第10話 戦場無敵王の会話壊滅を回避せよ!①
――― 王宮 執務室―――
浄化儀式の日程が決まったその日、レオンにはもう一つの予定があった。
シグルが、予定表を手に尋ねた。
「陛下、準備はよろしいですか」
「……ああ」
レオンは、明らかに気が重そうだった。
その表情は、まるで戦場に向かう前のような——いや、戦場よりも緊張しているような表情だった。
「リディア様との、初めての散策でございます」
「わかっている」
レオンは小さくため息をついたつもりだったが、シグルには大きなため息に聞こえた。
シグルは、その様子を見て眉をひそめた。
「陛下……あの、大丈夫ですか?」
「……何がだ」
「いえ、その……昨夜から、執務室で何度も独り言を言っておられたと聞きまして」
「独り言?」
「はい。『散策とは何だ』『会話を楽しむとは』『花について何を言えばいい』と……廊下まで聞こえていたそうです」
「なっ……」
苦笑いを浮かべたシグルの言葉に、レオンはわずかに顔を赤くした。
「……そうか、聞こえていたか」
レオンは、昨夜から悩んでいた。
戦術会議なら得意だ。
戦場なら、敵の動向が読めれば、自分の感覚を信じて剣を振るえばいい。
敵が100人いようが、1000人いようが、剣を振るえば解決する。
しかし――
(「散策」で「会話を楽しむ」とは、一体どういうことなのか? 剣では解決できない……!)
レオンの頭の中は、混乱していた。
シグルは、レオンの緊張した横顔を見て恐る恐る聞いてみる。
「陛下。念のため、お聞きしますが……『散策』の意味は、ご理解されていますか?」
「当然だ」
レオンは、即答した。
「庭を歩くことだろう」
「はい。それで、その間に?」
「……歩く」
「他には?」
「景色を、見る?」
レオンの非常に自信のない返答にシグルは、深く息をついた。
(やはり、何もわかっていない……!)
「陛下。散策とは、お相手と会話を楽しみながら、親睦を深める時間でございます」
「会話……」
レオンは、重々しく呟いた。
まるで『戦争』という言葉を聞いたかのような重さだった。
「はい。リディア様のお話を聞いたり、陛下のことをお話ししたり……」
「俺のことを? 何を話せばいい?」
「例えば、陛下のお好きなものとか……」
「好きなもの……」
レオンは、腕を組み真剣に考え込んだ。
「……剣だな」
「他には?」
「訓練」
「趣味は?」
「剣術」
返ってくるものが全て剣関係の内容に、シグルは思わず額を押さえた。
戦場でこれほど頼れる方が、なぜこうも不器用なのか。
「あの、陛下。カリナ様ならその内容でご理解いただけると思いますが、明日はリディア様です。剣とは無縁な方なので、もう少し……こう、日常的なことは……」
「日常? 朝起きて、訓練して、執務して、また訓練して、寝る」
「……」
シグルは返答の破壊力に、膝から力が抜けそうになった。
(これは……これは、相当まずい……!)
これ以上助言しても、レオンを更に悩ませるだけになると判断したシグルは、質問をするのを止める選択肢を選んだ。
「……陛下、そんなに悩まれなくても大丈夫です! リディア様は優しく聡明な方です。きっと色々察していただける方なはずです」
シグルは、努めて明るく笑顔で言った。
──もういい、ここで終わりにしよう。と胸の中でつぶやいた。
「……そうか」
レオンは、あまり納得していない様子だった。
その表情は、まるで「明日処刑される囚人」のようだった。
(カヤに、もう一度聞いておくべきか……いや、今聞いてもシグルときっと同じことを言われるだろう)
レオンは、重い足取りで中庭へと向かった。
***
―――王宮 中庭―――
約束の時間。
リディアが、中庭で待っていた。
彼女は、北国の姫らしい、上品で凛とした佇まいで淡い青色のドレスを着ている。
その後ろには、リディアの侍女エルザが控えていた。
「お待たせした」
シグルを引き連れレオンが現れると、リディアは優雅に一礼した。
「いいえ、陛下。私もたった今参りましたところです」
彼女の声は、落ち着いていて、どこか距離を感じさせる。
レオンは、一瞬視線をエルザに向けた。
エルザは深く頭を下げているが、その目は鋭く、何かを観察するような光を帯びていた。
(……なぜ、侍女がこちらを見ている?)
