第七章 再起の火花②
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模擬戦の敗北から数日。
選抜トーナメントへ向けた準備期間は、驚くほど何事もなく過ぎていった。
少なくとも周囲から見ればそうだった。
フリント・ライズは変わらず修練場に立ち、変わらず身体を動かし、変わらず強さを求めていた。だがその内側にあるものは、明らかに以前とは別物だった。
狙いは一つ。シエラクロスに勝つこと。
それ以外の余計な思考は、徹底して削ぎ落とされていた。
ただひたすらにその一点に向かって己を研ぎ澄ませていく。
剣を振るうわけでもなく、決まった型をなぞるわけでもない。ガントレットを軸とした独自の動きは相変わらず粗削りで、洗練とは程遠い。それでも、以前とは決定的に違う何かがあった。
無駄がない。迷いがない。
そして何より——淀みがない。
その動きは誰かを倒すためというよりも、自分自身を削り出しているかのようだった。不要なものを削ぎ落とし、本質だけを残す。まるで原石を磨き続け、輝きを引き出そうとするかのように。
その姿は、見ている者の意識を否応なく引き寄せる。
「……なあ」
修練場の端でそれを眺めていたレオンがぼそりと呟く。
隣には腕を組んだままのオルタディナ。
「あいつ、なんかおかしくねえか?」
問いかけというよりは確認に近い。
オルタディナは目を細めたまま、短く息を吐いた。
「前から変だけど、今回は別方向にね」
彼女の言葉は辛辣だが視線は外さない。
フリントの動きを追い続けている。
確かに違和感はあった。
模擬戦であれだけあっさりと敗北した直後とは思えない。普通ならば、焦りや苛立ち、あるいは自信の喪失が見えてもおかしくないはずだ。
だが、今の彼にはそれがない。
必死さはある。しかしそれは追い詰められた末のものではない。
もっと純粋な、もっと根源的な衝動。
まるで——。
「(……子供みたいね)」
オルタディナは内心でそう評する。
早く試したい。早く確かめたい。早く戦いたい。そんな無邪気ですらある衝動。それがそのまま行動に現れている。
だからこそ——。
見ていて、不快ではない。むしろ。
「(……悪くない)」
そう思ってしまう自分がいる。
レオンも同じ感覚を抱いていたのか、苦笑混じりに肩を竦める。
「なんかさ、あれ見てるとこっちもやる気出てくるっていうか」
「分かるわ。腹立つけど」
「そこは腹立つんだな……」
軽口を交わしながらも、二人の視線は逸れない。
フリントの動きは荒い。力任せな部分も多い。ただそれを補って余りある“伸び”があった。
今この瞬間も確実に変わっている。
ほんの僅かな動きの精度。踏み込みの速さ。間合いの取り方。それらが目に見えて洗練されていく。
まるで磨かれるたびに光を強めていく宝石のように。
その変化は見ている側にまで刺激を与える。
「(……面白いじゃない)」
少女はほんのわずかに口元を緩めた。
だが同時に違和感もあった。
「あいつさ」
レオンが小さく声を落とす。
「周り見えてなくね?」
その指摘にオルタディナは即座に頷いた。
「あれは“見えてない”んじゃないわ」
一拍置いて、言葉を選ぶ。
「見ようとしてないのよ」
必要なもの以外、視界に入れていない。
いや、入らない。研ぎ澄まされすぎているが故の状態。
危うさではない。むしろ極限まで集中した結果だ。
それ故に声をかけても反応がない。
「おーいフリント!」
レオンが手を振りながら呼びかける。
だが。
「……」
返答はない。視線すら向けない。完全な無視。
「……無視されたんだけど」
「当然でしょ」
彼女は肩を竦める。
「あんたの声なんて雑音でしかないんだから」
「ひでえな!?」
言い返すレオンを横目に再び金髪の少年へと視線を戻す。
その姿は変わらない。いや、変わり続けている。
ただひたすらに、自分を磨き続けている。
その在り方はあまりにも一途で。
あまりにも真っ直ぐで。
「(……ほんと、馬鹿みたい)」
呆れたように思いながらもその視線だけは最後まで外さなかった。
———
シエラクロスは意識の端でその姿を捉えていた。
正面から見ているわけではない。あくまで視界の片隅に映り込む程度。それでも否応なく存在を感じ取ってしまう。
フリントライズ。
金色の髪を揺らしながらひたすらに身体を動かし続けている少年。
その動きはあまりにも一点に収束していた。
無駄がない、というよりも余計なものを一切“持っていない”。ただ一つの方向へと迷いなく進み続ける意志だけがそこにあった。
「(……すごい)」
思わずそう思う。
凄まじい集中力だった。周囲のざわめきも、視線も、空気の流れすら関係ない。そこにあるのは、自分自身と、その先にある“何か”だけ。
まるで——。
「(……飛んでるみたい)」
脳裏に浮かんだのはそんな印象だった。
空を切り裂いて進む鳥のように一度飛び立てばもう止まることを知らない。
迷いも、躊躇も、後退もない。
ただ前へ、ただ上へ。一直線に進み続ける存在。
何故そんな比喩が浮かんだのかは分からない。
けれどそれほどまでにフリントライズという存在は今この瞬間にも“遠くへ”行こうとしていた。
「(……違う)」
いや、既に行き始めている。
見る度に違う。ほんの少し目を離しただけでまるで別人のように変わっている。
動きの速さではない。力の強さでもない。もっと根本的な、何か。"強さ”そのものの質が、変わっていく。それをシエラははっきりと感じ取っていた。
だからこそ胸の奥にじわりと熱が灯る。
「(……負けてられない)」
自然と、そう思う。
しかし——。
「(……ううん)」
すぐにその考えを打ち消す。
そもそも勝っているつもりなど、一度もなかった。
模擬戦の結果。あれは勝利と呼ばれている。周囲もそう認識している。
だがシエラクロス自身はそうは思っていない。
「(……あれは、違う)」
偶然だった。タイミングが重なっただけ。たまたまあの瞬間に勝ち筋が転がってきただけ。
それを掴めただけ。
だから——。
「(……勝ったなんて、思えない)」
あの一戦を誇ることが出来ない。嬉しいと思うことすらどこか違う。
むしろ。
「(……悔しい)」
そう感じていた。
何故なら。彼はまだ本気じゃなかった。そう感じてしまったから。
そして何より——
「(……ずっと、負けてる)」
シエラクロスにとって。フリント・ライズという存在はずっと前から“届かない何か”だった。
形に出来ない。言葉にも出来ない。それでも確かにそこにある差。それを彼女は知っている。
だから今回の勝利は納得できなかった。自分自身で認められなかった。
それでも視線が自然と向かい、あの少年がこちらを見ていた瞬間を思い出す。
真っ直ぐに。逸らさずに。"自分”を見ていた。
あの視線。あの言葉。
「次は勝つぜ?」
その一言が、胸の奥に残っている。
「(……嬉しかった)」
それは誤魔化しようのない感情だった。
認められたわけでもない。評価されたわけでもない。だけどあの少年が自分を“目標”として見据えてくれた。
その事実だけで胸が高鳴った。
だから。
シエラクロスは静かに息を吐く。
そしてほんの僅かに身体の軸を整える。
「(……負けてられない)」
今度は迷いなくそう思えた。
勝つためではない。証明するためでもない。
ただ——届きたい。
あの場所へ。
あの高さへ。
あの少年が目指している先へ。
その為に彼女もまた静かに意志を燃やした。




