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王様!ちょっと待ってください!~ネット小説の暴君王に、主婦のツッコミが届いてしまいました~  作者: だしのもと
第3章 戦場無敵王、沈黙の神を取り戻すため剣を捨てます

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第16話 『祈り』に誇りをかけて

―――王宮 執務室―――


 王宮の執務室に、朝の光が差し込んでいた。

 レオンは窓辺に立ち、街を見下ろしていた。

 いつもと変わらない屋根の列に、変わらない人の流れ。


 あれから一度も、カヤの声は戻らない。

 呼べば返ってきた気配も、すぐ横で笑う温度も今はない。

 胸の内はしんと静まり、その静けさだけがやけに現実だった。


「陛下」


 背後からシグルの声。

 レオンは振り返った。

 シグルはいつも通り手には書類の束を持ち、整った姿で立っている。


「神殿からの返答が届きました」


「……で?」


「予想通りです。『検討する』と」


 レオンの、チッという舌打ちが喉の奥で鳴った。

 返還要求を出して二日。

 神殿は『慎重に検討している』と繰り返すばかりで、動く気配がない。


「時間稼ぎか」


「はい。ただの時間稼ぎではありません」


 シグルは書類を机に置き、別の紙を一枚だけ上に重ねた。

 そこには、神殿が街で流している噂の報告が箇条書きされていた。


『王宮が神威を奪いに来るかもしれない』

『王は力に取り憑かれているのではないか』

『神殿は民を守るために御像を聖域へ』


 レオンの眉がぴくりと動く。


「……先に俺を悪者にしたいわけだ」


「ええ。前回の儀式同様、陛下《こちら》が動く前に話を作っておく。よくある手です」


 シグルは淡々と続けた。


「陛下が力で押せば『暴君が神を脅かした』と言いふらせる。何もしなければ『王は神殿に屈した』と示せる。どちらでも神殿が得をする仕組みです。そして、こちらを」


 シグルは一通の手紙を差し出した。

 差出人の刻印を見て、レオンは眉をひそめる。


「北国《あっち》も絡んできたか」


 レオンが問うと、シグルは一度頷いた。


「はい。北国は先日の儀式から、御像の核に興味を持っています。神殿はそれを知っている。陛下と北国を天秤にかけ、どちらが先に動くか見極めようとしているのでしょう」


 手紙は読まなくとも察しがついた。

 神殿が神を手に入れた今、それを難癖付けてでも「神を寄越せ」とでも書いてあるのだろう。


「神殿も北国の動きを気にしています。神殿にとって一番怖いのは、陛下ではなく外からの手出しです。なので、陛下を刺激して先に動かし、盾にする考えがあります」


 レオンは身を預けるように椅子に座った。


「つまり、俺が剣を抜けば終わりだな」


「ええ。どちらにせよ、力による訴えになると民は陛下を恐れます。神殿はそれを証拠にして、さらに力を強める」


 レオンは拳を握り込み、しばらく答えなかった。

 息を吐き、机の端を指で叩く。


「……やはり、例の公開の祈りをやるしかないな」


「そうなりますね」


 シグルが新しい書類を取り出した。

 羊皮紙の上には、王宮から神殿へ送る提案文の下書きがある。


「すでに書面に起こしました。神殿主催で民を集め、『創造神の顕現を讃える祈り』を行う。表向きは神殿の威光を示すための式です。陛下は立会人として参列します。武装と暴力も禁じる。神殿の好む条件に寄せました」


