第19話 后候補たちの交流会と、静かなる同盟
―――王宮 執務室―――
「‥‥‥后候補たちが、茶会を開くだと?」
レオンは書簡から渋い顔を上げた。
報告したシグルは淡々とうなずいた。
「はい。交流の場としては妥当かと。互いの立場を探り合う意味でも、無意味ではありません」
『探り合い』という言葉に、レオンは眉を寄せた。
「三人集まって茶を飲むだけで、なぜそんなに不穏な響きになる」
「陛下。戦場では敵が見えますが、社交では見えないことが多いのです」
「見えない敵の相手など、俺はしたくない」
あからさまに嫌そうな顔をしたレオンに、シグルは穏やかに笑った。
「ご安心ください。最初から陛下は呼ばれておりません」
「‥‥‥」
レオンは無言でシグルを睨んだが、彼の表情は涼しい顔のままだった。
「‥‥‥それにしても、お前はやけに女同士の機微に詳しいな」
レオンは書簡を机に置き、疑わしげな目でシグルを見る。
「姉が三人おりますので」
シグルは淡々と答えた。
表情一つ変えない。
「幼い頃は、姉たちの衣装合わせの度に人形役をさせられ、茶会から帰った後は『誰それの態度がどうだった』と延々聞かされました」
「地獄のような環境だな」
「ええ。おかげで女性同士の社交には詳しくなりました」
「――それは、気の毒だったな」
レオンは本気で同情した。
「陛下に同情されるとは思いませんでした」
シグルは眉を上げ、珍しく皮肉めいた笑みを浮かべた。
レオンは腕を組む。
「それにしても。三人で茶会、ということは何だ。菓子の種類で牽制し合ったりするのか」
「‥‥‥どのような想像をなさっているのですか」
「違うのか? どの菓子が『旨いか不味いか』の話し合いだろう?」
「違わない場合もありますが、陛下の思っている内容ではありません。たいていはもっと静かで厄介です」
「‥‥‥やれやれ、剣を抜く方がまだわかりやすい」
レオンは腕を組んだまま、露骨に嫌そうな顔をした。
「多くの男性がそう思うでしょう。ですから女性の社交は怖いのです」
シグルは書類をめくりながら、淡々と続ける。
「なら茶会など禁止にすればいい」
「陛下、それは火に油を注ぐだけです」
レオンらしい返答に、シグルは顔も上げずに即答した。
「面倒だな」
「ええ、とても」
あまりにも即答され、レオンは少しだけむっとした。
シグルは書類を整えながら続ける。
「ですが、今回の場には意味があります。三名とも、立場は違えど孤立しておられるでしょうね」
「北国の姫、神殿の聖女、貴族出の女騎士‥‥‥か」
「誰か一人でも味方を得られれば、状況は変わります」
レオンは立ち上がり窓の外、街を見下ろした。
「‥‥‥集めたのはこちら側だ。無関係とは言えない」
その声音は素っ気なかったが、どこか複雑な響きがあった。
シグルはあえて何も指摘しなかった。
***
―――王宮 応接室―――
小さな応接室には、穏やかな香りの紅茶と、気詰まりな沈黙があった。
リディア、セレス、カリナ。
立場も育ちも異なる三人が、同じ卓を囲んでいる。
白磁のカップには湯気が立ち、銀の皿には繊細な焼き菓子が並んでいた。
けれど、誰も手をつけようとしない。
誰から口を開くべきか、誰にもわからなかった。
給仕を終えた侍女は扉脇へ控え、卓には不用意に近づかない。
この場に完全な私語の自由はない。
最初に微笑んだのは、リディアだった。
「本日は、お時間をいただきありがとうございます」
丁寧で、隙のない挨拶。
姫として完璧な声だったが、その完璧さがかえって距離をつくっていた。
セレスは小さく会釈した。
「こちらこそ‥‥‥こうしてお話しする機会は、あまりありませんでしたから」
カリナも背筋を正し、静かに続ける。
「私もです。こうした場には、正直あまり慣れておりません」
三人とも、丁寧で正しくて、よそよそしい。
その空気を少しだけ壊したのは、意外にもリディアだった。
カップを手に取り、一口飲んでから静かに置く。
「‥‥‥正直に申しますと、私は少し安心しております」
セレスが目を瞬く。
「安心、ですか?」
「ええ。お二人とも、思っていたよりずっと‥‥‥お話ししやすそうでしたので」
カリナの緊張した表情が解れる。
「私も同じことを思っていました」
セレスも、柔らかく微笑む。
「私もです」
その瞬間、空気が少しだけ和らいだ。
リディアは焼き菓子を一つ取り、ゆっくりと口に運んだ。
甘さが舌に広がる。
少し迷うように視線を伏せてから、リディアは口を開いた。
「‥‥‥お二人のことを、私は素晴らしいと思っております」
セレスとカリナが目を瞬かせた。
「セレス様は、民衆から深く慕われています。祈りの場に立つだけで、人の心を静めることができる。それは、地位だけでは得られないものです」
「‥‥‥そ、そんな」
リディアはセレスを見て、やわらかく微笑んだ。
セレスは戸惑ったように睫毛を伏せた。
「カリナ様は、女性でありながらも、ご自身の信念で剣を取り、国を守っていらっしゃる。そのお姿は、とても眩しく見えます」
