第5話 王様、完全に包囲されてます!②
―――神殿陣営(セレス側)―――
王宮の東棟、神殿の使節団に与えられた部屋。
壁には聖なる紋章が掲げられ、部屋の中央には神殿の象徴である慈恵神への祭壇が設けられていた。
白い法衣を纏ったセレスが、祭壇に向かって祈りを捧げている。
その傍らで、神官長のオズワルドが険しい表情で立っていた。
「セレス様」
掛けられた声にセレスはゆっくりと目を開けた。
その瞳は澄んでおり穏やかだった。
「昨日の謁見の件ですが」
オズワルドは慎重に言葉を選んだ。
「王の変化は……異常すぎます」
「異常?」
セレスは首を傾げた。
「陛下は、素晴らしい変化を遂げられたと思うのですが」
「それが問題なのです!」
オズワルドの声が、僅かに鋭くなる。
「今まで神殿に対して、陛下は何と仰いましたか?」
「『神など信じぬ』『不確定なものに頼る気はない』と……」
セレスの声が、少し沈んだ。
神に仕える者として、王から信仰を否定されることは、自分自身を否定されることと同じだった。
「ですが、昨日は……」
セレスの表情が、僅かに明るくなる。
「陛下は『信仰を持たぬ自分を恥じる』と仰り、『民の心を知るために、教えてほしい』と……」
その言葉を思い出すだけで、胸が温かくなる。
王が、信仰の大切さを理解してくれた。
自分を、神の声を聴くものとして認めてくれた。
「セレス様」
オズワルドが、祈りの手を組んだセレスの前に跪いた。
「お聞きください。暴君と云われる人間がたった一日で、ここまで変わるものでしょうか?」
「……」
「初回の謁見から昨日まで、わずか一晩です。その間に、陛下は宰相シグル殿と密談をされていた。そして突然、まるで別人のように……」
オズワルドの声が、さらに低くなる。
「信仰を持たぬ王が、突然態度を変えるなど……これは、あまりにも不自然です」
セレスは黙って神官長の言葉を聞いていた。
「私はこの状況を恐れます」
オズワルドは真剣な目でセレスを見た。
「何かが、陛下に憑いているのではないかと」
「憑いている……?」
「ええ。邪悪な存在が陛下の心を操り、我々を欺こうとしているのかもしれません」
邪悪な存在、と聞いてセレスは目を伏せた。
確かに、あの変わりようは不自然だった。人の心は、あんなに都合よく変わるものではない。その違和感なら、陛下が別人のように振る舞われたあの日から、セレス自身の胸にもずっと燻っている。
けれど、それを『邪悪』と決めつけるのは、違う気がした。
「しかし……オズワルド様。陛下の目をご覧になりましたか?」
「目……ですか?」
「ええ」
セレスは、そっと微笑んだ。
「陛下の目には迷いがありました。そして……人としての優しさもありました」
セレスは昨日のことを思い出していた。
レオンが自分に語りかけた時、その目には確かに真摯さがあった。
不器用ながらも、相手を思いやろうとする心があった。
「邪悪なものに操られた者の目は虚ろです。ですが、陛下の目は……生きていました」
「セレス様……」
「私は信じたいのです、オズワルド様」
セレスは胸に手を当てた。
「陛下にとても良い変化が訪れたのだと」
オズワルドは顎に手をやり、しばし黙り込んでから、深く息を吐いた。
「……セレス様のお気持ちは理解いたしました。ですが」
オズワルドの声が、再び厳しくなる。
「神殿の立場として、確認はさせていただきます」
「確認……ですか?」
「ええ。もし、陛下に何らかの『導き手』がいるのであれば」
オズワルドは立ち上がった。
「それが神の御使いなのか、それとも邪悪な存在なのか。見極めなければなりません」
「『導き手』……」
セレスは呟いた。
(導き手となる神……。もしかして、それは――)
『創造神・アーク・ディア=カヤ』
神話にある、迷える者に声を送る古の存在。
もし、本当にそのような神格の存在が陛下を導いているのであれば――――
「もし、それが古より『導きの象徴』と云われる創造神ならば、この国は祝福されたことになります」
セレスは真剣な目で神官長を見た。
「ですが……邪なるものが陛下を惑わしているのなら、神殿の役割として浄化が必要です」
「その通りです」
オズワルドは深く頷いた。
「私は陛下の周辺を調査いたします。神殿の秘術を用いて、真実を明らかにします」
セレスは一瞬だけ視線を揺らしたが、小さく頷いた。
「お願いします」
セレスは再び祈りの姿勢に戻った。
「慈恵神、どうか陛下が正しき道を歩まれますように、お導きください……」
***
部屋を出たオズワルドは、廊下で待っていた若い神官に手を上げ、低く指示を出した。
「陛下の周辺を探れ。特に宰相シグルの動きを注視しろ」
「はい、神官長」
「もし、邪悪な存在が陛下を……この国を操っているのであれば……排除せねば」
神殿にとって、信仰は絶対だ。
それを脅かす存在は、たとえ王であろうと許されない。
(だが、本当に神話で云われている創造神が陛下についているのなら……?)
若い神官が去った後、オズワルドは一人、思考を巡らせ微笑んだ。
「我が神殿が奉じる慈恵神は、民の信仰を集めてはいるが……所詮、癒しと慈悲の神。国を動かすには力不足だ」
彼は祈りの手を組んだ。
だが、その目には祈りではなく、野心の光が宿っていた。
「だが、創造神は違う。この世界を創り、言葉を授けた最高神……もし、その存在が本当にこの世に顕現しているのなら」
彼の唇が、ゆっくりと吊り上がった。
「神殿がそれを取り込み、支配することができれば……我々の勢力は、王権をも凌駕し他国も飲み込むだろう」
オズワルドの声が、闇に溶けていく。
「セレス様は純粋すぎる。あの方は、神を信じることしかできない」
チラリとセレスのいた部屋に視線を送り、彼は冷たく笑った。
「だが我々は違う。神を利用することができる」
オズワルドは廊下を歩き出した。
その背中には、神官の法衣が揺れている。
「導き手よ……あなたが神であろうと、悪魔であろうと構わない」
彼の声が、静かに響いた。
「その力を我々、神殿の手に」
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