第10話 戦場無敵王の会話壊滅を回避せよ!③
――― 王宮 中庭―――
散策は、約一時間ほど続いた。
最初こそぎこちなかったが、徐々にリディアも心を開いてくれたようだった。
「陛下、本日はありがとうございました」
リディアは、ドレスの裾を軽く持ち上げ、優雅に一礼した。
「ああ……いや、こちらこそ」
ぎこちなく返したレオンに、リディアは少し微笑んだ。
「陛下は私が思っていたよりも、お優しい方なのですね」
「優しい?」
普段他者から滅多に言われない言葉に、レオンは思わず聞き返した。
その表情には、戸惑いとわずかな驚きが浮かんでいた。
「はい。最初にお会いしたの時は、少し恐ろしい方だと思っておりました」
リディアは正直に言った。
「ですが、今日お話ししてみて……陛下は、ちゃんと私の話を聞いてくださる方だとわかりました」
「……そうか」
レオンは、少し照れたように目を逸らした。
その視線の先には、二人で眺めた白い花が静かに揺れている。
リディアは、もう一度優雅に礼をすると、エルザを伴って庭園を後にした。
***
「エルザ」
リディアが、歩く速度を変えずに後ろの侍女に小さく呟いた。
エルザは一歩前に出て、リディアの横に並んだ。
「本日の陛下、態度はどう思う?」
リディアの問いに、エルザは少し迷った。
彼女の手が、わずかに懐に触れる。
「……正直に申し上げてもよろしいでしょうか」
「ええ、構わないわ」
「陛下の様子は……少し不自然に思いました」
エルザは、慎重に言葉を選んだ。
「不自然?」
「はい。まるで、誰かに指示されているような……」
リディアは足を止め、侍女に顔を向けた。
「どういうこと?」
エルザは、あの神官長に渡された水晶を取り出そうと懐に手を伸ばした。
その時——
「失礼いたします」
背後から、静かな声が響いた。
二人が振り返ると、そこに立っていたのは、シグルだった。
いつの間にか近づいていたのか、わずか数歩の距離に彼はいた。
エルザは、反射的に懐から手を離した。
「シグル様」
エルザの声には、わずかな動揺が滲んでいた。
「リディア様、本日の散策はお楽しみいただけましたでしょうか」
シグルは穏やかな笑顔を浮かべ、優雅に一礼した。
その仕草には一分の隙もない。
「ええ、とても」
リディアは微笑んだ。
そのままシグルは、ゆっくりと隣に立つエルザに視線を向けた。
その目は穏やかだが、まるで獲物を見定める狩人のような、鋭い光を帯びていた。
「ところでエルザ殿。何か、今日の事でお困りのことでも?」
シグルの声は柔らかい。
しかし、その言葉の裏には明確な『問い』があった。
「いえ、別に……」
エルザは、わずかに警戒した表情を見せた。
彼女の手が、再び懐に触れそうになるが、シグルの視線を感じて止まる。
シグルは、一歩前に出た。
エルザとの距離が、わずかに縮まる。
「陛下は、最近お疲れのご様子です。不慣れなことも多く、ご負担をおかけしているかと存じます」
シグルの声は、丁寧だった。
しかしその言葉には、牽制が確実に含まれていた。
「もし、陛下のご様子で何か気になることがございましたら、まずは私にお申し付けください。陛下のお側にいる者として、責任を持って対応いたします」
シグルは、エルザを真っ直ぐに見つめた。
その視線は、逃がさない。
エルザは、シグルの見透かされているような視線を受けて、息を呑んだ。
(この人……気づいている?)
