第4話 神名!?アーク・ディア=カヤ
―――異世界・アルカディア王国―――
「……本当に一体何が起きたんだ?」
執務室の重い扉を閉めたシグルは、深く息を吐いた。
先ほどの后候補との再面談——あれは奇跡だった。
いや、奇跡という言葉では軽すぎる。
暴君と云われるレオンハルト陛下が、相手の立場に立って言葉を選び、感謝と敬意を口にしたのだ。
リディア様の氷のような表情が溶けた瞬間。
セレス様が涙を浮かべて誓った瞬間。
カリナ様が感極まって膝をついた瞬間。
全ての変貌を、この目で見た。
(これが……『導き手の力』なのか)
シグルは机に手をつき、震える指先を見つめた。
陛下は確かに言った。
『声が聞こえ、導き手がいる』と。
正直、最初は心配した。
疲労による幻聴か、あるいは何かの呪いか。
だが、違った。
あの助言と的確すぎる指摘は、確実に陛下とこの国を救っている。
「――名を、確認せねば」
シグルは決意した。
神なのか、まやかしなのか、導き手の正体は分からない。
だが、せめて名だけでも知らなければならない。
導き手が自分の信頼に足る存在かを見極めるために。
***
翌朝、執務室。
まだシグルが来る前の静かな時間。
『王様、さすが! 特訓の成果あったね!』
脳内に響く、明るく弾んだ声にレオンは苦笑した。
「……カヤ」
レオンは窓の外を眺めながら、ゆっくりと深く息を吐いた。
「昨日は、その……助かった」
その声には、わずかに安堵の色が滲んでいた。
感謝の言葉など普段口にすることもない彼が、自然にその言葉を発したことに自身でも少し驚いていた。
そんな彼の僅かな変化に気づくことなく、由奈は昨日の成果をひたすら分析し、誰がどこでどんな反応をしたかを熱心に語りだした。
『リディアさんのキツイ表情が溶けた瞬間とか、もう感動したよ! セレスさんも感激して泣いちゃうし、カリナさん完全に落ちてたし! あれ、完璧だったよ!』
「そ、そうか……」
レオンは頬を掻いた。
褒められるのは悪い気はしない。
だが、この褒め方は母親が子供の初めて出来た事を褒めるような感じである。
『特にね、「私に教えてほしい」のくだりなんか最高! セレスさん、完全に心開いてたもん!』
「あぁ……。まぁ、お前の言う通りにしただけだが……」
『また謙遜しちゃって! でも本当、よく頑張ったよ。偉い偉い!』
「……偉い、って……」
レオンは眉間を押さえた。
(なんなんだこの気分は……悪くはないが……妙に居心地が悪い……)
戦場で何百人もの敵を倒してきた。
諸国の王や将軍と対峙してきた。
だが、こんな風に褒められたことは一度もなかった。
父王は常に「足りぬ」と言った。
武術の師は「甘い」と叱った。
側近たちは「畏れ多い」と頭を下げるだけだった。
そして生みの母さえも優しい言葉や労いの手も、一度たりともなかった。
だが、カヤは違う。
対等な立場から、自分の行動を素直に喜んでくれている。
『あ、でもね、一つだけ気になったんだけど』
「何だ」
『カリナさんに言った「相談したい」のとこ、ちょっと声のトーン硬かったかも。もうちょっと柔らかく言えると、もっと良かったかもね!』
「……とーん? なんだそれは?」
『「話し合いたい」とかの方がよかったかもね! 次はそこ、意識してみてやってみよう!』
「なっ……!? わ、分かった……」
レオンは思わぬアドバイスに小さく頷くしかなかった。
(本当にこの導き手は……一体、何者なのだ)
自分の調子を狂わすこの存在は果たして神なのか、精霊なのか、それとも——
その時、扉がノックされた。
「陛下、シグルです。入ってもよろしいでしょうか」
「ああ、入れ」
シグルが入室し、深々と一礼した。
だがその瞬間、シグルは気づいた。
