第23話 語られる神殿の真実②
部屋の中は、静かだった。
外廊下のざわめきはもう届かない。
シグルが扉の向こうを一度確かめ、それからレオンへ小さく頷いた。
神官たちはここへは入れない、わずかな時間だった。
セレスは両手を膝の上で重ね、一度だけ深く息を吸った。
指先の震えはまだ完全には収まっていなかったが、その目には打ち合わせの前とは違う光があった。
「……陛下が受けた浄化の儀。あれは、正式なものではありませんでした」
静かな声が、室内に沈んだ。
「『神降ろし』です。本来、禁じられているやり方で行われました」
レオンは黙って聞いていた。
儀式の直後から、カヤの気配は途切れていた。
シグルと話した時点で、その可能性はすでに頭にあった。
やはりそうだったか――と、それを確認するような感覚に近い。
シグルも表情は変えなかった。
ただ、目だけが細くなった。
「神殿の上層部は、それを知ったうえで行ったということですね」
「はい」
セレスは迷いなく答えた。
それから一拍置いて、目を伏せる。
「……禁忌の話だけではありません。他にも隠していることがあるのです」
レオンはわずかに顎を引いた。
「陛下。神殿が崇める慈恵神は、本来の神ではありません」
室内の空気が、ガラッと変わった気がした。
「神では、ない?」
驚く二人とは対照的に、セレスは静かに頷く。
「慈恵神は、人の祈りや願いが長い年月をかけて積み重なり、形を与えられ、神として祀られたものです。何百年もの間、人々の想いが集まり続けることで生まれた存在です。この事実を知るのは、歴代の聖女と歴代の神官長のみです」
人が生み出した神。
レオンはその言葉を頭の中で一度転がした。
嘘をついているようには見えない。
セレスは感情を乗せすぎず、ただ事実を並べていることが逆に、言葉の重みを増していた。
「なので神殿の秘密が外へ漏れないよう、聖女は外に縁を持たない子から選ばれます」
セレスは静かに続けた。
「つまり、『孤児』です。孤児院と神殿が深く結びついているのは、そのためでもあります」
レオンは無言で眉を寄せた。
その仕草にセレスは気づかぬふりをして構わず続ける。
「その中でも、神が宿る気配や、祈りの揺らぎを感じ取れる子が選ばれます。空気の澄み方や、逆に淀みのようなものを読むことのできる子です」
「なるほど。セレス様のような方ですか」
シグルが静かに言った。
「聖女とは、ただ祈りを捧げる役ではなく、そうした気配を感じ取る者でもあるのですね」
「はい」
セレスは深く頷いた。
それから、声のトーンが変わった。
「けれど」
レオンは自然と次の言葉を待っていた。
「慈恵神は人が作り出した神ではありますが、歴代の人々の想いが詰まっています。想いは人々を動かし、支えとなる。それは信じがたい力を、私たちにもたらしてくれるのです」
セレスの目が、レオンへと真っすぐに向いていた。
「祈った人が百万いれば、百万の祈りがそこにある。それは本物です」
少しだけ間があった。
「だから私は、あの存在そのものをただの偽物だとは思えません。だからこそ……それを権威のためだけに使う今の神殿の在り方が、悲しいのです」
レオンは何も言わなかった。
怒りでも諦めでもなく、セレスは悲しみと言った。
その言葉の選び方が、どういうわけか引っかかった。
(人の想いそのものを信じたかった、という訳か)
その時レオンは、セレスがどれほど長くこの秘密を一人で抱えていたのかを初めて思った。
歴代の聖女だけが知る事実を、選ばれた瞬間から背負わされていたのだ。
それでも神殿を離れず、祈り続けてきた理由は、先ほどの言葉の中にあった。
「続けてください」
シグルが静かに促した。
セレスは一度、目を細め小さく頷く。
「……そして、儀式に使われたあの御像の中には、何かがいます」
ささやくような声になった。
「私はずっと、そう感じていました。祈るたびに、人が追い詰められた時に漏らすような声が、あの中から苦しそうな声が聞こえるのです」
誰も、口を挟まなかった。
「たぶん、カヤ様なのだろうとは思っていました。ですが確信が持てないまま、声だけは、ずっと聞こえ続けていたのです。助けを求めているようで。それなのに私には祈ることしかできなくて」
セレスは胸の前で、握っていた指先に力を込めた。
「でも、数度だけ……私が祈りを捧げた時、その苦しみが少し和らいだように感じたことがありました。ほんの一瞬でしたが、確かに届いた気がしたのです」
レオンの眉がわずかに動く。
「だから助けられるかもしれないと、ずっと思っていました」
