第六章 弱まる火花⑧
赤短髪の少女はしばし沈黙したのち、ゆっくりと口を開いた。
「私が思っている通りの展開だとしたら」
その声音はこれまでよりも慎重で、どこか確かめるような響きを帯びていた。
「もし……あんたがシエラクロスに負けること自体が本来あり得ない未来だったとしたら」
言葉を選びながらひとつずつ積み上げるように続ける。
「もしかしたらあんたは無理に気負う必要なんてないのかもしれない」
その一言にフリントは即座に反応した。
「は? どう言う意味だ?」
苛立ちを含んだ声が漏れる。言葉が続く。
「何もしなければ、あいつには万が一の勝機すらない。だから俺は——お前にだって頼って……ここまで来たんだぞ」
それは紛れもない事実だった。
自分一人では届かないと理解していたからこそ彼女に教えを乞い、力を借りてきた。
その結果が今の自分だ。
だがオルタディナはその言葉を遮るように、静かに首を振る。そしてその返しの言葉はフリントの予想とは逆のものだった。
「あんたが強くなろうとする行為に私を頼ることすら必要ないのよ」
その一言はあまりにも唐突で、あまりにも理解しがたいものだった。
少年の眉が深く寄る。
「……何でそうなるんだ?」
問い返す声には明確な困惑が滲んでいた。
少女はわずかに視線を落とし、思考を整理するように言葉を紡ぐ。
「仮説が正しいとして話を進めるわ」
前置きを置く。
その上でゆっくりと視線を上げる。
「もしかしたら——何らかの原因さえなければ、本来あんたと彼女が試合をすれば、百回中百回あんたが勝っている。負けているのは未来が捻じ曲げられたから。本来は勝つ未来だったと私は考えているわ」
その断言に近い言い方にフリントは一瞬言葉を失う。
理解が追いつかない。いや、理解したくないという拒絶が先に来る。
「(……何言ってんだ)」
思わずそう思う。
だが同時に、どこかで引っかかる感覚もあった。
オルタディナはこれまでのどの周回でもフリントライズと言う金髪の少年の勝利を疑っていなかった。
あの時、シエラクロスを殺した周回でさえ彼女は彼が負けることを前提にしていなかった。だからこそ負けた時に責任を感じていたのは、“勝たせられなかった”からだ。
まるで——。
「(……最初から、俺が勝つ前提で考えてるみたいに)」
そんな感覚。
普段の彼女は辛辣で、決して甘い言葉をかける人間ではない。むしろ現実を突きつける側だ。
それなのにこの点に関してだけは一貫して揺るがない。
フリントは無意識に拳を握り込む。
「……そんな都合のいい話……あるかよ」
絞り出すように言う。それは否定というより自分に言い聞かせるような響きだった。
しかし彼女は否定しない。ただ素直な気持ちを口にする。
「私には分からない。ただ……あんたが負けるはずがなかったのに何かがあんたを“負ける方向”へ誘導した可能性はある」
その言葉がゆっくりと胸に沈む。
「それを把握できるのはあんた。最初の記憶を持っているあんただけよ」
「——っ!」
その瞬間、フリントの思考が弾ける。
忘れていたわけではない。だが意識の奥に沈んでいたものが一気に浮かび上がる。
そうそれは——。
「(……あの時だ)」
確かにあった。辻褄が合う出来事が。
最初の周回。すべてが始まる前。
選抜戦の前日のあの時。
「(……会った)」
誰かと。
はっきりとした輪郭は思い出せない。それでも確実に覚えていることがある。
言葉。それだけは焼き付いている。
——彼女には勝てない。
低く、断定するような声だった。
未来を知っているかのような、あるいは未来を決めつけるかのようなその言葉を残してそいつは消えた。
まるで最初からそこにいなかったかのように跡形もなく。
「(……それ以降は)」
一度も、現れていない。
どの周回でもどれだけ時間を巻き戻してもあの存在だけは再び姿を見せることがなかった。
少年の呼吸がわずかに乱れる。
胸の奥で何かが繋がる。
「(……まさか)」
偶然ではない。そう考える方が自然だった。
あの状況であの言葉を残して、それ以降一切関与しない。
「(……必要だったのか)」
未来を歪めるために。
あの一言を植え付けるために。
そう考えた瞬間、背筋に冷たいものが走る。
まるで最初からすべてが仕組まれていたかのように。
フリントはあのときの出来事を言葉にした。
とある正体不明の人物。その何者かは霧のように消え、痕跡は何一つ残らなかった。それ以降のやり直しでは一度も現れていない。ただ、シエラクロスに負けた理由に繋がるとすれば、正しい未来を変える元凶なのだとすれば噛み合う。
その状況と感じたことと結果どうなったかを当時の記憶を掘り起こしながら伝える。
そうして語り終えたとき、小屋の下に沈む空気がわずかに動いた。
オルタディナは目を閉じるでもなく、ただ一点を見つめたまま思考を巡らせている。やがてわずかに息を吐いた。
「……やっぱりね」
小さく、だが確信に近い声だった。
フリントも頷く。
「ああ、何かの嫌がらせにしてはここまでの展開が展開だ。それ以降現れていない時点で目的として達成された可能性はあるよな」
「そうね。辻褄が合うわ。あんたの言ってた“歪み”の原因はそこにある。何が狙いでそうしたのかは分からないけどあんたが繰り返す状況を知っての動きかもしれないわ」
言葉は淡々としているが、既にいくつもの仮説が組み上がっている。それはどんどんパズルのピースのようにはまっていき、悍ましい形になりそうであった。
「とにかく最初の時点で、“勝てない”って前提を植え付けられた。それがただの忠告じゃなくて、何かしらの干渉だったとしたら——あんたのその後の選択にも影響が出る」
フリントは無意識に拳を握る。
確かにあの言葉は引っかかっていた。否定したつもりでもどこかで残り続けていた可能性はある。いや、今となれば可能性ではなく起点として断定しても良いだろう。
ただ、そうなれば前向きな考えも浮かんでくる。
「少なくとも、“あんたが負けるのが当然”って流れは本来のものじゃないかもしれない」
その一言に、フリントの胸の奥が静かに揺れる。
それは救いではない。だが決定的な何かが変わった感覚だった。
「ま、そんな未来を変える程の業がちょっと揺さぶられる発言で変えられたのは情けない話だけどね?」
「悪かったな……ちょっと揺さぶられただけで負けるやつで」
多少の和らぐ会話ののち、オルタディナは次の思考へと移った。
これまでの話を土台に今後の動きを組み立てていく。その様子はまるで自分も同じ時間を繰り返してきたかのように自然だった。
ただフリントには分からない事が一つあった。
「(……なんでだ)」
どうしてここまで踏み込めるのか? どうしてここまで自分のために思考を巡らせるのか?
