第12話 戦場無敵王の『悪神憑依疑惑』を徹底擁護せよ!②
―――神殿 炊き出し場―――
炊き出し場では、貧しい民衆に温かい食事が配られていた。
大きな鍋から湯気が立ち上り、その匂いが空腹の民衆を引き寄せる。
列を作る民衆の顔には疲労と、束の間の安堵が混ざっていた。
ここでも、神官たちがレオンを遠巻きに見ていた。
その視線は、まるで珍しい獣を観察するかのように、好奇と警戒が混ざったものだった。
レオンはその視線を感じ取り、少し肩が強張った。
だが、動じる姿を見せまいと、気丈に振る舞っていた。
シグルは穏やかな表情を見せつつも、神官の動きや民衆の反応を警戒していた。
セレス自らが配膳を手伝い、一人一人に笑顔で食事を手渡していく。
その動作は慣れたもので、民衆も彼女に笑顔を返す。
それは、彼女と民との信頼の証だった。
「セレス様、ありがとうございます」
ある若い母親が、深く頭を下げた。
「いいえ。どうか、温かいうちに召し上がってください」
セレスは優しく微笑み、その手で母親の手を包み込むように食事を渡した。
「聖女様……なんとお優しい……」
老婆が涙を浮かべながら、セレスに手を合わせた。
「神の慈愛は、すべての人に等しく注がれます。どうか、お身体を大切になさってください」
セレスは、一人一人に丁寧に言葉をかけていた。
声音は温かく、民衆の心に染み入るようだった。
(これが……神殿――聖女としての役目なのか)
レオンはその姿を見て、心の中で呟いた。
彼の目が、セレスの動きを追う。
彼女は訪れる人々に言葉をかけ、その手は決して急がない。
まるで、民衆一人一人が大切な存在であるかのような振る舞いだった。
そしてレオンは、列を作る民衆の姿を間近で見た。
痩せ細った体、ぼろぼろの服、疲れ切った目。
(これが……俺の国の民なのか)
ズキン、とレオンの胸に痛みが走った。
(これほど困窮している民がいるというのに……俺は、今まで何もしてこなかった)
レオンの手が、小さく震える。
前世も、これまでの人生も、見ているつもりで、見ないまま通り過ぎてきた。
そう思った瞬間、胸に鈍い重みが沈んだ。
『民のため』と言いながら、実際に従っていたのは自分の正しさだけだった——その結果だ。
「陛下も、ご一緒にいかがですか?」
セレスが、レオンに笑顔を向けた。
それにハッと我に返ったレオンは、一瞬躊躇したが、深く頷いた。
彼は配膳を手伝い始める。
その動作はぎこちなく、何度か食事をこぼしそうになった。
レオンの手が震え、彼は必死にそれを抑える。
しかしその真剣さが、民衆に伝わった。
民衆が驚いて声を上げる。
「おうさまが……!」
「へいかが、われわれに食事を……!」
ある老人が、レオンの手から食事を受け取り、深く頭を下げた。
「ありがとうございます……陛下……」
その声は震えていて、涙が目に浮かんでいた。
レオンは、その涙を見て胸が締め付けられた。
(この老人は……どれだけ苦しんできたのだろう)
レオンは、老人の手を見つめた。
その手は、働きすぎてあちこちに肉刺や古い傷がある。
『いいじゃない、王様! 民衆との距離が縮まってる!』
カヤの声が、嬉しそうに響いた。
シグルは、その光景を静かに見守っていた。
(陛下が……民に寄り添っておられる)
シグルの目に、わずかな安堵が浮かぶ。
しかし、彼の警戒は解けていなかった。
なぜなら周囲の神官たちの視線は、まだ冷たいままだったからだ。
***
レオンとセレスは中庭のベンチで休んでいた。
木陰が心地よく、風が二人の髪を揺らす。
鳥のさえずりが聞こえ、この場所だけが、神殿の中で唯一とても穏やかだった。
レオンは深く息をつき、その肩から力が抜けた。
「今日はいかがでしたか?」
セレスは柔らかく微笑みながら尋ねた。
レオンは少し間を置いて、口を開いた。
「見えてなかったものが、多い。今日それが分かった」
両手を組みながら、遠くを見る。
中庭には小さな子供たちが、無邪気な笑い声をあげていた。
「陛下は……本当に変わられましたね」
セレスが、静かに言った。
「そう、見えるか?」
レオンは、セレスを見た。
彼の目には、疑問が浮かんでいる。
「はい。以前の陛下は……神殿に来られても、民の列を見ようとされなかった」
セレスは微笑む。
しかしその笑みには、悲しみも混ざっていた。
「ですが今日、陛下は民と向き合っておられました」
レオンは複雑な表情を浮かべ、視線を遠くに向けた。
彼の目が、中庭の花を見つめるが、焦点は合っていない。
(俺は……他の人が分かる位、そんなに変わったのか?)
レオンの心の中で、疑問が渦巻く。
(それとも……カヤの影響で、一時的に変わっているだけなのか?)
組んだ手に力を入れながら、遠くを見る。
(俺の変化が、俺のものじゃないなら……王として、何を信じればいい?)
