第12話 戦場無敵王の『悪神憑依疑惑』を徹底擁護せよ!③
―――神殿 礼拝堂―――
セレスは祈りを終え、ゆっくりと目を開けた。
そして、振り返った。
レオンは彼女を見つめていた。
その目には、明らかな動揺が浮かんでいた。
彼の瞳孔がふっと開き、唇がわずかに震えた。
「今……創造神カヤ、と?」
レオンの声は、いつもより少し高かった。
「はい、古い伝承ではありますが。この世界を創った神の名だと言われています」
セレスは静かに答える。
その声には、何の疑いもない。
レオンは「そうか」と返そうとしたが、言葉が喉に引っかかった。
指先が、微かに震える。
その時——
シグルがすっと歩み出て、穏やかに微笑むような表情で、話し始めた。
「創造神アーク・ディア=カヤですか。……今は、ほとんど忘れられた伝承ですね。私もその伝承が幼少のころから大好きでして、よくその資料を読み漁ったものです」
とセレスに笑顔を向ける。
「そして、今のは古い時代に残る『結び句』ですね。慈恵神への祈りに、創世の名を添える——大昔は、そういう祈り方もあったと文献で読みました」
セレスが、声をひそめて目を丸くした。
「まぁ、シグル様。とてもお詳しいのですね」
「つい嬉しくなってしまいまして。お二人の会話に割り込んだ非礼、お許しください」
シグルは礼儀正しく一礼し、元の位置へ下がる。
そして下がり際、レオンにだけ——表情は崩さず、声量だけを落とした。
「……陛下。伝承の話として受け取りましょう。ここは神殿です」
淡々とした声音だが、目の奥には冷たい緊張が張りつめていた。
(神殿がその名に触れた。まずい。こちらの弱みになるかもしれない)
レオンは一瞬だけ視線を伏せ、息を飲み込んだ。
「……そうだな」
***
礼拝堂の柱の影に、若い神官がいた——オズワルドの手下だ。
彼は息を殺し、目を細めて、レオンとセレスの様子を観察している。
手には、小さなメモ帳が握られていた。
報告のために、すべてを記録しているのだ。
(『創造神カヤ』。あの名で明らかに動揺された……)
若い神官の目が、レオンの震える手を見逃さなかった。
(これは、重要な情報だ)
若い神官は、メモ帳に素早く何かを書き込んだ。
そしてすぐに報告のため、礼拝堂を後にした。
その足音は、静かで誰にも気づかれなかった。
***
―――神殿 回廊―――
レオンとセレスは、回廊を歩いていた。
夕日が窓から差し込み、二人の影を長く伸ばしている。
その影は、まるで巨人のように壁に映し出されていた。
レオンはまだ動揺していて、見るからに表情は硬い。
彼の目は前を見ているが、その焦点はどこか遠くにあった。
頭の中では『カヤ』という名前が、何度も繰り返されていた。
「陛下?お顔色が……」
セレスが心配そうに尋ねた。
彼女の手が、わずかにレオンの腕に触れかける。
しかし、触れる前に止まった。
「いや、何でもない」
レオンは短く答えたが、発せられた声には力がなかった。
シグルは、後ろから二人を見守りながら、気づいていた。
(陛下、先ほどのを気にしておられる)
シグルの目が、レオンの背中を見つめる。
その背中は、心なしか丸まっているように見えた。
その時、回廊の先から、神官たちが大きな御像を運んでいるのが見えた。
御像は巨大で、複数の神官が必死に運んでいる。
表面は複雑な紋様で覆われ、まるで生きているかのように、神秘的な光を帯びていた。
そして胸元には、まるで別の何かを納めるための窪みが、不自然に整っていた。
レオンは足を止め、その御像を見つめた。
彼の呼吸が、わずかに速くなる。
「あれは?」
レオンが尋ねた。
口調は平静を装っていたが、薄っすらと緊張が滲んでいた。
「あれは、浄化儀式の準備です。明日の陛下の浄化儀式に使う、聖なる御像です」
セレスは答える。
レオンは御像を見上げ、その大きさに思わず眉をひそめた。
そして口元だけを動かし、フン、と鼻で笑う。
「……浄化ひとつに、ずいぶん大袈裟だな」
虚勢だった。
そう言わなければ、心の揺れが顔に出てしまう気がした。
御像から、何か圧倒的な存在感が放たれている。
ただの像のはずなのに、まるで最初から中身があるみたいな感覚に、レオンの背筋が、ぞくりと冷えた。
その時、すれ違いざまに年配の神官が小声で呟いた。
「……また下々に慈悲を振りまいて。おまけに、古い名まで持ち出すとは、世間知らずにも程がある」
その声は小さかったが、レオンの耳に届いた。
セレスの表情がわずかに曇り、袖の中で指が震えた。
彼女は唇を噛み、視線を下に落とす。
その姿は、まるで何かに耐えているかのようだった。
近くの神官たちは聞こえないふりをして、視線だけを逸らした。
レオンはその様子を見て、心の中で呟く。
(セレスは……神殿内で浮いているのか?)
