第五章 舞い散る火花⑩
翌朝、目を覚ましたフリントの意識は、ひどく鈍かった。
眠ったはずなのに、疲労が抜けていない。むしろ、余計に重くなっているような感覚さえある。まぶたの裏に残っているのは、昨夜の光景——シエラの表情と、自分の吐き捨てた言葉。
「(……最悪だな)」
小さく息を吐く。
寝付きは悪かった。何度も目が覚めた。眠りに落ちかけては、あのやり取りが頭に浮かび上がってきて、意識を引き戻される。それを繰り返しただけの夜だった。
身体を起こす。頭が重い。
だが、それ以上に、思考がまとまらない。
「(……結局、何も分かってねえ)」
あれだけ考えても、答えは出なかった。
シエラの言葉の意味も。あの態度の理由も。なぜ、あんな風に踏み込んできたのかも。
どれだけ考えても、理解できない。
「(……まあ、いい)」
無理に納得する必要はない。
それよりも、今は。
「(……少し落ち着いてきた、か)」
フリントは、ゆっくりと立ち上がりながら嘆息する。やり直した日から随分時間が経った——いや、腐らせていた。どうしたら良いかは未だに分からずにすらいる。
しかし、いつまでもこうしていても無駄な可能性の方がずっと高い。
とは言え、何かをするのも億劫だ。
ならば——。
「(どうなるか、見ておく)」
それが、今回の目的になる。
これまで経験していない分岐な筈。それを観測してどうなるかに絞っても今更問題ないだろう。
「(……本当に今更だよ、な)」
散々何もかも上手くいかなかった結果。足掻くのをやめた。結局シエラクロスが死ぬのを確定するのに、それらしい理由を付けて無駄じゃないことをしているくらいの逃げ道を残す。
そうでもしないと本当に全てを諦めてしまい兼ねない。
フリントは、扉に手をかける。
大丈夫。昨日とは違う。
そう言い聞かせてゆっくりと、外へ出るのだった。
⸻
昼。
廊下はやけに人が多かった。
行き交う生徒たち。雑談の声。足音。普段通りの光景。
「(……変わらねえな)」
一瞬だけ、そう思う。
この世界は、何事もなかったかのように動いている。
自分の中で何が起きていようと関係なく。
少年は人の流れに紛れながら、情報を拾おうとして耳を澄ます。
代表戦。選抜。そのあたりの単語を探す。
だが不意に——ざわめきの質が、変わる。
「……え?」
「マジで?」
小さな声が、連鎖するように広がる。
彼の足は止まる。
何かがおかしい。空気が明らかに違う。
何故か?
「シエラが……」
その名前が耳に入った瞬間だった。
思考が凍りつく中、誰かが呟いた。
「死んだって……」
時間が止まる。音が、遠ざかる。
「(……は?)」
意味が理解できない。
言葉は聞こえている。だが繋がらない。
「(……なんで?)」
おかしい。違う。
今じゃない。
「(……まだだろ?)」
タイムリミットはもっと先のはずだ。
決勝前のその直前。
それがこれまでのパターンだった。
「(……なんで、今?)」
身体が勝手に動く。
人の流れを無視して走る。全力で誰よりも最短で急ぐ。
誰かとぶつかり、声が後ろで何か言っているが聞こえない。構わない。
ただ、向かう。その中心へ。
⸻
現場はすぐに分かった。
人だかりとざわめき。
抑えきれない動揺がその場の空気に滲んでいる。
フリントはそれを無理やり押しのけるように進んだ。どけ、と。通せ、と言いながらかき分けて。
視界が開ける。
そして。
「——ッ」
そこに——いた。
シエラクロスが地面に横たわっていた。
動かないその場所を中心に血が広がっている。
「(……死んでいる)」
一目で分かる。
もう嫌と言う程に何度も見てきた。この光景を。
だが。
「(……違う)」
違和感が強く刺さる。
状況が。形跡が。
「(……おかしくないか?)」
周囲を見るが荒れた様子がない。ましてや戦闘の痕跡がなく地面も、壁も、壊れていない。
「(……揉めた形跡もなく、静か過ぎないか?)」
いつもならあるはずのものがない。
武器らしい武器も持たず争った形も何もかもがない。分かるのはただそこに倒れているだけ。
静かすぎた。異様なほどに。
「……これ」
誰かの声。
近くで誰かが呟く。
「……自殺……?」
その一言が空気を切り裂いた。
金髪の少年の思考が、完全に止まる。
「(……え?)」
理解が拒絶する。
だが、その可能性が一瞬で広がる。
戦闘の痕跡がない。外部の痕もない。
なら。
「(……自分で?)」
頭の中で、何かが崩れる。
「(……なんで?)」
理由。原因。
思い当たるものが一つだけ浮かんだ。
昨夜の会話。自分の言葉。
「(……まさか)」
呼吸が乱れ、心臓が強く打つ。
「(……俺のせいか? いや、違う)」
その疑念が膨れ上がって止まらないが、否定する。そんな単純な話じゃない。この世界はもっと歪んでいてもっと複雑だ。
だが——。
「(……でも)」
完全に切り離せない。
関係がないと言い切るにはあまりにも流れが良過ぎる。
「……っ」
喉が乾く。視界が揺れる。
「(……なんだよ、これ)」
これまでの前提が崩れる。
"誰かに殺される”そのルールがひっくり返り、その現実に更に押し潰されそうになる。
「(……違うのか?)」
シエラは死ぬ。それは変わらない。
だが、原因は固定じゃない。
他殺だけじゃなく、外部だけじゃない。
「(……どうすればいい)」
思考が再び迷宮に落ちる。
外を潰せばいいのか。内を守ればいいのか。どこまで介入すればいいのか。
「(……分かんねえ)」
ただ一つ、はっきりしたことがある。
「(……逃げ場がねえ)」
このやり直しは想像していたより遥かに深い。
そして。どこまでも逃がしてくれない。




