第14話 沈黙の朝と、取り戻す宣言①
――― 王宮 レオンの私室―――
レオンは目を覚ました。
石造りの天井が、ぼんやりと見える。
窓の外から、朝の気配が忍び込んでいた。
鳥の声、遠くで聞こえる鐘の音、いつもの朝だった。
けれど、何かが違う。
空気が冷たい。
部屋の温度は変わっていないのに、何かが足りない。
レオンは、その違和感の正体をすぐに理解した。
(カヤ)
沈黙。
何も返ってこない。
声も、気配も、温かさも。
何もかもが、消えていた。
(……カヤ)
レオンは呼ばないようにしようとしたが、気づくと呼んでいた。
癖になっていたのだ。
何かを決める前に、カヤに相談する。
朗らかに笑う声、説教じみたアドバイス、それが当たり前になっていた。
静かすぎる朝が、異様に怖かった。
レオンは起き上がり、胸に手を当てた。
心臓は規則正しく、力強く動いているが、あの温かい気配がない。
あのうるさくて、優しくて、いつも正しいことを言う声が、もう聞こえない。
レオンは、窓の外を見た。
朝日が街を照らし始め、民衆が目を覚まし、動き出す時間になっていた。
いつもなら、カヤがこう言うだろう。
『王様、今日も頑張ろうね!』
けれどその声は、もう聞こえない。
(――っ!)
レオンは拳を握った。
爪が手のひらに食い込み、痛みが走る。
けれど、その痛みすら今は恋しい。
(返せ……!)
その言葉は、誰にも届かなかった。
いつもの動作で支度をしているのに、今日はその一つ一つが重い。
ふと、鏡に映る自分の顔を見た。
目の下に、隈ができている。
傍目にもわかるほど、疲れた顔だ。
昨夜は、ほとんど眠れなかった。
返事がないと分かっているのに、カヤを呼び続けてしまった。
レオンは鏡から目を逸らし、執務室へ向かった。
***
―――王宮 執務室―――
レオンが執務室に入ると、シグルがすでに待っていた。
いつもの穏やかな笑みがあったが、彼の目はレオンの顔色を鋭く、冷静に読んでいた。
「陛下、おはようございます」
「……あぁ」
レオンは短く答え、机に向かって書類を広げたが、文字が頭に入ってこない。
シグルは何も言わず、ただ静かに立っていた。
その存在が、妙に現実的だった。
カヤの声は幻のようだったが、シグルの存在は確かにそこにある。
レオンは書類を置き、顔を上げた。
「シグル」
「はい」
「――神殿へ行くぞ」
レオンは、ぶっきらぼうに言った。
その声は命令口調で、机を叩きそうな勢いで言葉が出た。
「陛下」
シグルが小声で制した。
その声は優しかったが、レオンを止める力だ。
「唐突すぎます。気持ちはわかりますが、何もご準備せずに向かわれる気ですか?」
シグルの正論に、レオンは眉をひそめた。
準備など、今は考えたくなかった。
ただ、神殿へ行って、御像を取り戻したかった。
「……何が悪い」
「まずは直接『行く』ではなく、『正式に返還を求める』手続きの方が、王としての形になります」
シグルは静かに続けた。
落ち着いて、レオンの怒りを受け止めるようだった。
「怒りで動けば、神殿は『王が暴れた』と言うでしょう。けれど、王権で動けば、神殿は応えざるを得ません」
レオンは数秒沈黙した。
シグルの言葉が頭に染み込んでいく。
確かに、そうだ。
感情で動けば、神殿の思う壺だ。
ここは《《王》》として、動かなければならない。
そして、一呼吸してレオンは言い直した。
「……『正式に、返還を求める』」
「はい、それで合格です」
シグルの、子どもを褒めるような口ぶりだった。
「――黙れ」
レオンは不満混じりに低く言ったが、その口元が、ほんの少しだけ緩んでいた。
(まったく、皮肉なもんだ)
カヤがいない今、シグルの存在が妙に大きく感じられた。
『一人じゃない』ことに。
「では、手始めに」
シグルは一枚の紙を机に置いた。
その紙には、細かい文字が並んでいる。
「神殿の動きです」
レオンは紙を手に取った。
そこには、神殿が昨日から行っていることが書かれていた。
『創造神が王を選んだ』という宣言を、街中に広めている
御像は『神殿の聖域で保管すべき』と、民衆に説いている
『神威を預かるのは神殿』という考えを、定着させようとしている
レオンは紙を読み終え、机に置いた。
動作は静かだったが、彼の目には怒りが燃えていた。
「……つまり、返す気はない、ということか」
「はい。神殿は、『王が要求しても、民衆の信仰を理由に拒否できる』構造を作っています」
シグルは静かに続けた。
冷静で、感情を排して事実だけを伝える声だ。
「返せば、神殿の権威が崩れます。だから、返さないでしょう」
レオンは奥歯を強く噛んだ。
こみ上げるものを飲み下し、表情だけは動かさないよう努めた。
「――現状は分かった」
レオンは迷うことなく、力強く立ち上がった。
決めた時のレオンは、いつもこうだ。
「表向きは、正式な『返還要求』を出す。裏では、取り戻す準備をする」
シグルは目を見開いた。
その目には、驚きと、そして満足が浮かんでいた。
(――やはりこの方は、こうでなくては。迷いの果てに、《《必ず決める》》。これが、あの日から変わらない陛下だ)
それが、シグルが人生を賭けて惚れ込んだ『レオンらしさ』だった。
そして、シグルは静かに笑った。
「陛下が、そうおっしゃると思っていました。今から始めましょう」




