第6話 うちの旦那も、同じ状況じゃない!?①
―――現代・日本―――
由奈の夫・小林晃は、妻のアドバイスを元に職場で変化を見せ始めていた。
「おはよう。昨日の資料、ありがとう。助かったよ」
にこやかではないが、以前より優しい口調に新人女性社員が目を丸くした。
いつもの晃なら、無言で受け取るか、不機嫌そうに「遅いんじゃないか?」と言うだけだったからだ。
「あ……はい! ありがとうございます……!」
新人の声は、嬉しそうに弾んでいた。
パッっと明るい表情を浮かべていた。
その日の昼休憩、新人たちが昼食をとりながら話していた。
社員食堂の隅のいつもの席で、周囲の目を気にしながら、小声で話している。
「ねえねぇ。小林さん、ちょっと変わったよね」
「うん。前は怖かったけど、今は話しやすくなった気がする」
一人の新人が、箸を置いて頷いた。
「私も。昨日なんか分からない資料の相談したら、ちゃんと聞いてくれたし。アドバイスもわかりやすかったよ」
「前なら『そんなことも分からないのか』って言われてたよね」
「そうそう。ちゃんと説明してくれるようになったね」
一人の新人が、小さく微笑んだ。
「なんか……ちょっと見直したかも」
「分かる。最初の印象最悪だったけど、悪い人じゃないのかもね」
新人たちは、晃の変化を素直に受け入れ始めていた。
だがその会話を聞いていた年配の社員が、冷ややかに笑った。
テーブルの向かい側から、わざと聞こえるように言った。
「君たち、その考えは甘いね」
「え……?」
新人たちの顔が、一斉に強張った。
年配社員は、腕を組んで続ける。
「小林さんはね、昔からああいう人なんだよ。急に態度を変えるのは、何か理由がある」
別の同僚も頷いた。
その目には、明確な不信感があった。
「そうそう。前にもあったんだよ、急に優しくなったこと。でも結局、また元に戻った」
「え……そうなんですか?」
「もしかして……あのクレームが効いたのかな?」
一人が、年配社員に顔を近づけ、小声で言った。
「人事に『パワハラ』って報告が上がってたって聞いたよ」
「ああ、それで急に態度変えたんだ」
年配社員が、冷笑を浮かべ腕を組んだ。
「どうせ、昇進がかかってるんでしょ? 今年、課長昇格の審査があるって噂だし」
「それか、異動させられるのが怖いとか?」
「ありえるね。問題社員として地方に飛ばされたくないんでしょ」
新人の一人が、慌てて反論した。
「でも、小林さん今はそんなことないです! 本当に変わろうとしてるんだと思います!」
「……君、小林さんと働き始めて、まだ何ヶ月もないでしょう?」
年配社員が、冷ややかに言った。
その言葉に、新人の女性はたじろいだ。
「私たちは、彼と何年も一緒に働いてるんだよ。彼の態度が嫌で辞めてった人だって何人もいたんだ。そういう人間、そう簡単には変わらない」
「……まあ、私はどっちでもいいけどね。下手に関わって、また何か言われるのも面倒だし」
その場の空気が重くなり、新人たちは、それ以上何も言えなかった。
***
その頃、晃は自分の席でいつものようにパソコンに向かっていた。
だが、周囲の視線が痛いほど感じられ、仕事に集中できない。
同僚たちが、時折こちらをチラチラと見ている。
そして、ヒソヒソと聞こえてくる小声の会話を交わしている。
「小林さん、急に態度変わったよね」
「上から態度とか監視されてるんじゃない?」
「またすぐいつもの態度になるわよ、どうせ」
晃は、キーボードを打つ手を止めた。
打ちかけの一文が、確定されないまま画面で点滅している。
(俺は……変わろうとしてるのに……)
だが、誰もそれを信じてくれない。
新人は味方してくれたが、古参の社員たちは違う。
疑いの目で見られてすらいる。
どれだけ努力しても、過去の自分が足を引っ張っていた。
その時、上司が晃の席にやってきた。
足音が、妙に重い。
「小林さん、ちょっといいかな?」
「――はい」
晃は立ち上がり、会議室へ向かった。
周囲の同僚の視線が、突き刺さる。
晃は、背中を丸めて歩いた。
***
会議室。
上司は重く疲れた表情で、晃の前に座った。
「前回のクレームの件、まだ人事が調査中なんだ」
「はい……」
晃は、拳を握った。
その手から、わずかに震えていることを感じる。
「だから余計なことは言うな。新人との会話とかのやりとりは、必ず記録を残せ」
「……記録、ですか?」
「ああ。メール、チャット、全部だ。口頭で指示するときも、必ず誰か第三者を同席させろ」
上司は、感情の読めない目で晃を見た。
責めるというより、決められた手順を一つずつ確認しているだけの顔だった。
「今は『再発防止期間』だ。君の行動は全て監視される」
監視という言葉に晃は息を呑んだ。
「君が本当に変わったかどうか、会社は見ている」
上司は静かに立ち上がった。
その横顔には、これも仕事のうちだと言い聞かせるような疲れがあった。
「もし、また問題を起こせば……次はない。分かるな?」
「……はい」
晃は、拳を握りしめた。
爪が手のひらに食い込むが、痛みすら感じない。
変わろうと努力している。
けれど、誰も信じてくれない。
会議室を出た晃は、自分の席に戻った。
けれど、仕事に集中できない。
周囲の視線が、ただただ重い。
ヒソヒソ話が、全て自分にむけての言葉に思えて、更に息が詰まる。
(俺は……どうすればいいんだ)
晃は、パソコンの画面を見つめた。
けれど、文字が頭に入ってこない。
ただ胸の奥に、重たく冷たいものが沈んでいくのを感じた。
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