第12話 戦場無敵王の『悪神憑依疑惑』を徹底擁護せよ!①
―――神殿 オズワルドの私室―――
神官長・オズワルドは、机の上に置かれた聖核石を前に立ち、満足げに微笑んでいた。
朝日が窓から差し込み、石の表面を照らしており、拳ほどの大きさの石は、淡く青白く光を帯びている。
その光が、内部に刻まれた複雑な紋様を浮かび上がらせた。
彼の指が、御像の冷たく滑らかな表面をゆっくりと撫でると、錯覚めいた温もりが指先に返ってくる。
まるで何かが、中に宿っているかのようだった。
「本日は聖女セレス様との交流。だが、神殿での我々の動きを、陛下に悟られてはならん。警戒されれば、儀は滞る」
オズワルドは水晶玉を取り出し、両手で慎重に持つ。
その表面が淡く光り始め、やがて王宮の執務室が映し出された。
レオンが机に向かっている姿が見える。
オズワルドの目が、映る王の姿を、ひやりと見据えた。
「そして明日……浄化儀式で、すべてが明らかになる」
水晶玉を置き、彼は再び聖核石に手を伸ばした。
石の表面を慎重に撫でながら、邪悪な笑みを浮かべる。
「この聖核石で降神の感触は掴めた。本式の御像に収めれば、あの力を完全に固定できる」
低い声が、舌なめずりするようにねっとりと響いた。
「器が整えば、あとは神をこちらに落とすだけだ」
彼の手が、石を握りしめる。
その握り方は、まるで何かを奪い取ろうとするかのようだった。
聖核石が、圧力に応えるように——わずかに脈動した。
***
―――王宮 レオンの執務室―――
レオンは立ったまま窓際に寄りかかり、腕を組んで外を眺めていた。
その視線の先には、遠くに神殿の尖塔が見える。
彼の表情は硬く、眉間の皺は浅いが、緊張が隠せなかった。
(神殿、か……)
コンコン、と扉がノックされた。
レオンはゆっくりと振り返った。
「陛下、シグルです」
「入れ」
扉が開き、一礼をしてシグルが入ってくる。
彼はいつもの予定表を小脇に抱え、扉を静かに閉めた。
しかし、その表情はいつもより硬く、唇が一文字に結ばれている。
「陛下、本日の予定ですが……」
シグルの声は、いつもより一段、低いトーンだった。
「――ああ」
レオンは窓から離れ、机の方へ向かいながら答えた。
その眼差しはどこか重く、疲れが浮いていた。
昨夜の睡眠が足りていない顔だ。
「陛下、昨日はお休みになられなかったのですか? 何かお持ちしますか?」
いつも以上にレオンの表情が硬い様子に、シグルは心配の色を示した。
レオンは手を挙げて制す。
「いや、大丈夫だ。それより今日は……」
「セレス様との交流でございます」
シグルは予定表を手に持ち直し、その表情がさらに険しくなる。
まるで、言いたくない言葉を口にするかのようだった。
「……」
レオンの表情がわずかに変わった。
眉間がさらに寄り、皺が一段深くなった。
「セレス様は慈恵神の選ばれた聖女としてご活躍中です。施療院や炊き出しの視察をご希望とのことです」
シグルの声には、警戒が滲んでいた。
彼の目が、一瞬だけレオンの表情を探るように見つめる。
(神殿が一番、陛下を疑っている。そして、カヤ様を狙っているのかも……)
シグルの手が、予定表を強く握りしめた。
予定表のページの端が、いつの間にか折られている。
「施療院?」
レオンは机の縁に手を置き、わずかに身を乗り出した。
その視線が、シグルの持つ予定表に向けられる。
(民衆に触れる機会か……)
レオンの胸に、一抹の戸惑いが芽生えた。
彼は剣を握ることには慣れているが、民衆と触れ合うことには慣れていない。
何よりも前世では、神殿と民衆の信仰をないがしろにしたことで、民からの信頼を失い、国内は混乱した。
そんな民と、自分が分かり合えるのだろうか?
レオンにとって、民衆は一番の未知なる相手だった。
「わかった」
レオンは深く息をつき、机の上の書類を片付け始めた。
その動作は、いつもより重かった。
「承知いたしました。準備をしてまいります」
シグルは予定表を手に持ち直し、軽く会釈をした。
(陛下……どうか、お気をつけて)
シグルは静かに退室した。
扉が閉まる音は、いつもより重く響いた。
一人になったレオンは、再び窓の外を見つめた。
(神殿……今日、何が起こる?)