シグルの目は瞬だけ、エルザの懐の水晶がある場所へと落ち、そしてすぐに彼女の目に戻る。
その一瞬の動きに、エルザは気づかれたと確信した。
「……承知いたしました」
エルザは、姿勢を正し深く頭を下げた。
言葉の裏に隠された何かを探るような二人のやり取りを、リディアは不思議そうに見ていた。
「シグル様、お気遣いありがとうございます。では、私たちはこれで」
「はい。お気をつけてお帰りください」
シグルは、もう一度礼をし、二人の後ろ姿を見送った。
その場に立ったまま向けた視線は、普段の穏やかな彼からは感じられない程、鋭かった。
(エルザ……北国の侍女頭)
シグルは、先ほどの動きを思い返していた。
エルザは明らかに懐へ何かを忍ばせており、それを取り出そうとしていた。
シグルの拳が、わずかに握られた。
(陛下を監視している? それとも……)
シグルは、深く息をついた。
そして、静かに執務室へと向かった。
その背中には『陛下を守る』という強い意志が滲んでいた。
***
――― リディアの部屋(夜)―――
窓からは、月明かりに照らされた王宮の庭が見える。
リディアは、窓辺に立ったまま外を眺めていた。
その横顔には、何かを考え込むような表情が浮かんでいる。
「エルザ」
リディアが、振り返らずに呟いた。
「はい」
エルザは、部屋の入り口近くで控えていた。
「さっきのシグル様……何か、あなたに言いたそうだったわね」
リディアの声は、静かだが鋭かった。
「……そうですね」
エルザは、慎重に答えた。
リディアは、ゆっくりと振り返った。
月明かりが、彼女の白い肌を照らしている。
「あなた、何か隠してるの?」
その視線は、真っ直ぐにエルザを見つめていた。
「……」
エルザはしばらく黙っていた。
彼女の手が、わずかに震える。
そして意を決したように、懐から透明な水晶を取り出した。
月明かりを受けて、水晶が淡く輝く。
「実は……神官長から、これを預かりました」
エルザは水晶を両手で持ち、リディアに差し出した。
「それは?」
リディアは、水晶に近づいた。
その瞳に、水晶の光が映り込む。
「霊的な波動を感知する水晶だそうです。そして、陛下の近くで、この水晶が反応しました」
エルザの声には、わずかな緊張が滲んでいた。
リディアの表情が、強張った。
彼女の手が、胸元に当てられる。
「霊的? つまり……陛下には、何かが憑いているということ?」
「……その可能性があります」
エルザは、頷いた。
リディアは水晶を見つめたまま、しばらく動かなかった。
「ですが……シグル様が、私たちを牽制してきました」
エルザは、続けた。
「牽制?」
リディアは、顔を上げた。
「はい。まるで、陛下に何かあることを守ろうとしているような」
エルザの目には、疑念が浮かんでいた。
リディアは、窓辺に戻り再び外を眺める。
夜風が窓から入り込み、彼女の髪をわずかに揺らした。
しばらくの沈黙。
そして——
「でも陛下は、言葉は不器用でしたけど、一生懸命、私と向き合おうとしてくださったわ」
リディアの声は、静かだった。
彼女は、散策の時のことを思い出していた。
ぎこちなく「天気が良いな」と言った王。
花の名前を知らず、戸惑っていた王。
それでも、真剣に自分の話を聞いてくれた王。
そして「白い花が似合う」と見つめてくれた――
リディアは振り返り、真っ直ぐにエルザを見つめた。
「私は……もう少し、陛下を見極めたい。そして、シグル様の真意も」
その目には、決意が宿っていた。
エルザは、リディアの表情を見て、わずかに驚いた。
「急いで結論を出すべきではないわ。この水晶の反応が、必ずしも『悪』を意味するとは限らない」
エルザは、「陛下を信じよう」というリディアの決意を感じた。
「……承知いたしました」
エルザは水晶を再び懐にしまい、深く頭を下げた。
しかし彼女の心の中には、疑念が残っていた。
(もし、陛下が何かに操られていて、シグル様がそれを隠しているなら……)
エルザの手が、懐の水晶を握りしめる。
彼女の脳裏には、シグルの刺すような警告する瞳が浮かんでいた。
(我々の計画に支障が出るかもしれない。計画の事を知られてはならない。今日の出来事は、そのまま神殿側に報告するのは危険だ)
窓の外では、月が静かに輝いていた。
その光は、それぞれ異なる想いを抱く二人を、冷たく照らしていた。
***
――― 王宮 レオンの執務室(夜)―――
執務室の窓からは、満天の星空が見えた。
レオンは一人窓辺に立ち、その星々を見つめていた。
今日の散策のことが、頭の中で繰り返し蘇る。
リディアの笑顔、白い花、そして自分のぎこちない会話。
レオンは小さくため息をつき、心の中でカヤに語りかけた。
(カヤ)
レオンは、返事を待つように目を閉じた。
やがて——
『お疲れ様、王様!』
明るいカヤの声が響くと、レオンの表情がわずかに緩む。
(……助かった。お前がいなければ、完全に沈黙で終わっていた)
レオンは、手を後ろに組んだ。
その手には、わずかな力が込められている。
『いやいや、王様頑張ったよ! 途中からは、ちゃんと自分で質問できてたし!』
(そうか?)