レオンの胸に、控えめな同情が芽生えた。
回廊を歩いていると、遠くで祈りの間が見えた。
そこには大勢の民衆が列を作り、祈りを捧げていた。
数十人、いや百人以上はいるだろう。
その列は、祈りの間から回廊まで続いている。
レオンは驚いて足を止め目を見開いた。
「民衆が……こんなに?」
胸の奥が、ざわつく。
——前世
支持を得られず、声を失い、最後には「王は何も見ていない」と切り捨てられた記憶。
民衆からの、あの失望した視線、怒りを押し殺した沈黙。
そして、何もかもを諦めた顔。
だが――
(今回は違う)
レオンは、脳裏に浮かんだ前世の出来事を否定するように、小さく首を振った。
「これは――神殿が告知したのです」
セレスが静かに説明する。
落としたトーンの声には悲しみが滲んでいた。
「民は……『王が悪神に侵されていない』と知りたがっています。善意と、疑念が混ざった祈りです」
悪神。
その二文字が耳に触れた瞬間、腹の底で燃えた。
握った拳がきしみ、爪が掌に食い込んだ。
(ふざけるな! 俺は正しい。少なくとも、『民を害する何か』に屈した覚えはない)
列の中で、小声が漏れる。
「王様が本当に王様なら……助けてくれますよね」
「浄化で『悪くない』って証明してくれたら、安心できるのに」
胸が締め付けられると同時に、苛立ちが熱になる。
(安心のために、王が証明しろ? ……いいだろう。ならば、やってやる)
レオンは口元だけで笑った。
王は絶対に折れない、それを見せつけるために。
(噂ごと黙らせる。俺が白なら『白』だと、見せればいい)
「私は、陛下を信じています。どうか民の不安を、晴らしてください」
セレスが真剣な目で見つめる。
懇願が込められていた。
レオンは、ゆっくりと頷いた。
喉が動き、唾を飲み込む。
「……ああ」
声は小さいが、逃げないという意思だけは、はっきりしていた。
その背後でシグルが、ほんの一瞬だけ目を細めた。
表情はいつも通り穏やかで、傍目には何ひとつ変わらない。
(……神殿がここまで民を動かすとは。明日の儀は、ただの浄化では終わらない予感がする)
まばたきの裏に感情を隠し、次の瞬間には柔らかな顔つきに戻っている。
シグルはいつもの距離を保ったまま、二人の背を静かに追った。
***
―――神殿 オズワルドの私室―――
御像は夕刻のうちに、神殿中庭にある『祈りの広場』へ据えられた。
そこは、民衆が遠巻きにでも拝める場所。
灯りが落ちても、御像だけは淡く光を帯び、闇の中に輪郭を浮かび上がらせている。
私室の高窓から、その光景が見えた。
オズワルドは窓辺に立ち、もう手中に収めたとでも言いたげな顔で、御像を眺める。
その時、コンコン、と扉がノックされた。
「入れ」
若い神官が入ってきて、深く頭を下げる。
「神官長様。ご報告がございます」
「うむ」
若い神官が差し出したメモに目を通した瞬間、オズワルドの肩が揺れた。
喉の奥で笑いを噛み殺すようにして、次の瞬間、こらえきれず声が漏れる。
「そうか……! やはり『創造神』が関わっていたか!」
瞳が、飢えたように光る。
若い神官は動じずに続けた。
「あと祈りの瞬間、礼拝堂の空気が、揺れたように感じました。陛下も神の名に対して、明らかに動揺しておられました」
その報告に、オズワルドは窓へと向き直った。
広場に据えられた御像の胸元。
そこに納められるはずの『核』を、じっと思い描いた。
「これですべて整った。明日、王は儀式を受ける。そして……あの『力』の正体が明らかになる」
オズワルドは本棚の奥から、一冊の教典を引きずり出した。