理解できない。正直突拍子もない話でサラッと受け入れるのを果たして自身なら出来るだろうか?
繰り返す中でのオルタディナと言う存在は分からない部分が増していく。つまり、彼の中で彼女の存在が膨らんでいくのだ。
その気持ちに折り合いがつかない。
だが——。
「(……今考えても仕方ないか)」
深く考えるには遅すぎる。彼女の事情に踏み込むにはこの時間はあまりにも限られている。
そして何より。
「(……ここにいるこいつとは、もう)」
その先の言葉は、自然と途切れた。
口に出す必要もない。
分かっている。この時間は続かない。
赤短髪の少女はふと視線を戻し、軽く肩をすくめるようにして言った。
「一先ずは難しく考えないで」
その声音は先ほどまでの思考の鋭さとは違い、どこか柔らかさを含んでいた。
「最初のあんたに戻るつもりで動きなさい。そうね……初心に戻るくらいの意気込みで」
フリントはわずかに戸惑いながら頷く。
「あ、ああ……」
返事はするものの、その表情にはまだ迷いが残っていた。
彼女はその様子を見て、小さく息を吐く。
「最強に、なるんでしょ?」
「——っ!」
その言葉に彼の視線が揺れる。
最初に掲げていた目標。揺るがない意志のつもりだった。しかしその高みからいつしか心は離れていた。本当ならどんな事があっても迷わない為の筈の道標だった筈なのに。
背中を後押しする感覚がある。今一度、真の意味でやり直す機会のようなもの。
同じ事をシエラクロスにも聞かれた。その時は最悪な形で返答をして最悪な結末に終わってしまったが、今回抱くものは全く違っていた。
「……なれるのか? 俺が?」
その問いは弱さを隠そうともしないものだった。これまでの繰り返しが確実に彼の自信を削っていた。それでも金髪の少年の強さをずっと疑っていなかった彼女に改めて言われて消えていた火が灯りそうになる。
そんな不安定な少年を前にオルタディナは呆れたように溜息を吐いた。
だがその仕草に冷たさはない。
「ま、怖いのは分かるわ」
軽く肩を竦める。
「分かる、って言い切るのは違うかもしれないけど……それでも少しは想像できる」
フリントは何も言わない。
ただその言葉を受け止める。
「負けるのは怖い。特にあんたは、その“負けられない理由”を抱えてる」
沈黙。それでもオルタディナは続ける。
「それでも——」
わずかに間を置く。その間が妙に長く感じられた。
次の瞬間、彼女の手が伸びた。
「——!」
驚きを見せる少年の頬にそっと触れる。
優しく、不安を取り除き安心と言うものが心に流れ込んできそうなその触れてくる指先は温かく、どこかためらいを含んでいるようにも感じられた。
オルタディナの表情はどこか切なげだった。
何かを惜しむような、届かないものを見てしまったが、それでもそうせずにはいられない雰囲気がある。
ただそれを隠すようにかすかに笑みを浮かべている。
「……あんたが、しおらしいのは似合わない」
その言葉は軽く言ったようでいて重かった。
尚も続く言葉、それが彼女の本音であった。
「諦めたり、弱気なあんたは……らしくないって、私は思うわ」
「——っ」
フリント。フリントライズの中で何かが弾けた。
思い出す。これまでの時間。オルタディナと過ごした日々。ぶつかり合い、叩き込まれ、時に言葉で切り捨てられながらも、確かに積み重ねてきたもの。
あの時の視線。
あの時の言葉。
すべてが今ここに繋がっている。
少女は少しだけ視線を逸らし、そしてまた戻す。
「勝手かもしれないけど……これだけは言わせて?」
静かに、それでもはっきりと。
そして——。
「あんたは、最強よ」
断言だった。
迷いのない。揺るぎのない。
「負けるかもしれない。辛くて逃げ出したくなるかもしれない。泣くことだってあるかもしれない」
一つ一つ現実を並べる。
その上で。
「……オルタディナ」
金髪の少年が思わず名を呼ぶ。
だが彼女は言葉を止めない。
「でも——」
わずかに力がこもる。
「最後に諦めずに立ち上がるあんたが」
視線は、まっすぐで曇りが一切なく、疑う余地もないくらいに。
「最強だって、私は思うわ」
並べ上げたら数個、数十個でも出てきそうな要素を全て"最強"と言う一言に凝縮させたその言葉は小屋の静寂の中に深く沈んでいった。




