第14話 沈黙の朝と、取り戻す宣言②
―――王宮 執務室―――
レオンとシグルは、返還要求の文書を作り始めた。
机の上に羊皮紙が広げられ、インク壺が置かれている。
シグルは羽ペンを手に取り、レオンの言葉を待った。
「儀式は浄化であり、神殿が『新たな神威の保管者』となる合意はしていない」
レオンが言い、シグルが書く。
羽ペンが紙の上を滑り、正確かつ無駄なく文字が刻まれていく。
「御像は、国王の名のもとに王宮へ移送する」
レオンが続けると、シグルは羽ペンを止めた。
「陛下、ここに一文加えましょう」
シグルは顔を上げ、レオンを見る。
「『信仰の尊重』を入れます。神殿を敵視していないことを示すためです」
「……それもだが、王権の最終決定権も明文化しろ」
「もちろんです」
シグルは再び羽ペンを走らせた。
文章は丁寧で礼儀正しい。
だが、その中には鋭い刺があった。
神殿の権威を否定せず、しかし王権の優位を明確にする。
その微妙なバランスが、随所に織り込まれていた。
シグルは羽ペンを置き、文書を読み返す。
その目が、一文ずつ確認していく。
そして差し出された羊皮紙に、レオンは厳しい目を走らせた。
——最後に、短く頷く。
「では今から使者を立てます。神殿は、すぐには明確な返事をしないでしょう。ですが、記録には残ります」
「……十分だ」
レオンは文書に印を押した。
王家の紋章が、赤い蝋に刻まれる。
それは、王の意志の証だった。
***
使者が出た後、シグルは声を落とした。
部屋の外に漏れないように、低く静かな声で話し始める。
「――では陛下。返ってこない前提で、取り戻す準備をしましょう」
レオンはシグルを見た。
その目には、決意が宿っていた。
「……あぁ」
レオンは一拍置いて続けた。
「だが、関係者以外は傷つけない。民が巻き込まれるのは許さない」
シグルは静かに頷いた。
レオンが理性で動いていることが、嬉しかった。
「承知しました。では、作戦の計画を立てます」
シグルは新しい紙を広げ、簡単な図を描き始める。
神殿の配置、広場、御像の位置、高台。
人の動線、警備の線。
「まず、御像は広場に安置されています。警備の配置と、出入りの流れを調べましょう。どこが弱いか、どこが固いか」
シグルは図に小さな印をつけながら続けた。
「次に、神殿内部の協力者を探します。神官の中に、神官長に反発している者がいるはずです」
羽ペンが、図の一箇所に丸をつける。
「そして、御像に触れれば、一瞬だけでもカヤ様に繋がる可能性を探ります」
繋がるという言葉に、レオンは目を見開いた。
「待て。触れれば繋がるとは……?」
シグルは表情を変えず、淡々と言う。
「昨日の儀式は、『浄化』ではありませんでした」
そこで一度、言葉を切った。
「神を、像に無理やり縛りつけるための儀式です。これは、禁じられているやり方です。古代語を学んだ頃、その一節を目にしたことがあります」
レオンの眉が動く。
無理やり自分から切り離された、あの不快な感覚が蘇り胸に手を当てた。
「無理やり縛りつける……」
「はい。もし本当に神を縛りつけられたのなら——」
シグルは、御像の胸の部分に印をつける。
「力のつなぎ目は、胸の窪み——『核』の場所にあるはずです」
さらに一拍。
「そこに縁のある者が触れれば、声が戻らなくても……カヤ様の『気配の欠片』くらいは返る可能性があります」
レオンの喉が、ゴクリと小さく鳴った。
「……気配の欠片?」
「温度が変わるとか、耳鳴りがするとか、胸が重くなるとか。そういう反応です。手掛かりになると思います」
シグルは言葉を整え、続けた。
「カヤ様とご一緒にいた陛下なら、何か変化が分かるはずです」
シグルは図を指で軽く叩いた。
「そうだな。可能性が無いよりは、ずっといい」
もし、本当に一瞬でも戻るなら。
もし、カヤの気配を感じられるなら。
「……やろう」
レオンは静かに言った。
シグルは短く頷く。
「はい。ではそのように準備を始めます」
だが次の瞬間、シグルの視線が少しだけ鋭くなった。
「ただし、神殿は武力行使が禁じられています。なので、直接我々が核に近寄ることはできないでしょう」
レオンは怪訝そうにシグルを見た。
「……なら、どうやって取り戻す」
「『戦って奪う』ではありません」
シグルは淡々と言った。
「神殿の儀式を逆手に取りましょう」
レオンが目を細める。
「逆手に?」
「はい。民の前で、神殿に『公開の祈り』をやらせます。……ミサみたいなものです」
シグルは図の『高台』に線を引いた。
「神殿が、いつもそんなものをやってるのか?」
「はい。神殿は定期的に『民の安心』を名目に儀式を行っています。今回はそれを利用しましょう」
シグルはわざと簡単に言う。
「『創造神の降神を讃える会』です。注目が集まっている今、神殿もこの申し出を拒めません」
そして、真ん中に短く書く。
