第23話 語られる神殿の真実①
――― 王宮 執務室―――
窓の向こう、王宮の庭には整然と刈り込まれた常緑の木々が並んでいる。
いつもと変わらない朝の景色だった。
だが今日は、その静けさがどこか張り詰めて見えた。
レオンが書類に目を落としていると、静かなノックの後、シグルが入ってくる。
今日も変わらず落ち着いた所作だったが、その手には報告書ではなく、封書が一通握られていた。
「陛下。リディア姫より、書簡です」
差し出された封書を、レオンは少し意外そうに受け取った。
リディアからこの時間に手紙が届くとは、予想もつかなかったからだ。
「カリナ殿が直接、私に預けてきました。正式に護衛として姫の傍へ入ったようです」
「……カリナから?」
リディア直属の侍女からでなく、護衛についたカリナから届けられたことに不思議を覚えながら、レオンは封を切った。
そして中の文面へ目を走らせる。
文面は品格が伺えるほど丁寧だった。
だが、その整った文字の奥にある切迫は、隠しきれていなかった。
書かれていたのは、父王の命によってアルカディア王国の国力を削ごうとする動きがあること。
リディア自身の身近にまで及んでいるということ。
そして、長く仕えてきた侍女頭さえも、もはや信用の置ける立場ではないということ。
最後に短く、カリナを自身の傍に置く許可への感謝が記されていた。
几帳面に整えられた筆跡が、却って胸に重くのしかかった。
ここまで書かざるを得ない状況に、リディアは追い込まれている。
北国から手紙が届いていた時点で、既にわかっていたことではある。
わかっていても、こうして文字で目にすると、重みが違った。
「……北国の動きは、彼女の周囲だけではないのか」
レオンが手紙から目を上げると、シグルが静かに続けた。
「王宮内でも怪しい動きが出てきています。おそらく、人員がそこそこ北国に買われたのでしょう」
「内情が洩れている可能性があるのか」
「その可能性は高いかと。公開の祈りの進行も、想定以上に厳密にしなければなりません」
レオンは手紙を机へ置いた。
もうこの戦いは、外だけではない。
城の内側でも、すでに始まっている。
北国の工作、王宮内の浸透、神殿の監視。
すべて『公開の祈り』という舞台へ向かって収束していく気がした。
『カリナが護衛につき、この手紙まで届けてきた』という事実が、昨夜のことを呼び起こした。
あの夜の訓練場。
木剣越しに向けられた、ガルドの険しい眼差しが脳裏によみがえる。
『妹を都合よく使うなら、黙っていない』
『俺はまだお前を信用していない』
レオンは無意識に胸元へ手を当てた。
傷など残ってはいない。
それでも――前世の記憶の傷の場所が、ときおり思い出したように痛む気がした。
シグルがその仕草に気づいたかどうかは、わからない。
彼は静かに告げただけだった。
「……本日の神殿との打ち合わせに、セレス様もいらっしゃいます」
レオンは手を下ろした。
「行くか」
***
――― 王宮 応接間―――
場を移すと、まもなく扉が開いた。
神官が二人、セレスを挟む形で入ってくる。
「本日の進行確認のため、セレス様をお連れしました」
先頭の神官が過度なくらい、丁寧に低く言った。
かえって丁寧すぎて隙がなく、それが不気味ですらあった。
セレスは目を合わさず俯きがちに、静かに会釈をした。
その仕草にレオンは一瞬、視線を止めた。
いつも神殿で見るセレスは、もう少し落ち着いた印象がある。
だが今日は、明らかに顔色が悪かった。
唇に血の気が薄く、指先が小さく揺れているのが、遠目にもわかった。
それでも背筋だけは真っすぐに保っていた。
いや、保とうとしていた、と言うべきかもしれない。
「……顔色がよくないな」
「だ、大丈夫です……」
返事は上ずっていた。
大丈夫とはとても聞こえなかったが、それ以上は聞けない空気が漂っていた。
神官たちが、やや前へ出るようにして立っているせいかもしれない。
付き添いというより、見張るために立っているように見えた。
シグルは何も言わず少し細めた目で、セレスと神官たちを等距離で見ていた。
打ち合わせが始まった。