レオンの声には、まだ自信がない。
『うん! リディアさんの話、ちゃんと聞いてたでしょ?』
レオンは、少し考えた。
リディアが話していた、北国のことや雪の中で咲く白い花のこと。
(ああ。彼女は、北国で厳しい環境に耐えてきた)
レオンは、そのことを思い出していた。
『そう! そういうの、大事なの!』
カヤは続けた。
『散策とか茶会って、相手のことを知るための時間なんだよ』
(……そうか)
レオンは、理解した気がした。
彼は窓から離れ、執務机に向かい椅子に座る。
(戦術会議じゃない。人を知るための時間なんだな)
『そう! やっとわかってくれた!』
カヤの声は、嬉しそうだった。
それに釣られるように、レオンも小さく笑った。
その笑みは、この数年誰にも見せたことのない、穏やかなものだった。
(カヤ、ありがとう)
『どういたしまして』
由奈の声が、優しく響いた。
(次はカリナさんだっけ? また頑張ろうね)
『ああ』
レオンは、再び窓の外を見た。
無数の星が、まるで彼を見守っているかのように静かに輝いている。
(『相手を知る』こと)
レオンは、心の中で呟いた。
(それが、俺に足りなかったものなのかもしれない)
しかし、レオンの胸の奥にわずかな不安が芽生えた。
(だが……浄化儀式を受けたら、カヤとの繋がりはどうなる?)
レオンは、その不安を振り払うように、首を振り立ち上がる。
(いや、カヤが言うなら、大丈夫だろう)
レオンは窓辺に戻り、再び星空を見上げる。
(俺は、カヤを信じる)
その目には決意の光が宿っていた。
***
――― 現実世界 小林家 リビング(夜)―――
由奈はソファに座ったまま、スマホを膝の上に置いた。
画面には、『アルカディア王国戦記』の最新話が表示されている。
レオンとリディアの散策。
シグルの牽制とエルザの疑念。
そして——レオンの成長。
(王様、少しずつ成長してる)
由奈は、スマホを見つめながら、嬉しくなった。
その顔には、母親が子供の成長を見守るような優しい笑みが浮かんでいる。
(最初は何もわからなかったのに、最後の方は自分から質問できてた)
由奈は、今日の少しだけ自信がついたレオンの声を思い出していた。
ソファの背もたれに寄りかかり、天井を見上げる。
(私も……晃と、ちゃんと話せるようになってきた)
由奈は、この間の会話を思い出していた。
『お互い頑張ろう』と、14年前に言ってくれた晃の言葉。
(お互いに、少しずつ変わってる)
由奈は、微笑んだ。
しかし——その笑みが、わずかに曇る。
由奈は、再びスマホを手に取った。
画面には、エルザが水晶を取り出そうとする場面が表示されている。
(でも、浄化儀式の件。本当にあれで良かったのかな……)
由奈の心に、小さな不安が芽生えていた。
(エルザが、王様の様子を怪しんでる。シグルさんは気づいて止めてくれたけど……)
由奈は、スマホを強く握りしめる。
(私の判断……間違ってないよね?)
由奈は、不安を振り払うように、スマホを置いた。
しかし——小さな棘が刺さったように、その不安はいつまでも消えない。
由奈は立ち上がり、キッチンへと向かう。
水を一杯飲んで、深呼吸をして自分を落ち着かせた。
(大丈夫……きっと、大丈夫)
言い聞かせるように、何度も『大丈夫』と呟く。
(この作家のパターンを、私は知ってる。浄化儀式を受ければ、破滅ルートは回避できる……はず)
しかし、その「はず」という言葉が由奈の心に、さらなる不安を呼び起こした。
窓の外では、夜が更けていく。
静かな住宅街に、時折車の音が響く。
由奈は、ふと窓の外を見つめた。
そこには——レオンが見ているのと同じ、星空が広がっていた。
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