第21話 もう一度、彼女たちに会うために②
応接室には、前回とは違う空気が漂っていた。
リディア、セレス、カリナ。
三人は再び同じ卓を囲んでいた。
銀の皿には菓子が並んでいるが、誰も手をつけようとしない。
リディアは背筋を伸ばし、姫として完璧な姿勢で座っていた。
表情は穏やかだが、どこか冷ややかで、前回のような柔らかさはない。
まるで北国の氷を纏ったように、氷姫としての仮面を被っている。
セレスは戸惑いを隠せず、視線をさまよわせていた。
カリナも眉をひそめ、リディアの変化に違和感を覚えているようだった。
エルザは部屋の隅に控え、その様子を静かに観察していた。
リディアの態度に満足しているのか、警戒を少し解きかけているようにも見える。
「本日もお時間をいただき、ありがとうございます」
リディアが口を開いた。
丁寧な口調だが、どこか距離を感じさせる。
「前回は和やかな席でしたけれど、今日はもう少し踏み込んだお話もできればと思っております」
セレスは小さく頷き、カリナは黙って視線を落とした。
しばらく、形式的な会話が続いた。
天気の話、王城の庭の話、どれも当たり障りのない表面だけの言葉だった。
やがて、リディアが明るい声でエルザに呼びかけた。
「エルザ、せっかくお二人とお友達になれたのですもの。今日は最高級の北国の紅茶をご披露したいのです」
エルザの目が鋭くなった。
数歩近づき、声を潜めて言う。
「そのようなことは‥‥‥わざわざ今なさらずとも。前回の席から、まだ日も浅うございます」
「だからこそ、です」
リディアは声を落とさず、これみよがしに微笑んだ。
「前回よりも一段、こちらの余裕を示すには良い機会です。それにご存知の通り、北国の茶は繊細です。温度が一度違うだけで風味が損なわれます。丁寧に支度をして差し上げなければ失礼というもの。準備にはそれなりのお時間をいただきますが、うちの侍女頭の腕を披露したいの」
笑顔を崩さず、セレス、カリナへと視線を移し、そしてエルザへと向けた。
「最高級の北国の茶でおもてなしする。我が国の格をお見せするのも、姫としての務めです。それともエルザ、北国の茶では不足があると?」
エルザの表情が硬くなる。
北国の紅茶は公式な席でしか振る舞われない、それほど格式のある品だ。
用意に時間がかかることも、彼女にはわかっていた。
しかし、リディアの言葉には、父王譲りの冷たい論理と圧があった。
「‥‥‥かしこまりました」
エルザは悔しげに一礼し、部屋を出て行った。
扉が閉まり、足音が廊下を遠ざかっていく。
その瞬間、リディアがふっと肩の力を抜いた。
完璧な姿勢が崩れ、背もたれに体を預ける。
表情もやわらぎ、申し訳なさそうに微笑んだ。
「‥‥‥さきほどはごめんなさいね。少し、よそよそしくしてしまいました」
セレスが目を丸くする。
「い、いえ‥‥‥少し驚きましたけれど」
「エルザ殿を警戒してのことでしょうか」
カリナが問うと、リディアは頷いた。
「ええ。ああでもしなければ、油断してくれないと思ったのです。それに、あの茶の支度には時間がかかります。温度の管理から茶葉の量まで、使用人でも手を抜けない。その間だけでも、ゆっくりお話できますわ」
セレスとカリナは顔を見合わせ、それから安堵したように息を吐いた。
リディアは立ち上がり、部屋の隅に置いてあった小さな包みを取り上げた。
そっと開くと、中には真新しい白いハンカチが入っている。
「それから‥‥‥これを」
リディアはカリナへ、そっとハンカチを差し出した。
「先日は助けていただきましたもの。お借りしたお礼です」
カリナは少し戸惑ったように目を瞬かせた。
