第8話 14年前の『お互い頑張ろう』をもう一度①
―――現実世界 小林家 リビング(夜)―――
由奈はスマホを握りしめたまま、涙をこらえていた。
画面には、『アルカディア王国戦記』最新話の文字が表示されている。
シグルとレオンの過去——10年前、優柔不断だったシグルが、迷いなく決断する若きレオンに惹かれた話。
(シグルさん……)
由奈の胸に、ある記憶が蘇った。
(私も同じだった)
***
―――14年前 東京・派遣会社の事務所―――
当時、由奈は24歳。
大学卒業後、就職活動に失敗し派遣社員として働いていた。
「派遣先のこの契約、来月で終了なんだけど……」
派遣会社の担当者が、申し訳なさそうに告げた。
「次の仕事どうする? 地元に戻る? それともこのまま東京圏で探す?」
由奈は答えられなかった。
「その……まだ、決めてないです」
実家は静岡。
両親は「戻ってきてもいいのよ」と言ってくれている。
東京にはまだ可能性がある気がする。
でも、派遣を続けても先が見えない
かと言って、地元に戻ってもやりたい仕事があるわけじゃない
(どうすればいいんだろう。どっちを選んでも、何かを失う気がする)
由奈は、毎日同じ問いを自分に投げかけては、答えを先延ばしにしていた。
***
ある金曜日の夜、派遣先の会社で送別会があった。
退職する同僚のための小さな飲み会。
由奈は隅のほうで、黙々とビールを飲んでいた。
「ずいぶん、暗い顔してるな」
突然、隣に座った男が声をかけてきた。
晃だった。
同じ派遣会社から来ている技術職の男性。
仕事では何度か顔を合わせたことがあったが、まともに話すのは初めてだった。
「……そう見えますか?」
「ああ。何か悩んでるのか」
晃の口調はぶっきらぼうで、正直あまり感じが良くなかった。
「まあ……もうすぐ派遣の契約が終わるので、次をどうしようかと」
「ふーん」
晃はビールを一口飲んだ。
「で、どうするんだ」
「まだ……決めてないです」
「決めてない? 何に迷ってる」
晃の問いは、まるで仕事の報告を求めるような無機質なトーンだった。
そのトーンに怖気づきながら、由奈はしどろもどろに答える。
「その……このまま東京で仕事を続けるか、地元に帰るか……」
「どっちがいいと思ってる?」
「それが……わからなくて」
由奈は目を伏せながら正直に答えた。
「東京に残っても、正社員になれる保証はないし……でも地元に帰っても、やりたいことがあるわけじゃないし……」
「つまり、どっちもリスクがあるから決められないってことか」
「……はい」
晃はしばらく黙りそして、ぽつりと言った。
「迷いが長くなるだけだぞ、それ」
「え?」
「まだ起きてないことを想像して怖がってる。その間に、決断のタイミングはどんどん遅くなる」
晃の言葉は、冷たく聞こえたが――的確だった。
「東京に残って失敗するかもしれない。地元に帰って後悔するかもしれない。でも、それはやってみないとわからない」
「……」
「迷ってる時間が長いほど、どっちを選んでも中途半端になる」
由奈は、その言葉に打たれた。
そう、自分はずっと怖がってただけだ。
起きてもいないことをずっと想像して、動けなくなっていた。
「じゃあ……どうすればいいんですか」
「決めればいい」
晃はあっさりと言った。
「どっちでもいい。決めたらその道でベストを尽くす。それだけだ」
「……小林さんは、決めてるんですか?」
「ああ」
晃はビールを飲み干した。
「俺は正社員の仕事が決まったから、このまま東京で仕事を続ける」
「え……すごいですね」
「まあな。お前はどうする?」
「私は……」
由奈は迷った。
「まだ、決められなくて……」
「どっちにするか迷ってるなら、東京で勝負してみたらどうだ」
晃の言葉は、相変わらずぶっきらぼうだったが、どこか励ますような響きがあった。
「中途半端に逃げるより、ちゃんと挑戦した方がいい。その方が後悔しないだろ」
「でも……怖いです」
「そりゃそうだ。新しい事にチャレンジするんだからな」
晃は当たり前のように言った。
「でも、一人じゃないだろ。同じように頑張ってる奴は世の中にたくさんいる」
そして晃は少し照れたように顔を背け、声のトーンを落とした。
「……もし東京に来るなら。まあ、何かあったら相談くらいは乗るよ」
その言葉に、由奈は胸が温かくなった。
(この人、不器用だけど……私にはない決断力がある。迷わず、前に進める強さがある人なんだ)
「……ありがとうございます」
由奈は、吹っ切れたように初めて笑顔を見せた。
「私……東京で、頑張ってみます」
「おう。お互い頑張ろう」
晃はぶっきらぼうに笑った。
その笑顔を見て、由奈は思った。
(この人と、もっと話してみたい)
飲み会の後、由奈は東京に残ることを決めた。
そして、晃とは時々連絡を取り合うようになった。
最初は、仕事の相談や愚痴を聞いてもらう程度だった。
「晃さん、今度の面接、緊張します……」
「大丈夫だ。お前なら受かる」
晃は相変わらずぶっきらぼうだったが、由奈の話をちゃんと聞いてくれた。
そして、何度か一緒に食事をするうちに、晃の意外な一面を知った。
「お前、小説好きなのか」
「……ファンタジーとか、異世界ものとか」
「へえ。俺は全然読まないな」
「そうですよね。なんか趣味偏ってますよね、私……」
「でもお前が好きなら、それでいいんじゃないか」
晃の何気ない言葉が、由奈には嬉しかった。
この人は、私を否定しない。
私の好きなものを、馬鹿にしない。
そして……いつも、私の背中を押してくれる。
気づけば、由奈は晃のことを考える時間が増えていった。
そして、半年後——
晃のほうから、ぎこちなく告白された。
「あー……その、お前と一緒にいると、なんか……落ち着くというか……」
「え?」
「だから……付き合ってくれ」
由奈は驚いて固まったが、すぐに笑顔で答えた。
「はい! 喜んで」
それから1年後、二人は結婚した。
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