第7話 誰も信じなかった王と、最初の味方になると決めた男②
―――北方遠征 山岳地帯 (10年前) ―――
西回りの山道は、予想以上に過酷だった。
吹雪が続き、引き連れた馬が次々に倒れ、補給物資も底をつき始めた。
「殿下、このままでは……」
部下たちが不安を口にし始めた頃、レオンは一言も弱音を吐かなかった。
「進むぞ。ついて来れる者だけついてこい」
彼はそう言うと、自ら先頭に立って雪を掻き分けた。
しかし、誰とも目を合わせようとはせず、部下たちの名前を呼ぶこともなかった。
状況が悪化するにつれ、兵士たちは慈恵神に祈り始めた。
「神よ、どうか我らをお救いください……」
「この試練を乗り越える力を……」
夜営では即席の祭壇が作られ、多くの者が膝をついて祈りを捧げた。
しかし、レオンだけは祈らなかった。
「殿下も慈恵神様に、祈られてはいかがでしょうか? きっとご加護があるはずです」
ある古参の騎士の進言に、レオンは鋭い眼差しで冷たく言い放った。
「はず、だと? 神などという不確定なものに頼るつもりはない。俺は、俺の剣と判断だけを信じる」
その言葉に、周囲は凍りついた。
神すらも頼らず、たった一人で全てを背負う。それが、この人の生き方なのだ。
シグルは、その背中を見つめながら思った。
なんと、孤独な人なのだろう。
シグルの胸に、ある想いが芽生えた。
(私が、この方の最初の味方になりたい……!)
そして、遠征は成功した。
反乱軍は想定よりも早く鎮圧され、民の被害は最小限に抑えられた。
***
―――帰還後 王宮―――
遠征から戻った日、シグルはレオンの前に跪いた。
「殿下、私を……あなたの側に置いてください」
レオンは訝しげに眉をひそめた。
その目には、依然として警戒と不信が宿っていた。
「お前は補給担当だろう」
「はい。しかし、私は決めました。この先の人生を、殿下のために使うことを」
「は? お前は何を言っている」
「殿下は、誰よりも決断の重さを知っていながら、迷わず選べるお方です」
シグルは真っ直ぐにレオンを見上げた。
「しかし同時に、殿下は誰も信じていない。あまりにも孤独です」
思わぬ指摘だったからだろうか。
レオンの表情が、わずかに揺れた。
「だから、私が側にいます。殿下の最初の味方になります」
「……味方だと?」
レオンは冷笑し、シグルに強く目を向ける。
「お前は何を企んでいる。俺を利用して、出世でもしたいのか」
「いいえ、違います」
シグルは即座に首を振った。
「出世など望んでいません。私はただ、殿下をお支えしたい。それだけです」
レオンはしばらく黙っていたが、やがて小さく息をついた。
「……好きにしろ」
それは許可というより、諦めに近い言葉だった。
しかしシグルにとって、それは人生最大の決断の瞬間だった。
いつか、この人が心から誰かを信じられる日が来るまで。
(私は、最期まで殿下の側にいる)
***
―――王宮執務室 (現在)―――
「だから私は、今もここにいるのです」
シグルの話を聞き終えたレオンは、長い沈黙の後、ぽつりと呟いた。
「……そんなことがあったのか。俺は、全く覚えていない」
レオンは思い返すように目を伏せた。
「当時の俺は……お前を、一人の人間として見ていなかった。誰も信じず、誰の顔も名も覚えようとしなかった」
「陛下……」
「お前がどんな想いで俺に仕えてくれたのか、お前がどれほどの覚悟で側にいてくれたのか……俺は何も知らなかった」
レオンの声には、深い後悔が滲んでいた。
「構いません。陛下が覚えていなくても、私の決意は変わりません」
シグルは静かに言った。
「今まで私は決断することを恐れていました。ですがあの日、陛下の決意に触れ、私は『この人のもとで働きたい』と心から思いました。そして同時に、『最初の味方になりたい』と思ったのです。それは今も変わりません」
シグルの抱いていた想いに、レオンは物憂い表情を浮かべる。
「確かにあの頃の俺は、誰も信じていなかった。……だが、シグル」
「はい」
「俺は変わった。今の俺は、お前が仕えようと決めたあの頃の俺ではない。人を見ることによって、自分の判断に疑問を持つような人間になってしまった」
シグルは首を横に振った。
「それは違います、陛下」
「何?」
「あなたは変わったのではなく……成長されたのです」
レオンは目を見開いた。