公開の祈りの立ち位置、順序、動線、祈りの言葉の確認。
先頭に立つ神官が、やたら細かく指示を出した。
「ここでセレス様が三歩前へ」
「両手の高さはこの位置で」
「言葉の速度は落としすぎず、ただし力を込めて」
まるで台本を読み上げるように、次々と条件が積まれていく。
セレスは、そのたびに頷いた。
だがその指先は、膝の上で小さく震えていた。
祈りの言葉を確認する声も、どこかいつもより浅い。
息を吸う間隔が、少し短すぎる。
レオンは書類に視線を落としながら、ずっと引っかかっていた。
(何かが、おかしい)
ただの緊張ではない。
セレスは聖女として、人前で祈る所作には慣れているはずだった。
それでもこんなふうに表面がほつれているとすれば、理由がある。
考えてみれば、セレスが進んでこの場へ来るはずがない。
神殿の人間に連れられ、神殿の段取りで進行を確認させられている。
彼女に選択肢などない。
それでも今日、彼女は何かを決めてここへ来た。
その緊張は、恐怖と意志が入り混じった類のものだ。
神官が「中央で祈る手順」を説明し始めたとき、それは起きた。
セレスがふらついた。
一瞬のことだった。
椅子から立ちかけた体が、そのままバランスを崩す。
レオンのいる方――前へ、ゆっくりと傾いていく。
「っ!」
咄嗟に立ち上がり、レオンは彼女を受け止めた。
思ったより軽かった。
腕の中で、セレスは目を閉じている。
「おい、大丈夫か!?」
神官たちが一斉にざわめいた。
その直後。
セレスの震える手が、レオンの袖をぎゅっと掴んだ。
「……へ、陛下」
声は、ほとんど吐息のように小さかった。
「お願いです……今は、話を合わせてください……」
レオンは固まった。
「……は?」
(話を合わす?)
何についてなのか、レオンは本当に意味がわからなかった。
再びセレスに声をかけようとしたレオンを制すように、シグルが即座に動き、傍で囁いた。
「陛下、セレス様の体調が優れないようです。別室へお移ししましょう」
神官たちが咄嗟に近寄って来た。
「い、いえ。シグル殿。聖女様は神殿でお預かりを――」
「王宮内での出来事です。宮廷医に診せます」
シグルの一声に神官の声が遮られた。
続けてレオンは静かに言った。
「王命だ」
それ以上の声は、上がらなかった。
セレスを抱き上げると、腕の中で彼女の息が止まったのがわかった。
次の瞬間、耳まで真っ赤に染まっていた。
だが今は、それを恥じている余裕すらないのかもしれなかった。
唇をきつく結んで、目だけ伏せている。
神官たちの焦りが、背中に突き刺さってくるようだった。
シグルが先に扉を開け、廊下を確保する。
角を一つ曲がり、小さな控えの間へ入ると、扉が静かに閉まった。
外のざわめきが、遠のいた。
レオンがセレスを椅子へ下ろすと、着地した途端に彼女は床に深く頭を下げた。
「申し訳ございません!」
「無理をするな。具合が悪いなら最初からそう言え」
「いえ、そうではなくて……!」
「顔も真っ赤だぞ」
「ち、違うのです……!」
レオンは本気でわからず、眉を寄せた。
違うと言われても、何が違うのかさっぱり見当がつかない。
さっきまでふらついていたうえに、今も耳まで赤いのだから、どう見ても体調の話にしか思えなかった。
「……どういう事だ?」
「陛下。たぶん、そういう意味ではありません」
シグルが静かに割り込んだ。
椅子を引き、セレスへ手を差し伸べ穏やかに促す。
「落ち着いてください。神官たちは、しばらくここへは入れません。今のうちにお話しください」
シグルが扉の向こうの気配を確かめ、レオンへ目を向ける。
沈黙が、短く落ちた。
セレスは震える息を一度だけ整えた。
それから、ようやく顔を上げる。
目が合った。
先ほどまでとは違う目だった。
覚悟を決めた人間の目だ、とレオンは思った。
「陛下。どうか、お聞きください」
声は静かだったが、揺るぎがなかった。
「神殿には、ずっと隠されてきた秘密があります」
レオンは、椅子の背に預けていた体を、静かに起こした。
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