(……陛下の表情が、とても穏やかだ)
窓辺に立つレオンの横顔には、わずかな笑みさえ浮かんでいる。
まるで、誰かと話していたような——
(そうか……今、導き手の方と……)
シグルは咳払いをひとつして、慎重に口を開いた。
「陛下。……先ほどまで、導き手の方とお話をされていたのですか?」
「ああ」
レオンは素直に頷いた。
「昨日の件について、な」
「そうでしたか」
シグルは深く息を吸った。
この瞬間を逃してはならない。
導き手への信頼を確立するために。
そして、この国を守るために確認すべきことがある。
「陛下。失礼を承知で、お伺いしたいことがございます」
「何だ」
「その……導き手の方の、お名前をうかがってもよろしいですか?」
レオンは虚空を一瞥し、少し躊躇ったあと
「カヤ、だそうだ」
瞬間——
シグルの顔から血の気が引いた。
「……カ、カヤ……ですか……?」
「どうした、シグル。顔色が悪いぞ」
「へ、陛下……! それは、まさか……アーク・ディア=カヤ……!?」
「アーク? 何だそれは」
レオンは首を傾げた。
「アーク・ディア=カヤとは、アルカディア古代語で『創造神カヤ』を意味します! この世界を創り、言葉を授けた最高神の御名です……!」
レオンは神話や古語には全く興味がない。
それはシグルも知っている。
だが、声が震えていた。
何よりもシグルにとって、神話や古代語はただの知識ではない。
それは心躍る浪漫話であり、幼い頃から没頭し、学校でも専攻していた大好きな分野だった。
それだけに、いま目の前で語られる名に、心が震えずにはいられなかったのだ。
「この国の建国神話にも記されております……『迷える者に声を送り、導く神』と……! まさか、まさか陛下に声を届けているのが、その……!」
「――待て待て」
レオンは慌てて手を振った。
「カヤがそんな大層な名前だとは聞いていない。恐らく偶然——」
その時、レオンの脳内に由奈の声が響いた。
『えぇっ!? ちょ、ちょっと待って! 私、神様の名前名乗っちゃってたの!?』
由奈もパニックである。
家族の頭文字を適当に並べただけなのに、まさか神話級の名前に直結するとは思ってもいなかった。
『ダメだよ、これはダメなパターン……! 詐欺で訴えられるレベル……! どうしよう王様、訂正する!? 「実は違います」って言う!?』
声が明らかに震えている。
恐らく動揺しているのだろう。
何やらブツブツと独り言が流れてくる。
『いやでも今更「カヤって嘘でした!」とか言ったら余計ヤバいよね!? ていうか創造神って何!? そんな偉い神様の名前を勝手に名乗ってたとか、もう、もう——!!』
レオンは内心で苦笑した。
(……全く、神らしくない)
焦りまくって早口でまくし立てる声は、どう聞いても普通の人間である。
創造神の威厳など微塵もない。
だがレオンは、目の前のシグルを見た。
明らかにシグルの目は、輝いていた。
尊敬・畏怖・そして希望に満ちた目で、レオンを見つめている。
(これはまさか……)
レオンは気づいた。
シグルは今、こう思っているのだ。
『我が王には、創造神カヤ様がお付きになっている』
『陛下は、神に選ばれるほど素晴らしい方なのだ』
「……」
レオンは何とも言えない気持ちになった。
自分はただ、由奈の助言を不信に思いつつも聞き、彼女の言う『言葉の温度』を意識しただけだ。
それだけで、周囲の評価がここまで変わる。
そして今、宰相は自分を過大評価している。
(俺は……そんな大層な人間じゃない)
かつての自分ならば、こんな感情を抱くことはなかったはずだ。
だが一度命を奪われたあの日から、世界すべてに否定されたような感覚が拭えなかった。
「力こそ正義」だと思っていた 結果、民に恨まれた。
