第5話 王様、完全に包囲されてます!③
―――騎士団陣営(カリナ側)―――
王宮の西棟、近衛騎士団の詰所。
剣と鎧の音が響く中、一人の男が静かに剣を磨いていた。
近衛騎士団長、ガルド・ヴァルニール。
三十代半ばの彼は、鋭い眼光と鍛え抜かれた肉体を持つ、王国最強の騎士の一人だった。
その前にガルドの妹、カリナ・ヴァルニールが立っていた。
「兄上……聞いてください」
カリナの声は、僅かに震えていた。
「……陛下が、変わられたのです」
「変わった?」
ガルドは剣を磨く手を止めず、冷静に問う。
「どこがだ。最初の謁見では、お前を『便利な駒』のように扱った」
「兄上……」
「俺は見ていたぞ、カリナ。お前が唇を噛み締めて耐えていたのを」
ガルドの声が、僅かに低くなる。
「『お前たち』『感謝しよう』……まるで物を見るような目だった。あの瞬間、俺は思ったんだ」
剣を磨く手が、止まった。
「ああ。この方は、やはりそういう男なのだ、と」
カリナは息を呑んだ。
ガルドは、王への不信感を隠そうとしない。
それは、これまでの数々の理不尽な命令が積み重なった結果だった。
「ですが、昨日では違ったのです!」
カリナは顔を上げた。
「陛下は、私を『一人の人間として相談したい』と仰ったのです。私の忠誠を当然のものとせず、敬意を持って……」
常に厳しい顔をしているカリナの表情は穏やかになり、その目に涙が滲んだ。
「私は感激しました。初めて、陛下に認められたと感じました」
ガルドは妹の顔を見た。
カリナは、いつも強がっていた。
女だからと侮られぬよう、誰よりも厳しく自分を鍛えてきた。
だがその心は脆く『認められたい』といつも願っていた。
「カリナ。お前は、陛下を信じたいのだな」
「……はい」
ガルドは深く息を吐いた。
「だが、俺は信じられん。人を人と扱わない人間がたった一日で変わるものか?」
「兄上……」
ガルドは剣を鞘に納めた。
「これまで陛下は、俺たちに何をしてきた? 無茶な命令、理不尽な叱責、そして感謝の言葉一つない扱い。死んでいった仲間への手向けの言葉すらもない……!」
彼は拳を握りしめた。
「俺は騎士だ。陛下に忠誠を誓った。それは王が民を守り、国を導く存在だからだ」
ガルドの目が、鋭くなる。
「だが今の陛下はどうだ? 力だけで押さえつけ、部下を駒としか見ない。そんな男に、本当に忠誠を尽くす価値があるのか?」
「兄上……それは……」
「そして何よりお前を、后候補として差し出すことになった」
ガルドは立ち上がり、妹の肩に手を置いた。
カリナは兄の視線をそらすように俯く。
「しかしこれは、名誉なことです。騎士として――」
「名誉?」
ガルドの声が、冷たくなった。
「違うだろう、カリナ。これは、軍を取り込むための駒としてお前を使う、ということだ」
「そんな……」
「陛下にとって、お前は『正当な騎士の家系であるヴァルニール家の娘』であって、『カリナ』ではない」
ガルドは真剣な目で妹を見た。
「もし陛下が本当にお前を后にしても、それはお前を愛したからではない。軍の忠誠を確保するための、政治的な判断だ」
「兄上、でも昨日の陛下は――」
「昨日の態度が、本心だと?」
ガルドは首を振り鼻で笑った。
「初回と昨日の間に、何があった? 宰相シグル殿との密談か? それとも、誰かが陛下に『妹を味方につけろ』と入れ知恵したのか?」
カリナは反論できなかった。
確かに、あの態度の変化は急すぎて自分も戸惑いが隠せなかった。
「カリナ、よく聞け」
ガルドは妹の両肩を掴んだ。
「お前は、利用されているのかもしれない」
「兄上……」
「陛下が優しい言葉をかけるのは、お前の心を掴むためだ。お前を取り込めば、軍もまた陛下に従順になる」
ガルドの声が、さらに低くなった。
「だが、もしお前が用済みになったら? もし、お前が陛下の気に入らないことをしたら?」
「それは……」
「陛下は、容赦なくお前を切り捨てるだろう」
カリナは震えた。
兄上の言葉は、冷酷だが現実的だった。
「いいか」
ガルドは真剣な目で妹を見た。
「俺はお前を守る。それが俺の唯一の使命だ。たとえ相手がこの国の王でもだ」
その言葉には、明確な警告が込められていた。
もし、レオンがカリナを利用し傷つけ、王の都合で捨てられるようなことがあれば、ガルドは躊躇なく剣を抜くだろう。
「兄上、お願いです! 陛下を信じてください。もう少しだけ時間をください」
カリナは涙を堪えて言った。
ガルドは暫く妹を見つめた後、小さく息を吐いた。
「……分かった。お前がそう言うなら、様子を見よう」
「ありがとうございます!」
「だが」
ガルドは窓の外を見た。
「俺は、陛下を監視する。そしてお前に少しでも危害が及ぶようなら……」
彼は腰の剣に手を置いた。
「容赦はしない」
***
「……本当に変わったのか?」
カリナが部屋を出た後、ガルドは一人呟いた。
彼は剣を抜き、鋭い目つきで刃を見つめた。
「それとも、また新しい策略か?」
ガルドの心には、深い不信感があった。
これまで王は、部下を道具としか見てこなかった。
命令は常に理不尽で、結果だけを求め過程や犠牲は顧みなかった。
そんな男が、一晩で変わるはずがない。
「もし、本当に変わったと証明できるなら……」
ガルドは剣を鞘に納めた。
「その時は、改めて忠誠を誓おう」
だが、その目には深い疑念と警戒が宿っていた。
騎士として王に仕える。
だが、兄として妹を守る。
その二つが矛盾した時、ガルドは迷わず妹を選ぶだろう。
たとえそれが反逆を意味するとしても。
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