***
―――神殿 施療院―――
施療院は、神殿の一角にある質素な建物だった。
石造りの壁は古く、ところどころに亀裂が入っている。
中には簡易的なベッドが並び、病人や怪我人が治療を受けていた。
空気は、薬草と汗の匂いが混ざり合っている。
そして時折、痛みに耐える声が聞こえた。
レオンの後ろには、少し離れて騎士が二人、護衛として付いていた。
彼らの手は、常に腰の剣の柄に触れている。
さらにその後ろには、シグルが控えていた。
予定表を胸に抱き、鋭い目で周囲を観察している。
彼の視線は、神官たちの動きを一つも見逃さないように警戒に満ちていた。
そして神官たちの視線が、レオンの一つ一つの動作や行動を追っていた。
まるで、レオンを試しているかのようなその目つきは、観察するような、値踏みするようなどこか冷たいものだった。
レオンはその視線を感じ取り、わずかに居心地の悪さを覚えた。
セレスが案内役として、レオンの横を歩いていた。
白い神官服に身を包み、優しい笑顔を浮かべている。
その笑顔は、周囲の冷たい視線とは対照的に、温かかった。
しかし、セレスが微笑むたび、周囲の神官がわずかに眉をひそめるのが見えた。
セレスはその視線に気づいているはずなのにあえて、気づかないふりをしていた。
シグルは、その異様な様子を黙って観察していた。
(セレス様は、神殿内で孤立しておられるのか?)
「神殿は、ただ祈るだけの場所ではありません。民を救うための場所です」
セレスの声は静かだが、そこには強い信念が滲んでいた。
彼女の目は、真っ直ぐに前を見つめている。
レオンは初めて見る『神殿の民衆救済の現場』に目を見張る。
彼の記憶の中の神殿は、祈りと儀式の場所だった。
しかし、ここは違う。
生きるために戦う場所だった。
その時レオンは無意識に、施療院の配置を観察していた。
ベッドの間隔、神官たちの動線、薬草の保管場所。
(この配置なら、もっと多くの患者を……)
レオンの頭の中で、効率的な配置が瞬時に計算される。
それは、彼が戦場で培った思考回路。
思わず「これでは非効率すぎる」と、指摘しそうな言葉が出そうになった。
その瞬間―――
『―――王様。ここで効率の話は失礼になるから、言うなら「ありがとう」の感謝の言葉だよ』
由奈の声が、必死に響いた。
レオンは、はっとして口を開く。
彼の手が、小さく震えた。
自分の思考の癖に、気づいたからだ。
「……手当てと配慮、見事だ。感謝する」
ぎこちない言葉だった。
レオンの声は、いつもより少し高く、不自然に聞こえた。
近くにいた神官が、驚きざわついた。
(陛下が……感謝を?)
シグルも、微かに目を見開いた。
セレスは微笑み、その目が優しく細まった。
「陛下は……変わられましたね」
「変わった?」
レオンは、戸惑った表情を見せた。
彼の眉が、疑問符のように上がる。
「はい。以前の陛下なら、礼を言う前に命令で終わっていたはずです。民の前で『ありがとう』を口にする方ではありませんでした」
セレスの言葉に、レオンは少し驚いた表情を浮かべた。
彼の目がすっと見開かれ、視線が揺らいだ。
(俺は、確かに感謝は口には出してこなかった……)
その時、小さな子供がレオンと目が合った。
怪我をした腕を包帯で巻いている。
その包帯は、少し血が滲んでいた。
「おう、さま……」
子供の声は小さく、怯えたような目でレオンを見上げる。
その目には恐怖と、ほんのり期待が混ざっていた。
レオンの体が、一瞬硬直する。
向けられた視線に、どう接していいかわからない。
かけられた言葉に、どう話しかければいいのかわからない。
彼の手が、戸惑うように宙を彷徨った。
『子供の目線に合わせて、優しく話して! 大丈夫だから』
自分の動揺を察したのか、カヤの声が響く。
レオンは深呼吸をし、膝をついた。
その動作はぎこちなかったが、真剣だった。
彼は子供の目線に合わせ、その目を真っ直ぐに見つめた。
「……怪我、したのか?」
子供は身体を丸くして、小さく頷いた。
「……そうか」
その声は不器用だったが、優しさが滲んでいた。
レオンの手が、そっと子供の方に伸びかけて、止まった。
(剣なら握れるのに、子供は怖い)
まだ、触れることには躊躇がある。
「その……良くなると、いいな」
レオンの言葉に子供の目が輝き、笑顔を見せる。
その笑顔は、太陽のように明るかった。
「うん! おうさま、やさしいね!」
レオンは表情を少しだけ崩した。
その笑みは小さかったが、とても穏やかだった。
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