表紙は擦り切れ、角は欠け、背は糸がほつれて裂けている。
めくれば紙は茶色く波打ち、指先が触れただけで粉が落ちそうだった。
それでも文字だけは執念深く残っていた。
オズワルドはその『ぼろぼろの神の言葉』を撫で、邪悪な笑みを浮かべた。
「降神の儀――成功すれば、私はあの力を手にできる」
その低い声は、明らかに野心と狂気が滲んでいた。
***
―――王宮 レオンの執務室―――
レオンの机に、一冊の古い本が置かれた。
表紙は埃をかぶり、開いてめくると黄色いページに沁みが無数にあった。
辛うじて読めるレベルだ。
「創世の伝承資料です。これなら、陛下もわかりやすく、読みやすいと思います」
シグルは何でもない顔をして言う。
普段このような歴史書、特に伝承もの等は読まない。
レオンは思わず眉をひそめたが、今夜はありがたかった。
明日の浄化儀式の前に、創造神の事を知っておかねばならないと思ったからだ。
レオンはページを追う。
――創造神アーク・ディア=カヤ。
古代語で「アーク・ディア」とは「アルカディア」を指す。
世界に『名』を与え、形を定め、そして姿を消した。
祈りに応える神でも、救いを与える神でもない。
残るのは名と、はじまりの記述だけ。
そして、注釈が添えられていた。
『声を送るとは、耳で聞く声にあらず。言葉を授け、迷いを断つ内なる言を指す——』
レオンは鼻で笑った。
(神殿が言う神と違う)
慈恵神のように、民の信仰を集めている神ではない。
(祈りの対象でもないなら、憑き物扱いされる筋も薄い……はずだ)
根拠というより、意地と虚勢に近い安心だった。
それでも、不安を払拭するには、今夜のレオンには必要だった。
やがてレオンは、静かに目を閉じた。
意識を、『あの繋がり』へと向ける。
***
―――現実世界 小林家 リビング―――
由奈は画面を見つめ、大きくため息をついた。
「民衆が……王様を信じてる。でも、疑ってる人もいる」
スマホを握る手に力が入る。
胸の奥に、あの時の引き寄せられる感覚がまだ残っていた。
息を吸うたび、少しだけ重く感じる。
「浄化儀式……やっぱり受けるしかないよね……」
ここまで壮大な儀式になるとは思っていなかった。
自分から王様に「受けるべきだ」と言った手前引くに引けない。
窓の外はもう暗い。
なのに、胸の中だけが落ち着かないままだった。
——その時。
『カヤ』
レオンの声が、遠くから聞こえるように響いた。
由奈は思わず息を呑み、スマホの画面を見た。
(王様……)
『お前の名が、この世界の伝承にあった。創造神カヤ。そう書いてある』
(うん……。でも私は――)
「神様なんかじゃない」そう言おうとした由奈の声は震えていた。
レオンは本のページを指で押さえたまま、言葉を続ける。
『だが、ここにある創造神は神殿が言う神と違う。祈りに応える神じゃない。……なら、浄化で炙り出される類でもない。たぶんだ』
自分に言い聞かせるような言い方になった。
由奈が息を飲む気配がする。
『明日、浄化儀式を受ける。噂ごと、黙らせる。俺は正しい。それを見せればいい』
(……うん)
返事は小さい。
けれど、消えそうで消えない。
(私は……王様を一人にしない)
その言葉だけが、妙に強かった。
『……ああ』
レオンは静かに目を閉じた。
由奈は暗いリビングで、スマホを胸に抱えたまま、じっと息を整えた。
明日が来る。
来てほしくないのに、止められない。
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