 レオンは眉を上げる。


「これで、本当に神殿が受けるか?」


「受けます」


 シグルは迷いなく言った。


「神殿は今、勝利の雰囲気を保ちたい。民衆の熱が冷める前に、もう一度大きな儀式を打つ。見せ場が欲しい。断る理由がありません」


「だが、オズワルド(あいつ)は名誉欲の塊だ」


「その通りです。おそらく相手は、このあたりの条件を付けてくるでしょう」


 シグルが机上の別紙を示す。

 そこには神殿側が言いそうな条件案が並んでいた。


『立会人の位置は高台の下に限定』

『御像の周囲は聖女と神官のみ立ち入り可』

『王の付き添いは最小限、宰相のみ』

『儀式の順序は神殿が決める』

『観客席に北国使節を招く』


 レオンの目が細くなる。


「……あの時の儀式みたいに、北国まで呼ぶ気か」


「ええ。神殿にとっては守っている姿を見せるのが大事です。外の目が多いほど、神殿は強い」


 シグルは声を落とした。


「ですが、外の目が増えるほど、神殿が禁忌を使った事実も隠しにくくなる」


 レオンは僅かに顎を上げた。


「つまり、民の前で自分たちにやらせる、か」


「はい。陛下が力で従わせるのではなく、神殿に正しい形を踏ませる。こちらはそれを利用します」


 レオンは深く息を吐いた。

 危うい策だ。

 剣で奪い返せない以上、これしかない。


「……よし。この提案を神殿に出せ」


 シグルは小さく頷いた。


「承知しました」


 そして一瞬だけ、表情が柔らいだ。

 迷いなく決めるレオンを、どこから(・)し(・)い(・)と思う目だった。


「陛下はこういう場面でも迷いませんね。正しさより先に、守るものを決める。昔から」


 レオンは顔をしかめる。


「誉めてるのか? それは」


「改めて評価をしているのです」


「――よく言う」


 シグルの嫌味なのか尊敬なのか分からない言葉に、フンと鼻を鳴らす。

 けれど、その返しに少しだけ熱が戻っていた。


***


―――神殿 執務室―――


 神殿の執務室は薄暗かった。

 オズワルドは机に肘をつき、王宮からの提案書を撫でるように眺めていた。


「……面白い」


 口元に微笑が浮かぶ。

 提案は丁寧で、礼を尽くしている。

 礼を尽くせば尽くすほど、裏の狙いは透けて見えるものだ。


「王が、自分からこちらに入ってくるとは」


 部屋の隅に控えていた神官が、恐る恐る口を開いた。


「神官長様……お受けになるのですか?」


 オズワルドは顔を上げ、穏やかに頷いた。


「ありがたい提案だ。喜んで受けよう。民の前でもう一度示せる。神殿が神威を預かっていると」


「ですが……王が近づくことになります」


「心配は分かる」


 オズワルドは言葉を選ぶようにゆっくり続けた。


「条件はこちらが握る。武装も暴力も禁じられている。公開の場で王が乱暴すれば、それだけで話が完成する」


「それでも、もし……」


 オズワルドは窓の外、広場の御像の方角を見た。


「中心に聖女が立つ。それだけで十分だ。聖女を盾に、民の目が王を縛る。そして、神殿は守ったと語れる」


 神官は小さく頷いた。

 オズワルドは提案書を閉じ、柔らかく命じた。


「返答を書いてくれ。『喜んで受ける』と。条件案も添えよう。立会位置、付き添い人数、御像への立ち入り……すべてだ」


「承知しました」


 神官が出て行く。

 オズワルドは一人残り、薄く笑った。


***


 その日の午後。

 セレスは神殿の廊下を歩いていた。


 呼び出しは朝に届いた。

『神官長の執務室へ』とだけで、理由は書かれていない。


 扉の前で一度息を整え、ノックをする。


「どうぞ」


 入室すると、オズワルドが机の向こうに座っていた。

 周囲には数人の神官が控えていた。全員が笑顔――温度のない笑顔だった。


「聖女セレス様。お越しいただきありがとうございます」


 オズワルドは立ち上がり、形の通りに一礼した。

 丁寧な動きだからこそ、セレスの胸が冷える。


「お掛けください。大切なお話です」


 促され、セレスは椅子に座る。

 オズワルドは書類を開き、穏やかな声で告げた。


「王宮から、公開の祈りの提案が届きました。『創造神の顕現を讃える会を民の前で』というものです。そこで、あなたに中心となっていただきたい」


「……私が、ですか?」


「ええ。あなたほどふさわしい人はいません」


 微笑みながら、逃げ道を塞ぐ言葉を置く。


「今、民は創造神の顕現に喜んでいます。少しでも、神が我々のそばにいるという安心感が必要でしょう。それに、民から信頼の厚いあなたの祈りは、神殿の顔になります」


 セレスは喉が乾くのを感じた。


 (断れない言い方……)