「そこで、御像に触れる役が必要になります」
レオンの声が、僅かに低くなった。
「誰が触れる」
シグルは迷いなく答えた。
「聖女セレスです」
レオンの表情が一瞬だけ硬くなる。
「……彼女を利用するのか」
「利用、と言うと角が立ちますが」
シグルは淡々と返す。
「セレス様は今、神殿の中で孤立しています。民の前で祈る役を与えられれば、立場ができます」
シグルは羽ペンの先で、図の『胸の窪み』を軽く叩いた。
「そしてこちらは、核に触れ、確証を得る『正当な瞬間』ができます」
レオンは図を覗き込んだ。
シグルの描いた線が、複雑に絡み合っている。
それを見ながら、シグルは新たな線を引き始めた。
「陛下は『立会人』として、その近くに立てます。武装せず、儀式の範囲で」
シグルの羽ペンが、図の高台近くにもう一本線を引く。
その線は、御像と高台を結んでいた。
「もし、その瞬間に何か反応が出たら……確かめられる距離です」
シグルは羽ペンを置き、図全体を見渡した。
そして一度、言葉を切った。
「それに、以前セレス様は『カヤ』様の祈りで、空気が変わると申していました。特に陛下と繋がってからその感覚が強くなったとも。」
「確かに。彼女なら何かを感じ取れるかもしれない」
セレスが何かを感じ取れれば、確実にそこには神がいることになる。
いると分かれば、取り返しにいけばいい。
レオンは拳を握ったまま、ゆっくり息を吐いた。
「あとは……禁忌の証拠も必要だな」
「はい。そこも、セレス様が鍵になります」
「彼女が『前回の儀式は浄化ではない』と確信できる材料、そして神殿が隠していること。そこを引き出せれば、返還を正当化できます。恐らく、彼女は知っています。」
レオンは一拍、息を吐いた。
「……つまり、俺たちは『剣』じゃなく『言葉と民の目』で刺すということか」
「はい。残念ながら、陛下の得意分野ではありませんが」
普段穏やかな表情のシグルには珍しく、少し意地悪そうな笑みが浮かんだ。
「――前からお前は、そういうことを言う性格だったか?」
やや不満そうに言うレオンに、シグルはいつもの穏やかな表情に戻る。
「それは……陛下が、他人の声に耳を傾けられるようになったからですよ」
「……」
確かに、カヤが助言するようになってから、他人の言葉を聞き入れるようになった。
その人がどんな人物なのか。
何を思って言っているのか。
以前なら、そんなものに興味すらなかったのに。
(すべては神の導きか)
ふっと小さく笑みを浮かべ、目を伏せた。
「――まったく、偉くなったもんだな」
レオンは言ったが、その口元だけが僅かに緩んだ。
助言をくれるカヤの居ない今、不安は大きいが一人で戦うわけではない。
「……シグル」
「はい」
「お前がいて、助かる」
シグルは一瞬、言葉に詰まった。
そして、静かに笑った。
「身に余るお言葉です、陛下」
***
―――神殿 神官長の執務室―――
オズワルドは使者からの報告を聞いていた。
その顔には、いつもの穏やかな笑みがある。
「陛下から、返還要求が来ました」
「やはり来たか」
オズワルドは笑った。
予想通りだ。
王は必ず動く。
「当然、取り返しに来る。だからこそ、そこに価値がある」
窓の外には、広場に立つ御像。
胸が淡く脈動している。
「像を盾にすれば、王権を縛れる。民衆の信仰を盾にすれば、陛下でも手を出せない」
オズワルドは指を組んだ。
「返還要求には『検討する』と答えよう。そして民衆には『神殿が神威を守っている』と説く」
窓の外の御像へ、視線を戻した。
「あとは、聖女を使うだけだ」
***
―――北国使節団 ―――
エルザは隠密からの報告を聞いていた。
その顔は冷たく、感情がない。
「御像の警備は、依然厳重です」
「そうか」
エルザは冷たく笑った。
「そこまで手厚いということは……あの核は本物、ということか」
エルザは手紙を書き始めた。
文字は他の者には分からない、特殊文字だった。
「国王陛下へ報告する。この国が『創造神』を持つことは、我が国にとって脅威だ、と」
羽ペンを止め、隠密を見る。
「買える人材は、全てこちらに引き込め。神殿の動きを、すべて記録しろ。御像の警備、神官の動き、王の動きもすべてだ」
隠密が静かに頷いた。
一方、部屋の窓辺でリディアが窓の外を見ていた。
背後のエルザは、静かすぎた。
あの祝福の場面でさえ、計算している気配があった。
「陛下なら、きっと大丈夫……」
口ではそう言いながら、リディアは胸のざわめきを否定できなかった。
(これは祝福じゃない。――きっと、『神』を巡る奪い合いになる)
リディアは強く目を閉じた。
指先が無意識に窓枠を掴む。
(父上が、この状況をこのまま黙認するはずがない……)
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