レオンは、わずかに違和感を覚えた。
しかし、今はそれどころではない。
レオンは、リディアに向き直った。
「……」
「……」
お互い向き合ったまま、レオンの視線だけがせわしなく彷徨った。
レオンは、何か言わなければと思った。
しかし——
(何を言えばいい? 「こんにちは」? いや、もう挨拶は済んだ。「今日は良い天気ですね」? いや、それは歩きながら言うべきか……)
レオンの頭の中で、思考が空回りしている。
リディアもレオンの様子を見て、少し困惑していた。
(陛下……何も仰らない)
やがてしびれを切らしたのか——
「では、陛下。参りましょうか」
とリディアが促した。
「あ、あぁ」
レオンは、ほっとしたように答えた。
(歩けばいいんだな。よし、歩くことなら得意だ)
レオンは、歩き始めた。
リディアも、優雅についてくる。
その後方では、シグルとエルザが、主君たちに付き従っていた。
シグルは、レオンの後ろ姿を心配そうに見つめている。
(陛下……本当に大丈夫でしょうか)
レオンの背中は、いつになく固い。
まるで、敵陣に一人で乗り込むような緊張感が漂っていた。
散策でここまで硬くなる陛下を、シグルは初めて見た気がした。
シグルは内心で苦笑しつつも、視線をリディアとエルザにも向けた。
リディアは、上品な足取りでレオンについていく。
その表情は穏やかだが、時折レオンの横顔を気にしているようだった。
そして侍女のエルザは、レオンとリディアの両方を鋭い目で観察している。
(あの侍女……ただの者ではないな)
何かを見極めようとするエルザの様子にシグルは違和感を覚えた。
***
沈黙。
ただの沈黙ではない、非常に気まずい沈黙である。
いや、「気まずい」という言葉では足りない。
「耐え難い」沈黙だった。
中庭には、鳥のさえずりと、噴水の水音だけが響いている。
その音すらも、沈黙を強調しているようだった。
レオンは、内心で焦っていた。
(……何を話せばいい? 景色? 花?)
レオンは、滅多に来ることが無かった自分の庭園を見回した。
確かに、色とりどりな花が咲いている。
この日のために庭師が整えてくれたのだろう。
しかし——
普段庭園など興味がないので、花の種類など知っているわけがなかった。
(あの赤い花は……何だ? バラか? いや、バラはもっと……あの黄色いのは? 見たことはあるが、名前が……)
レオンの脳内会議は、迷走していた。
(「綺麗ですね」と言えばいいのか? でも何が綺麗なのか言わないと、おかしいか? 「あの花が綺麗ですね」? でも、花の名前が言えないのは……!)
レオンの頭の中は、疑問符だらけだった。
そしてレオンは、ある『恐ろしい事実』に気づいた。
(そういえば、俺は綺麗という言葉を、戦場以外で使ったことがない……!)
「綺麗な剣筋だ」とか「綺麗な戦術だ」とかは数回、口にしたことはあったが―――
(花に対して「綺麗」と言っていいのか?)
レオンの思考は、完全に袋小路に入っていた。
一方のリディアは、レオンの横顔をちらりと見た。
(陛下……先ほど目も合わさず、何も話されない)
彼女も、少し困惑していた。
(面談の時は、あれほど的確にお話をされていたのに……まるで、別人のよう……)
リディアは、レオンの表情を観察した。
レオンの眉間には、深い皺が刻まれている。
まるで、難解な戦術問題を解いているような——いや、それ以上に深刻な表情だった。
(……何をそんなに悩んでおられるのだろう)
レオンの唇は、まだ開かなかった。
リディアは、何か話題を探そうとした。
しかし、王から話しかけるのが礼儀だ。
彼女は黙って待つしかなかった。
(でも、このままでは……)
リディアも、徐々に焦り始めていた。
後方では、エルザが二人の様子を観察していた。
(陛下の様子が……おかしい)
エルザは、鋭い目でレオンを見つめていた。
(まるで、何かと戦っているような……。いや、それ以上に……何かに怯えているような?)
エルザは、懐に手を当てた。
そこには、オズワルドから渡された水晶がある。
(今は、まだ……)
二人の思惑をよそに、レオンはついに決断した。
額には、汗が浮かんでいる。
(もう、限界だ……! ここは恥を忍んで、カヤに助けを求めるしかない!)
レオンは、心の中でカヤに呼びかけた。
(カヤ! 助けてくれ! 何を話せばいい!?)
その声は、まるで戦場で援軍を求めるような——いや、それ以上に切実だった。
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