第七章 再起の火花
意識が浮上する。
沈んでいたものが水面を割るように。断絶していた感覚がゆっくりと繋がり直していく。それは世界を作り直すように、または再生するように、もしくは巻き戻すように音が戻り、空気が戻り、世界が再び形を持ち始める。
——そして。
フリントライズはこの場所へと再び舞い戻った。
視界が開ける。暗闇の空間がいきなり真っ白な光に照らされたみたいにはっきりと今いる場所を鮮明にさせた。
見覚えのある光景。見慣れた空気。何度も繰り返し見てきたあまりにも“変わらない始まり”。
そこはアイシードの模擬戦場。
石畳に叩きつけられた衝撃がまだ身体の奥に残っている。視界はわずかに揺れ、呼吸は乱れ、全身に鈍い痛みが走る。毎度のことではあるが、目覚めの最初が鈍痛による覚醒と言うのは辛い部分があるだろう。
だが同時にその痛みがはっきりと全てを認識させてくれる。
「(……戻った)」
その一言だけがはっきりと意識に刻まれる。間違いなく、間違いようがない。彼は失敗した未来から失敗をしていない過去に遡ったのだ。
周囲がざわめいている。それは勝敗が決した直後の空気。観衆の視線。囁き合う声が広がり、敗者へ向けられる遠慮のない現実。
何度も味わったはずの光景。何度も叩きつけられた“結果”。
それでもなお。どこか冷静に変わらないと感じる少年がいた。
地面に仰向けで、大の字で倒れ伏したままの姿。
情けない。惨めだ。そろそろこの恥にも慣れていい頃だろうに、確実な敗北を突き付けられているから嫌気が差す。
だが——。
フリントはゆっくりと腕に力を込めた。
身体を起こす。
筋肉が軋む。骨が軋む。鈍い痛みが走る。
「……っ」
痛い。確かに痛い。
しかし。
「(……痛くねえな)」
以前ならこの痛みだけで顔を歪めていただろう。呼吸を整えることすらままならず、立ち上がるのすら苦労した。更に何回もやり直して経験した筈なのにいつの間にか痛みが増していくばかりで身体だけでなく、心までも立ち直れなくなっていた。
だが今は違う。あの光景を知ってしまった今となっては、この程度の痛みなど何の価値も持たない。
守れなかった記憶、届かなかった手、二度と触れられない温もり。
それらに比べれば、骨が軋もうが、筋肉が裂けようが、そんなものは“存在しない”に等しい。
——やり直せないのに命を懸けて守ってくれた奴がいる。
——諦める姿は似合わないと勇気付けてくれた奴がいる。
それが痛みを消して奮い立たせてくれる。
ゆっくりと立ち上がるが足元がわずかに揺れる。
それでも倒れない。倒れる理由がもうない。
視線を上げ、周囲を見渡す。
そして——その姿を、最初に瞳に映したかった人を捉える。
「え? 何よ? 頭でも打った?」
赤く短い髪。鋭くもどこか面倒そうな視線。彼女の泣いていた過去の映像からは想像も付かない強気な態度を崩さずにそこに立っていた。
変わらない。何一つ変わらないオルタディナ。
それなのに。
「(……違うんだよな)」
これは、“あのオルタディナ”じゃない。あの時間を共にした彼女ではない。涙を零した彼女でもない。言葉を交わし、覚悟を託した存在でもない。
これは——この世界の、最初の彼女だ。
何も知らない。何も背負っていない。何も共有していない。"置き去りにしてきた世界”の中にいた存在とは変わらないようでいて違う。
その事実がほんの僅かに胸を掠める。
それでもフリントは目を逸らさない。
「(……でも忘れたりはしない)」
あの言葉を、あの視線を、あの涙を。
勝て、とそれだけを。それだけは、絶対に忘れない。忘れる訳にはいかない。その約束だけは何があっても破らない。
「……」
何も答えず金髪の少年はゆっくりと振り返り、その視線の先にあるもう一人の存在を捉える。
群青の髪。銀灰の瞳。静かに立つその強者の姿。
こちらは変わらない。何一つ、最初から変わらない。
最強の少女。シエラクロス。
何度も敗れ、何度も傷付けた。
そして何度も——助けられた。この繰り返しの始まりにして終着点。
彼女もまた何も知らない。わずかに首を傾げ、こちらの意図を測ろうとしている。
その仕草すら彼は見慣れていた。
だが、それでいい。彼女は何も知らなくていい。
彼もまた何も背負う必要はない。
フリントライズとシエラクロスの間に、そんな複雑で絡み合った因果も因縁も必要なく、本来存在しない。
あるのは——ただひとつ。
「次は……」
言葉が静かに零れた。
群青の少女がわずかに反応する。
「?」
その問いかけすらどこか柔らかい。
少年は息を吸い、吐く。その一呼吸の中にこれまでのすべてを沈める。
言葉にするのは簡単だ。だがそれを口にした瞬間、もう逃げ道はなくなる。
これまでのように誤魔化すことも別の選択肢に逃げることも出来ない。
それでも、彼は迷わなかった。
いや、迷い続けた果てにそれでも選んだ。
忘れる訳じゃない。だが引きずらない。積み重ねたものをただ“燃料”に変える。
意識を切り替え、立ち位置を戻す。
"最初の自分”へ。
そして——真っ直ぐに言い切った。
「次は勝つぜ?」
その言葉にシエラクロスの瞳がわずかに見開かれる。
ほんの一瞬、驚きの色が確かに浮かんだ。
少年はそんな姿を見て少し小気味が良いが、すぐにそれは消える。
代わりに浮かぶのは少女の柔らかな弧。
どこか嬉しそうで、どこか楽しそうで、どこか——期待しているような笑み。
「ええ、楽しみにしてる」
その声は穏やかで、まるで当然のことを告げるような響きだった。
疑いも警戒もない。ただ純粋に“そこにあるもの”を受け入れるような自然さ。
だからこそ、その一言は不思議なほどに重く、そして静かに胸の奥へと沈んでいく。
今度はフリントが驚いたが、それでいい。それで、十分と思った。
余計なものは何もいらない。
この瞬間、この距離、この関係。それだけですべては成立している。
ややあって少年はわずかに口元を緩める。
視界の奥で何かが静かに燃え上がる。
これまでの全ては無駄ではなかった。
敗北も、絶望も、繰り返した時間も、その全てが今この瞬間へと繋がっている。
だからこそ、これはやり直しではない。
積み上げた果てに辿り着いた、たった一度の“答え”だ。
もう逃げない。もう歪めない。もう小細工もしない。
ただ真正面からあの頂へ。
そして自分の最強を証明する為に。
「(……終わらせる)」
胸の奥で確かに決意が固まる。
その瞬間、この世界は再び動き出した。
——今度こそ最後の戦いが始まった。




