐに散り、持ち場を修正していく。
視線は王、来賓席、群衆、出入口を休みなく往復していた。
その流れの中で、カリナの姿も自然と目に入る。
そこにいると確認した瞬間、胸の奥がわずかに緩んだ。
ガルドはその感覚をすぐに押し殺した。
今の自分は兄ではなく、騎士団長だ。
守るべきは、この場全てでなければならない。
***
―――神殿 祈りの広場 中央―――
広場の中心では、オズワルドが静かに立っていた。
神官の一人が祭具の位置をわずかに直そうとすると、オズワルドはただ指先を動かし、無言で正しい位置を示した。
迷いのない所作だった。
その落ち着きは、今日という日がすでに自らの掌中にあると信じている者のものに見えた。
(王も、民衆も、北国使節も、この舞台の上では神殿の流れに従うほかない)
オズワルドは、王、来賓席、聖女と視線を移しほくそ笑んだ。
***
―――神殿 祈りの広場 祭壇―――
セレスは、祭壇の手前に立っていた。
(怖い……)
足が震え、喉が乾く。
広場に集まったすべての視線が、遠くにも近くにも感じられる。
神殿が何をしようとしているのか、もう知っている。
この儀式が何を縛り、何を奪おうとしているのかも。
それでも来るしかなかった。
あの御像の奥から聞こえた声は、今も耳の奥に残っていた。
苦しそうで、途切れそうで、それでも確かに助けを求めていた。
怖さより先に、助けたい気持ちがあった。
今度こそ届かなければならないと、セレスは胸の前で指先をそっと握りしめた。
その背を見つめながら、レオンは低く言った。
「……うまくいくと思うか」
シグルは視線を動かさずに答えた。
「あの方は進むでしょう。怖くても、震えていても」
一拍の間があった。
「先日我々の元に来た覚悟を持って、この場に立たれているのですから」
レオンは答えなかった。
セレスの細い背中が、震えながらも前を向いていることだけは、痛いほど伝わっていたからだ。
***
オズワルドが一歩前へ出た。
「これより、神の顕現を讃える公開の祈りを執り行います」
朗々とした声が広場に響く。
ざわめきは波が引くように収まり、すべての視線がゆっくりと中央へ集まっていく。
「聖女セレス様。御前へ」
呼ばれたセレスは、わずかに息を呑んだあと、歩き出した。
レオンは動かず、シグルは広場全体を見渡し、ガルドは外縁の警備を保っている。
来賓席では、リディアが表情を崩さず、その背後にエルザが静かに立っていた。
カリナは一歩も離れず、傍で周囲を警戒している。
誰もが、それぞれの持ち場で静かに息を詰めていた。
セレスがゆっくりと顔を上げる。
御像は、朝の光の中でも冷たく沈黙したままだった。
広場にいる誰もが、今この場で危ういのは彼女だと思っていた。
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