「昔のあなたは、確かに迷いなく決断されました。しかし、それは他者を信じず、他者の痛みを理解しない、孤独な決断でもあったはずです」
シグルの言葉は、静かだが力強かった。
「今のあなたは、迷い、悩まれます。しかしそれは、弱さではありません。相手の立場を想像し、人を信じられるようになった——その証です」
「シグル……」
「あの日、私は誓いました。いつか陛下が心から誰かを信じられる日が来るまで、側にいると」
シグルは深く頭を下げた。
「そして今、陛下には創造神がいる。陛下は人を信じることを学ばれた。私は、今のあなたを誇りに思います」
シグルの言葉に、レオンはしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「……ありがとう、シグル」
それは、レオンにしては珍しく素直な言葉だった。
シグルは微笑むと、先ほどまで見ていた書類を取り上げた。
「ところで陛下、少々お時間をいただけますか。今後の予定についてご相談があります」
「予定?」
「はい。三名の后候補との交流日程についてです」
交流、という言葉にレオンは眉をひそめた。
「もう面談は終わったはずだが」
「はい、正式な面談は終わりました。しかし、陛下はこれからお一人を選ばなければなりません」
シグルは予定表をレオンの前に広げた。
「今後数週間、陛下にはリディア様、セレス様、カリナ様と、それぞれ定期的に交流していただきます」
「交流?」
「はい。正式な妃はお一人だけを選ぶために、お互いをよく知る必要があります」
レオンは予定表を見つめた。
そこには三人それぞれとの散策、茶会、夕食会などが、驚くほど均等に配置されていた。
「……やけに細かいな」
「これには、政治的な意味があります」
予定表に顔を近づけ眉を寄せるレオンに対し、シグルは真剣な表情で続けた。
「北国、神殿、騎士団——三つの陣営は、それぞれ独自の思惑を持っています。もし陛下がどれか一つに偏れば、選ばれなかった陣営が動き出すでしょう」
「だから、均等に接しろと」
「左様です。選定が終わるまでの間、どの陣営にも『選ばれる可能性がある』と思わせ、同時に『軽視されている』とも思わせない。このバランスが、今の王国には必要なのです」
レオンは予定表を見つめながら、顔をしかめた。
「……散策? 茶会? なぜそんな回りくどいことを」
「陛下……」
「戦場なら、相手の強さは剣を交えればわかる。だが、茶を飲んで何がわかるんだ」
やはり、陛下は……と、レオンの予想通りの反応にシグルは深く息をついた。
「陛下、妃選びは戦ではありません」
「それはわかっている。だが……」
レオンは予定表を指でなぞりながら、困惑した表情を浮かべた。
「散策で何を話せばいい? 茶会とやらで何をすればいい?」
「……では陛下は、どのようにお過ごしになるおつもりでしたか」
「そうだな……」
レオンはしばらく真剣に考え込み答えた。
「とりあえず、三人それぞれに『お前達のところに何が必要か』を聞いて、一番有益な答えを出した者を選ぶ、とか」
返ってきた答えに、思わずシグルは頭を抱えた。
「それは……事務的な面接です」
「面接ではダメなのか」
「ダメです!」
シグルは声を荒げそうになるのをこらえ、咳払いをした。
「陛下、妃候補は部下ではありません。政治的パートナーであり、同時に……陛下の人生を共にする伴侶なのです」
「……つまり?」
「つまり、お互いの立場関係なく、散策では景色について話し、茶会では好みの菓子について語り合い、夕食会では……」
「———ちょっと待て」
レオンは手を上げ、続く言葉を制した。
「景色とか菓子とか……それがこの国の何に役立つのだ?」
これはダメだ。
完全に異性と話す内容すらも想像が出来ていない。
(カヤ様、私では説明しきれません! どうかこの方に知恵をお授けください……!)
自分ではレオンを説得することが出来ないと判断したシグルは、胸の中でカヤに祈った。
「わかりました。では、カヤ様にご相談なさってください。きっと、陛下にもわかるように説明してくださるでしょう」
レオンは少し考えてから、頷いた。
「……そうだな。カヤなら、俺にもわかる言葉で教えてくれるだろう」
シグルは心の中でため息をついた。
(本当に……陛下は戦場では無敵なのに、こういうことは壊滅的だ……)
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