その握り方は不安を隠すかのように、強かった。
セレスは、そんなレオンの様子を静かに見つめていた。
「……セレス」
レオンが不意に口を開いた。
セレスは少し驚いて、レオンを見る。
「はい」
「今日ここに来なければ、俺は何も見えなかった」
レオンは真っ直ぐセレスを見た。
向けた目は、純粋に感謝を伝えようとしていた。
「今日の案内があったからこそ、俺は民の顔を見られた。色々説明してくれたから、俺は神殿の役割を理解できた」
セレスの頬が、徐々に赤く染まる。
「そんな……私は、ただ……」
「いや、だからだ」
レオンは迷いなく、首を振った。
「他の神官なら、俺に正しい答えだけを見せただろう。綺麗な部分だけを並べて、満足させようとした」
レオンは視線を中庭に戻した。
「でもあなたは違った。……俺に、本当のものを見せてくれた」
セレスは息を呑んだ。胸が、ドクンと高鳴る。
「陛下……」
「王になってから尚更、誰の言葉も信じられなくなっていた。皆こぞって、俺が聞きたい答えばかり並べる。本音を隠して、建前で話す」
レオンはそこで、自嘲気味に口の端を上げる。
「でもあなたは……違う。俺に本当のことを言って見せてくれた。」
セレスの目が、潤んだ。
「陛下……そんな……」
「ありがとう、セレス」
レオンは、穏やかに微笑んだ。
その笑顔はぎごちなくもあるが——セレスが今まで見たことのない、柔らかなものだった。
「……っ」
セレスは顔を伏せた。
頬がさらに赤く染まり、心臓が、早鐘を打っている。
レオンは、セレスの動揺に全く気づいていなかった。
ただ素直に、感謝を伝えただけだった。
***
―――神殿 礼拝堂―――
夕刻、セレスはレオンを礼拝堂に案内した。
広大な空間に、大きな慈恵神の像が安置されていた。
その像は優しい表情を浮かべ、手を広げて民を包み込むような姿勢をしている。
夕日が、ステンドグラスを通して差し込み、礼拝堂を神秘的な光で満たしていた。
反射の光が神像を照らし、まるで神が微笑んでいるかのように見えた。
回廊では、やけに多くの神官が「案内」として付いてきた。
その数は必要以上で、監視しているように見えた。
(そんなに俺の行動が気になるのか?)
レオンは気配を拾い、苛立ちを隠さず顔をしかめた。
背筋に冷たさが走り、表情が硬くなる。
「ここで、少しお祈りを。陛下もよかったら、ぜひ」
セレスはいつものように、神像の前に優雅に跪いた。
レオンも、その横で跪いた。
しかし、彼の動作は硬い。
これは信仰ではない。
王として礼を欠くわけにはいかないだけだ。
セレスが静かに言った。
「私、少し変わった祈り方をするんです」
「変わった?」
レオンは、セレスを見た。
「はい。生きとし生けるすべての者に感謝をしたくて」
セレスの声は優しかったが——その奥には、強い信念が宿っていた。
そして、少し躊躇してから続けた。
彼女の手が、わずかに握られる。
「本当は慈恵神のみに捧げるものです。……ですが、私は昔から『世界のはじまり』にも、最後に名を添えてしまうんです」
セレスは慈恵神の像を見上げ、少しだけ息を吸った。
「神官の中には、余計なことだと眉をひそめる方もいます。ですが、私はこの結びが好きで」
そして、セレスは目を閉じ、祈りを捧げた。
「慈恵神よ。我が国と、民を、お守りください。——そして、創造神アーク・ディア=カヤよ……どうか、我らの世界をお見放しにならないでください」
その瞬間——レオンの眉がわずかに動き、呼吸が一瞬止まる。
彼の心臓が、ドクン、と大きく鳴った。
(カヤ……だと?)
セレスは祈り終え、ゆっくりと息を吐いた。
そして、監視の気配を確かめるように視線を伏せたまま、小さく続ける。
「特に最近、創造神の名を呼ぶときだけ……周りの空気が変わる気がするんです」
その言葉に、レオンは思わず唾を飲み込んだ。
***
―――現実世界 小林家 リビング―――
由奈は、ソファに座ってスマホを凝視していた。
画面には、『アルカディア王国戦記』の最新話。
セレスがレオンと礼拝堂にいる場面が表示されている。
由奈の指が、衝動に駆られたように画面をスクロールする。
無意識に、呼吸も心なしか速くなっていた。
そしてセレスが「創造神アーク・ディア=カヤ」と唱えた瞬間、由奈の指がぴたりと止まった。
(……え。カヤ? 私の名前? なんでセレスの口から……?)
手が震え、スマホを強く握りしめる。
心臓が、ドクン、と一度だけ大きく鳴った。
偶然?
作者の遊び?
それにしても、タイミングが良すぎる。
そう思った瞬間だった。
スマホの画面が、やけに近い。
いや、近いんじゃない。
自分が、吸い寄せられている感覚。
指先が、じん、と痺れ、耳の奥で低い唸りのような音がした。
視線を外そうとしても、外せない。
(……これ、ただの没入じゃない)
喉が乾き、息が浅くなる。
画面の向こうの、もう一つの空気と混じり合いそうになる——
その時。
「ただいまー!」
玄関から明日香の弾けるような声が飛んできた。
由奈の肩が、びくんと跳ねた。
スマホを落としそうになって、慌てて両手で受け止める。
「……お、おかえり! 手、洗って! あと、うがいも! ランドセルそこ!」
反射で全部出た言葉が、自分でも何を言っているのか分からない。
「はーい!」と元気な声と廊下を駆ける足音。
ガサガサとランドセルから放る音。
現実の雑音が、部屋の空気を一気に塗り替えていく。
由奈は胸に手を当て、ゆっくり息を吐いた。
(……今の、何……?)
スマホを見下ろすと、画面はいつも通りの明るさで、何事もなかった顔をしていた。
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