第20話 「家族の中心」としての覚悟②
――— 現実世界 小林家 リビング―――
翌日。
ソファに深く腰を沈め、由奈はそっと息を吐いた。
家の中には、ぎこちないけれど温かい家族の気配がある。
ここには自分の居場所がある。
守るべき大切な現実がある。
その確かな重みを感じながら、由奈は手元のスマートフォンへ目を落とした。
画面に映っているのは『アルカディア王国戦記』のブックマーク画面だ。
あの日から、もう新しい言葉は聞こえない。
最新話は更新されるものの、画面の向こう側のレオンからの反応は途絶えたままだ。
由奈は画面を指先でそっとなぞった。
切なさが胸を締めつける。
(でも、ただ待つだけなんて、私らしくないよね)
由奈は顔を上げた。
声が届かないなら。
彼らが今どうしているのかわからないなら。
私には、私にしかできないやり方がある。
「繋がらないなら、読めばいいんだ……展開を」
ぽつりと呟いて、由奈は傍らのノートを開く。
そして書き出したのは、最新話に描かれていた、三人の妃候補たちの静かな同盟の場面。
北の姫リディア。
神殿の祈り手セレス。
そして近衛騎士カリナ。
よそよそしかった三人が、同じ卓で孤独を打ち明け合い、見えない絆を結んだ。
由奈はノートの端を、ペンの後ろで小さく叩く。
政治。
祈り。
武力。
こんなふうに役割の違う三人をわざわざ同じ卓につかせたなら、ただの顔合わせで終わるはずがない。
嫌な予感がした。
読者として積み重ねてきた勘が、静かに警鐘を鳴らしている。
(たぶん次は、この三人が一緒に立たなきゃいけない何かが来るはず)
そして、セレス。
茶会の席で、重大な秘密を話しかけようとして神官に遮られた、あの優しい聖女。
(ああいう、言いかけて遮られる子は危ない。きっと、いちばん重い役目を背負わされる)
そして、レオンだ。
神の繋がりがなくなり、頼るべき声も失われた。
これまで戦場を剣一本で切り開いてきた王に、また同じやり方だけで勝たせるはずがない。
きっと次に来るのは、剣ではどうにもならない何かを選ばされる場面だ。
ただ、これで生存ルートに入ったとまではまだ言えない。
こういう話は、少し関係が好転したからこそ、その先でもう一度きつく試してくる。
王様はまだ、人を信じ直している途中だ。
ここで何かを選び損ねれば、また簡単に崩れてしまう。
由奈はふと、晃のことを思った。
不器用で、言葉が足りなくて、自分のやり方しか知らなかったところ。
でも、少しずつ変わろうとしているところ。
どこか、レオンに性格も展開も似ている。
今の自分は、もう王様に直接は言えない。
でも……晃を支えることが、何かの形でレオンにも届くことはないだろうか。
(いや、そんな都合のいい話。あるわけ……)
そう思うのに、あの世界と本当に繋がったことのある今なら、ありえないとも言い切れなかった。
由奈はペンをぎゅっと握りしめた。
ただ心配しているだけじゃない。
読んできた時間も、考えてきた時間も、きっと意味がある。
自分の読み解きだって、いつか彼らを助ける力になる。
神が沈黙したからといって、ここで終わるような話じゃない。
そんなことは、長く物語を読んできた勘でわかる。
(このままで終わるわけがない)
胸の内で、言葉がゆっくりと形になる。
これはきっと、『失ったものを取り戻す話』の始まりだ。
由奈は顔を上げ、もう一度スマートフォンの暗い画面を見つめた。
声が届かなくても。
この物語の先を、誰よりも深く読み解いてみせる。
「……待っててね、王様」
その呟きは、静かなリビングの空気に溶けていった。
***
―――神殿 礼拝堂―――
祈りの間は、夜の底のように静まり返っていた。
セレスは冷たい石床に膝をつき、胸の前でそっと指を組む。
けれど、どれだけ祈りの言葉を唱えても、心は少しも鎮まらなかった。
先日の茶会で、言えなかった言葉がまだ喉の奥に引っかかっている。
神殿には、知られてはならないことがある。
(あの浄化の儀式が神降ろしになったことも、きっと偶然じゃない)
このまま黙ったままでいていいはずがないのに、あの場でセレスは何も言えなかった。
扉の外からかかった神官の声。
あの瞬間、胸の内にせり上がった言葉は、全て飲み込むしかなかった。
唇をきゅっと結び、セレスは目を伏せる。
あの時、あの方たちに打ち明けていたら、何か違っていただろうか。
思い浮かぶのは、茶会の席で向かい合った二人の姿だった。
まっすぐにこちらを見てくれたリディア。
不器用なやさしさで気遣ってくれたカリナ。
そして、リディアからのあの言葉。
『友人になりませんか?』
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
神殿の中では、常に独りでだった自分。
誰にも言えず、聖女として笑って、祈って、従うふりをするしかなかった自分。
「でも、あの二人方になら。もしかしたら――」
セレスはゆっくりと顔を上げた。
怖くないわけではない。
言葉にしてしまえば、もう後戻りはできない気がする。
それでも、黙っていてはもっと取り返しのつかないことになる。
(次の機会には、ちゃんとお話ししよう)
相談しなければならない。
陛下に何を、どうお伝えすべきか。
一人ではもう抱えきれない、この秘密のことを。
「どうか、私に動かす勇気を」
セレスは指を組み直し、小さく息を吐いた。
祈るだけでは足りない。
今度は、自分で一歩を踏み出さなければ。
その決意だけを、今夜は胸の内にそっと灯した。
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