「そのようなお気遣いは‥‥‥ですが、ありがとうございます」
「受け取ってくださると嬉しいです」
カリナは不器用ながらも嬉しそうに、ハンカチを受け取った。
そのわずかな間だけ、室内の空気がやわらいだ。
だが次の瞬間、リディアの表情はすっと引き締まる。
「あの話は、本当なのですね?」
カリナも真顔で頷いた。
「はい。手紙を破棄したのは侍女頭でした。会話の内容までは掴めませんでしたが、偶然とは思えません」
リディアは黙って聞いていた。
父の手紙。
エルザの行動。
北国が本当に望んでいること。
それらが、ひとつの線になっていく。
リディアの顔が青ざめた。
「‥‥‥そう、違うのね」
声がかすかに震える。
「父上は、婚姻が成ることだけを望んでいたのではないのだわ。むしろ破れた方が、王宮にも神殿にも深い傷を残せる。私は最初から‥‥‥結ばれるための姫ではなく、壊すための口実にされていたのね」
セレスが息を呑んだ。
カリナは重々しく沈黙している。
やがてカリナが、静かに口を開く。
「婚姻が破れた方が有利だとすれば、姫様ご自身に何か起こる可能性もあります。事故を装うことも、責をこちらへ向けることもできる。それが実行されるかはわかりません。ですが、選べる状況にあること自体が危険です」
リディアはカリナを見た。
「‥‥‥私自身が、火種になり得るということですね」
「はい」
沈黙が落ちた。
カリナが姿勢を正す。
「私には、支援してくださっている家門から『もっと陛下に近づくべきだ』とたびたび言われています。私自身、あまり好ましい話ではありません。ですが‥‥‥今回は逆に使えます。姫様方に比べれば、私はまだ監視が薄い。陛下へ接触する口実は作りやすいです」
リディアが顔を上げた。
「では、カリナ様が‥‥‥」
「はい。必要なら、私が動きましょう」
その返答に、迷いはなかった。
少しの沈黙が流れる。
それを破るように、セレスが勇気を振り絞って口を開いた。
「私も‥‥‥ご相談したいことがあります。陛下に、お伝えしなければならないことがあるのです」
リディアとカリナが、同時にセレスを見る。
「でも‥‥‥どう申し上げればよいのかわからなくて。神殿には、表にしてはならないことがあります。それをそのまま申し上げれば、多くを巻き込んでしまうかもしれません。けれど、黙っていてはもっと大きなことになる気がするのです」
リディアは、セレスの震える手をそっと握った。
「では、そのために陛下とお会いしなければならないのですね」
セレスは小さく、けれど強く頷いた。
リディアが考え込むように眉を寄せる。
「でも、この状態なら私から書状を出すのは危険ですわね」
「私から取り次ぐにしても、そのような重要な内容までは守れません」
カリナも腕を組んだ。
「神官たちの目が、以前よりずっと厳しくて‥‥」
セレスが小さく呟く。
三人は黙り込んだ。
目的は一致している。
でも、どうやってレオンに接触するか。
監視の目、神官の目、手紙の危険性。
どれを取っても、正攻法は難しい。
重い沈黙が落ちた。
その時、カリナが小さく咳払いをした。
言いにくそうに視線を逸らす。
「‥‥‥ひとつ案があります。でも、非常に勇気の要る方法ですし、できればもっと穏当な手段が望ましいのですが」
リディアとセレスが顔を上げた。
「どのような方法ですの?」
「その‥‥‥陛下の御前で、わざとお倒れになるのです」
セレスが目を丸くした。
「えっ‥‥‥?」
「ま、まぁ‥‥‥!」
リディアも驚いた声を上げる。
カリナは視線を逸らしたまま、少し頬を赤くして続けた。
「その‥‥‥市井で流行っている恋愛小説に、似た場面がありました」
リディアが目を瞬かせる。