「効率こそ最優先」だと思っていた結果、国力を奪われた。
「感情は不要」だと思っていた結果、最も信頼していた騎士に刺された。
何がどう間違っていたのか、自分にはわからない。
わからないままに、今は助言の通りただ一歩を踏み出している。
だがその一歩は、確かに自分と呼べるものから離れている気がした。
しかしそんな自分を否定することは、シグルの忠誠を踏みにじることになる。
「陛下……私は、信じます」
シグルは片膝をつき、胸に手を当てた。
「導き手様が本当に創造神なのかはわかりません。ですが陛下を救い、この国を救おうとしている存在がいる。それだけで十分です」
シグルの声が、震えている。
顔を上げ、まっすぐにレオンを見つめた。
「私は改めて、陛下とその導き手——アーク・ディア=カヤに忠誠を誓います」
レオンは言葉を失った。
シグルのこの忠誠は、感情ではなく覚悟だった。
『……王様』
由奈の声が、静かに響いた。
『シグルさん……本気だね』
(……ああ)
レオンは小さく頷いた。
(カヤが神かどうかは分からない。だが、少なくともシグルは、本気で俺を支えようとしている)
前世では、すべての者に裏切られた。
信じていた家臣も、民も、仲間さえも離れていった。
だがこの男だけは、最期の瞬間まで自分を信じ、尽くしてくれた。
ならば、自分も応えなければならない。
「シグル。お前の力を、貸してくれ……頼む」
レオンは、初めて本心から言った。
シグルの目に、涙が光った。
「はい……陛下……!」
力強い答えにレオンの気持ちも引き締まる。
この先の起こる出来事を、きちんと見極めていかなければと。
「……」
シグルは目尻の涙を軽く拭き立ち上がり、真剣な表情を浮かべ、冷静な口調で続けた。
「陛下。一つ、進言させていただきます」
「何だ」
「カヤ様の存在は、最上級機密とすべきです」
レオンは眉を寄せた。
「何故だ。カヤは俺を助けてくれている」
「だからこそ、です」
シグルの目が鋭くなる。
「陛下が虚空に話しかける姿を見れば、誰もが疑念を抱きます。『王は正気を失ったのか』『何かに操られているのでは』と。特に……」
シグルは声を落とした。
「后候補の三陣営は、それぞれ思惑を持って王宮に来ています。陛下の急激な変化を、『都合が悪い』と感じる者もいるはずです。それに加えて、もしアーク・ディア=カヤという創造神の名が関わっていると知られれば、国内にとどまらず、他国からもその力を奪おうとする動きが起こるかもしれません」
「……成程」
「ゆえに、以下を実施を提案します」
シグルは指を折った。
一、陛下が導き手と会話する際は、必ず私室か執務室のみとする
二、近侍・書記・護衛は信頼できる者に限定し、入れ替えを行う
三、議事録や報告書は|シグルが直接管理し、情報の流出を防ぐ
レオンは腕を組んだ。
「……まるで監視だな」
「陛下とカヤ様を守るためです」
シグルの声は静かだが、強い。
その言葉を聞いた由奈は、画面の向こうで思わず身震いした。
(と、とんでもない展開になってきた……!)
創造神なんて名前を名乗ったばかりに、まさか国どころか他国の勢力までも巻き込むかもしれない状況になるなんて、由奈には想像もつかなかった。
(ここからの展開次第では……王様のひと言で、ほんとに国が傾くかもしれない……!)
由奈は急激な展開に、心の奥底からじわじわと恐怖を感じていた。
作者のクセ、展開のパターン、物語の論理構造。
それらを読み解き、先手を打たなければ。
現実世界とは違うこの世界では、導き手の言葉一つが国家の命運を左右する可能性があるのだから。
お読みくださりありがとうございます!
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