 オズワルドは続ける。


「危険はありません。王は武装できず、儀式の邪魔も禁じられています。あなたは、ただ、広場の像に祈ればいい」


 た(・)だ(・)祈(・)れ(・)。

 その言葉が鎖に聞こえた。


「……わかりました」


「ありがとうございます、セレス様」


 オズワルドは再び一礼し、声を一段落とした。


「ただ、神殿は今、世界中から見られています。この場で神殿に泥を塗るような振る舞いがあれば……あなたの立場は守れません」


 丁寧な声だが、中身は明確な脅しだった。

 セレスは唇を噛み、頷くしかなかった。


「……儀式の準備をいたします」


 立ち上がろうとしたとき、オズワルドがもう一つだけ、静かに言った。


「あぁ、それと――セレス様。神を得た今、神殿の次の課題は政治です」


 セレスの指が僅かに強張る。


「王家との婚姻は近い未来に必要になるでしょう。神殿の血を王家に入れ強い繋がりを得る。それが最も確実です」


 言葉は柔らかい。

 だが、決まったこととして語られているのが分かった。


「あなたは聖(・)女(・)です。神殿のために、その役目を果たしてください」


 セレスの背中が冷たくなった。

 目の前が一瞬だけ暗くなる。


「……失礼します」


 セレスは深々と礼をし、部屋を出た。

 扉が閉まる音がやけに大きく聞こえた。


***


 廊下を歩きながら、セレスは涙を堪えた。


 祈りは救いであり、人を癒すものだと信じていた。

 けれど今、祈りは利(・)用(・)に変わろうとしている。

 神殿のため、権威のため、政治のため――自分自身さえ、駒として。


 でも公開の場なら、御像に近づける。

 民の目があるからこそ、神官長も簡単には乱暴できない。


 ふと、礼拝堂での感覚が蘇った。

 カヤ(創造神)の名を呼んだとき、空気が柔らかく変わった。


 (……あれは偶然じゃない)


 特に、王が変わってから、その感覚は強くなった。


(陛下の変化に影響していた何か……)


 それが今、御像へ移された。

 そう思うと、胸が痛んだ。


(逃げられない……だったら――祈りを救いに)


 セレスは深く息を吸い、礼拝堂へ足を向けた。


***


 数日後、神殿から布告が出た。


『創造神の顕現を讃える公開の祈りを、近日中に執り行う』


 街はざわめいた。

 王が立会人として参列し、聖女セレスが祈りを捧げる。

 神殿はこれを大成功と予告し、民は期待を膨らませて広場を見上げた。


 その夜。

 礼拝堂は静かだった。

 ステンドグラスを通した月明かりが床に淡く落ちている。


 慈恵神《リーヴァ》の像は、いつも通り優しい顔で微笑んでいた。

 セレスは膝をつきいつものように、両手を合わせ目を閉じる。

 すると、遠いはずの場所から、かすかな苦しさが滲むように伝わってきた。

 声でもなく言葉でもない。

 ただ、押し殺した痛みの気配だけが祈りの糸に引っかかる。


(広場……御像の方……)


 セレスの喉がきゅっと縮む。

 あそこに、縛られている神(・)。

 慈恵神――癒しの神へセレスは祈った。


「――どうか、神に癒しを。縛られたものを……今すぐでなくても、せめて少しでも楽に」


 祈りが届いたのかは分からない。

 けれど胸の奥でほんの一瞬だけ、ふわりと冷たい棘が抜けた気がした。

 セレスはゆっくり息を吐き、目を閉じる。


 祈りは……救いのはずだった。

 それなのに今、祈りは誰かを脅す刃に変わろうとしている。

 その矛盾が、痛かった。

 セレスはもう一度だけ手を強く組んだ。


(私も聖女の誇りにかけて――救いに変えてみせる)


 セレスは組んだ手に、そっと額を寄せた。



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