その声には、驚きとほんの少しの興味が混じっていた。
「恋愛小説、ですか‥‥‥?」
「‥‥‥兄の部屋にあったものを、たまたま‥‥‥いえ、何冊かは自分でも」
カリナの声がどんどん小さくなっていく。
「カリナ様は‥‥‥その、実際に使ったことが?」
リディアが興味深そうに身を乗り出した。
頬にうっすら朱が差しているが、目は好奇心でいっぱいだ。
「なっ‥‥‥! そのようなことがあるはずないでしょう!」
カリナが珍しく声を裏返した。
「ただの、参考として‥‥‥! 読んだだけです、そう、読んだだけ!」
「あら、否定なさるということはつまり‥‥‥」
「リディア様!」
カリナが真っ赤な顔でリディアを睨んだ。
リディアはくすくすと笑いながらも、こほんと咳払いをして仕切り直した。
一方でセレスは、顔を両手で覆っていた。
「わ、わざと‥‥‥陛下の御前で‥‥‥倒れる‥‥‥? そんな、そんなこと‥‥‥でも、倒れるって、どう倒れるのでしょう‥‥‥ゆっくり‥‥‥? それともすとんと‥‥‥いえ、そんな問題では‥‥‥でも、声は出した方が‥‥‥いいえ、やっぱり‥‥‥!」
小声でぶつぶつと呟き続けるセレスに、リディアとカリナが顔を見合わせた。
「セレス様、大丈夫です‥‥‥?」
「はっ‥‥‥! す、すみません、取り乱しました」
セレスが真っ赤なまま顔を上げる。
「ただ、その‥‥‥あまりにも想像がつかなくて」
「でも、たしかに」
リディアは扇で口元を隠しながら、真剣な顔へと戻っていった。
頬の朱はまだ少し残っている。
「別室へお移りいただく理由にはなりますわね」
「はい。陛下も見捨てはされないでしょうし、周囲も最初は不自然と思わないはずです」
カリナもようやく平静を取り戻し、真剣な顔でセレスを見た。
「だからこそ、勇気が要ると申し上げました」
「わ、私にそんなことができるでしょうか‥‥‥」
セレスがまだ顔を赤くしたまま、不安そうに言う。
その時、廊下から足音が聞こえた。
リディアが小さく合図する。
三人は一瞬で表情を整えようとした。
だが頬の赤みはそう簡単には引かない。
「‥‥少し、顔が火照っておりますわね、お二人とも」
リディアがこそりと言うと、カリナが苦い顔をした。
「リディア様も人のことは言えないかと」
「ふふっ、そうですわね」
リディアは素直に認め、姿勢をすっと正した。
完璧な姫の仮面、穏やかな聖女の微笑み、静かな騎士の佇まい。
三人が揃って仮面を被る。
多少、頬が温かいのはご愛嬌だ。
扉が開き、エルザが紅茶の入った盆を運んできた。
「お待たせいたしました」
「ありがとう、エルザ」
リディアは優雅に微笑んだ。
紅茶が振る舞われる。
三人は何事もなかったかのように、表向きの会話を続けた。
「北国の茶は、とても香りが立ちますの」
「これは‥‥‥。確かにこちらでは味わったことのない格式のあるものですね」
「私のような身分で、このようなものを味わえるとは、恐縮です」
和やかな茶会。
けれどその裏には、秘密が隠されている。
交流会が終わり、セレスは神殿の自室へ戻った。
扉を閉め、一人になる。
セレスは窓辺に立ち、夕暮れの空を見上げた。
『わざと倒れる』
そんな大胆な真似を、本当に自分にできるのだろうか。
恐怖が胸を締めつける。
失敗して疑われ、そして神殿に知られたら。
でも、陛下に真実を届けるためなら。
セレスは胸の前で、そっと指を組み直した。
祈るだけではなく今度は、自分が動かなければならない。
その覚悟が、静かに胸の中で固まっていった。
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