声がわずかに揺れたが、すぐに立て直された。
レオンは目を細めた。
「……カヤの気配が切り離されたあと、俺たちも御像を疑っていた」
ハッとセレスが顔を上げる。
「核にセレス様が触れれば、気配が戻るかもしれない。そう我々は考えてはいました」
シグルが続けた。
「ですが、確かめる術がなかった」
「……では、あの中にいるのは――」
「セレス様のお話で繋がりました」
シグルが静かに言った。
「御像の中に封じられているのは、やはりカヤ様なのでしょう」
沈黙が落ちセレスの目に、光が灯った。
涙ではなく、もっと前向きで長く抱えていた何かが解けた人間の顔だった。
「では……カヤ様を助けられるのですね」
誰もすぐには答えなかった。
答える代わりに、シグルが一歩前へ出た。
「整理させてください」
感情を抑えた、事実を並べるための声だった。
「神殿は、本物の神という絶対の権威を手に入れたかったのでしょう。慈恵神が人工の神であることを上層部は知っている。その上で、本物を手に入れようとした」
レオンは腕を組んだ。
「カヤを御像へ封じることで、か」
「はい。そのうえで、セレス様を王家へ輿入れさせる。そうすれば神の権威と王家への影響力を同時に握れる。神殿の支配力は、より確固たるものになる」
短い沈黙が落ちた。
セレスは膝の上の手をぎゅっと握っていた。
自分が『神殿の都合のいい駒として置かれていたのだ』と改めて言葉にされるのは、やはり堪えるのだろう。
シグルはそこで、視線を横へ流した。
「……加えて、北国もこの盤面を見逃しはしないでしょう」
レオンの目が細くなる。
「先日の儀式の後から、向こうは御像の核に強い関心を示しています。神殿はそれを知ったうえで、陛下と北国のどちらが先に動くかを見ているのは確実です」
窓の外から差し込む光が、床の上に移っていた。
その静かな明るさと、シグルの口にする内容の冷たさが妙に噛み合わなかった。
「やはり神殿は、俺と北国をぶつけたいのだろうな」
「ええ。どちらが先に動いても、神殿には利が残ります」
シグルは一度だけ頷き、目を伏せた。
「しかも、リディア姫が警告の書簡を寄越した以上、北国もまた神と国力を欲しているのは明らかです。実際の書状を見たわけではありませんが、これまでの流れから察するに、父王は本物の神を寄越せと迫っていると思われます」
リディアの整った筆跡。
その奥に滲んでいた切迫を、レオンは思い出していた。
「北国がこの儀式を、黙って見ているとは思えません」
神殿だけではない。
北国もまた、この公開の祈りを好機と見ている。
その瞬間、レオンの中で盤面が一段暗くなった。
「……神殿も北国も、カヤを奪いに来るということか」
「ええ」
シグルは即答した。
「神殿は王家を縛るため、北国は王国の足場を崩すために。思惑は違っても、狙う先は同じです」
誰も口を開かなかった。
セレスは胸の前で組んだ指先をじっと見つめ、それから意を決したようにレオンへ向き直った。
「もし、あの核に触れられるなら……今度こそ届くかもしれません。声が聞こえていたということは、つながりはある。私が直接触れれば何かが変わるかもしれません」
「はい。唯一の機会です」
シグルが頷き言った。
あの場に神官たちが集まり、御像に祈りを捧げる。
それ以外に触れる手段はない。
レオンはしばらく黙っていた。
『人が追い詰められた時に漏らすような声がし、苦しそうだった』とセレスは言った。
そして祈りを捧げた時、ほんの少しだけその苦しみが和らいだ気がしたとも。
(どれだけの時間、あそこに封じられているのか)
レオンはゆっくりと顔を上げた。
「……取り戻す。やつらの好きにはさせない」
静かな、短い言葉だったがレオンの決意の表れだった。
シグルが小さく息を吐いた。
セレスはその言葉を聞いた瞬間、ぎゅっと握っていた指先の力を緩めた。
簡単な話ではない。
御像は神殿が管理し、公開の祈りは大勢の民衆が見ている。
下手を打てば信仰を盾にされるし、北国が横から手を伸ばしてくる可能性だってある。
どこをどう動かしても、綺麗に片付く保証などどこにもなかった。
でも、レオンは「取り戻す」と言った。
それだけで十分だと、セレスの表情が言っていた。
扉の外では神官たちがまだ待っているだろう。
公開の祈りの準備は、表向き何も変わらない段取りで進んでいる。
だがこの部屋の中では、すでに次が決まっていた。
そして王と神殿が、本当の意味でぶつかる日が来ようとしていた。
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