カリナは少し目を見開き、それから静かに視線を落とした。
「‥‥‥私には、そのようなものがありません」
リディアの指先が、受け皿の縁にそっと触れる。
「私は姫という立場でここにおります。けれど、それだけです。国のための駒として置かれているだけで、私自身を見てくれる者は……あまりおりません」
セレスは、リディアの言葉を静かに受け止めた。
自分の手を見つめる。
「そのように見えていたのなら‥‥‥少し、救われます」
セレスは小さく息を吐いた。
「実は‥‥‥私は孤児です。神殿に拾われ、聖女として育てられました。けれど神殿の中でも、皆が私を仲間として見てくれているわけではありません」
カリナも、少し間を置いてから言った。
剣帯に手を置く。
「リディア様は買いかぶりです。ですが‥‥‥そう言っていただけるのは、ありがたいです」
カリナは静かに続けた。
「私は騎士として立ちたいと思ってきました。ですが、女であるというだけで、軽んじられることも少なくありません。兄の名がなければ、ここにも立てなかったかもしれません」
沈黙が落ちた。
だが先ほどのような冷たさは、もうなかった。
三人は、互いの孤独を共有していた。
リディアはためらいながらも、それでも笑おうとした。
「――私たちは皆、孤独だったのですね」
その言葉は、不思議と誰の胸にも静かに落ちた。
「でしたら、友人になりませんか?」
セレスは目を見開いた。
指先を組む。
友人、という言葉の重さを噛みしめるように。
やがて柔らかく微笑んだ。
「‥‥‥はい。そうなれたら、嬉しいです」
カリナも、少しだけ目元を和らげる。
「私のような者でよろしければ、ぜひ」
三人は、静かに頷き合った。
紅茶の湯気が、ゆっくりと立ち上っていた。
しばらくして、セレスが少し迷ってから言った。
声が僅かに震えている。
「あの、この場での話として相応しくないのを承知しているのですが。実は‥‥‥お伝えしたいことが」
その時、扉の外から控えめな声がかかった。
「セレス様。儀式の準備のお時間です」
呼び声を聞いた瞬間、セレスの肩がぴくりと強ばった。
表情が、はっきりと曇る。
手が、カップの縁を握りしめた。
「‥‥‥申し訳ありません。ここで失礼いたします」
彼女は二人を見つめ、何かを言おうとして、結局飲み込んだ。
「また、次の機会に」
その言葉は、願いに近い響きだった。
セレスは深々と礼をし、部屋を出た。
扉が閉まる音が、やけに大きく聞こえた。
***
セレスが去り、室内の空気が少し緩んだ、その時だった。
カリナが椅子を引いた拍子に、腰の剣の柄が卓の端に触れた。
かすかな音とともに、リディアのカップが傾くき、紅茶が皿に溢れた。
「あ‥‥‥! 申し訳ありません!」
カリナはすぐに立ち上がり、ハンカチを手に卓へ回り込んだ。
「今、お拭きします」
騎士らしい無駄のない手つきでカップを起こし、こぼれた雫を拭う。
その一瞬、折りたたまれた小さな紙片が、そっとリディアの手元へ滑り込んだ。
剣なら迷わず振れる手が、紙片一つ渡すのに妙に慎重だった。
侍女たちの視線は、誰一人そこに留まらなかった。
リディアは表情を変えないまま、指先だけでそれを押さえた。
ハンカチに隠すように紙片へ視線を落とす。
伏せた睫毛の下で、一行だけを素早く読んだ。
『手紙は破られた 侍女頭によって』
リディアの呼吸が僅かに止まる。
だが次の瞬間には、何事もなかったようにカップへ手を伸ばした。
そして、髪を耳にかけ、下唇に小指を立てる。
貴族の娘なら幼い頃から叩き込まれる、社交の隠し合図『了解の意』だった。
「大変失礼しました」
カリナは一礼し、それ以上は何も言わない。
リディアは、カリナのハンカチを手に取った。
指先で、丁寧に畳む。
「ハンカチ、汚してしまいましたね。後日、新品をお返しいたしますわ」
「そんな! 構いません」
「――いえ、必ず」
リディアは微笑んだ。
その微笑みには、再び会う約束が込められていた。
***
やがて交流会も終わり、リディアとカリナもまた穏やかに席を立った。
笑みも、礼儀も、何ひとつ乱れはない。
けれど部屋を出た後、リディアは袖の内で、あの小さな紙片を強く握りしめた。
袖の中で紙片の角が、掌に小さく食い込む。
父の圧力だけではない。
この王城の中にも、誰かがいる。
衣装も、文机も、寝室の出入りすら預かる侍女頭が敵なら、安らげる場所などない。
けれど同時に、今日初めて知ったこともあった。
この宮廷で、自分はもう、ただ一人ではないのだと。
カリナは廊下を歩きながら、右手の肉刺を見下ろした。
剣で握った手。
その手が、今日は別の形で誰かを守った。
セレスは礼拝堂へ向かいながら、胸に手を当てた。
言えなかった言葉が、喉に詰まっている。
でも、次がある。
次こそ、伝えられる。
三人は、それぞれの場所へ戻っていった。
でも、もう孤独ではなかった。
それはまだ細い糸にすぎなかったが、確かに三人を結んでいた。
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