第五章 舞い散る火花②
朝は、来た。
だがそれは、回復を意味しなかった。
窓から差し込む光はいつもと変わらない。院内の朝のざわめきも、規則的な鐘の音も、すべてが昨日までと同じだ。
なのに一人だけ全く別の世界に取り残されてしまっていた。
「(……寝てねえな)」
フリントはベッドの上で、しばらく動けずにいた。
目は閉じていたはずなのに、眠った感覚が一切ない。ただ意識が途切れかけて、すぐに引き戻される。それを繰り返しただけだ。
身体は重く、頭は鈍い。
だが、それ以上に。
「(……くそっ)」
収まらない手の震えを見て舌打ちする姿はまだ恐怖が消えていない証拠。
夜の光景。血。オルタディナの声。
何度も頭の中で再生される。
「(……くそッ!)」
乱暴に起き上がる。
これ以上、考えていても何も進まない。むしろ、思考が引きずられていくだけだ。
「(整理しろ)」
自分に言い聞かせる。
今回の周回で起きたことを振り返る。
まずシエラは死んだ。場所は女子寮付近、オルタディナが現場付近にいた。が彼女は血に染まっていてそして——あの発言。
「(……あいつが関与してる可能性)」
そこまで考えて、思考が一瞬止まる。
「(……いや)」
首を振る。
まだ決めつけるな。証拠はない。ただの“結果”だけだ。
「(……でも)」
恐怖が、判断を歪ませる。理屈では否定できるはずなのに、身体がそれを拒否する。
「(……なら)」
彼は、ゆっくりと立ち上がった。
「(外から潰す)」
自分の中の感情じゃなく、外部の情報で固める。
それしかない。
⸻
中央都市。
アイシードから少し離れた場所にある、裏通り。昼間でも薄暗く、空気が淀んでいる。
フリントはその一角に足を踏み入れていた。
「(……相変わらずだな)」
人の気配はある。だが、表に出てこない。視線だけが、どこかからこちらを見ている。
その中心にいるのが——。
「……なんのようだ坊主?」
壁にもたれかかるように立っていた男が訝しげな表情をしながら値踏みしてくる。
クロウ・ヴァーディン。いつもの、やり直しの度に接触していて慣れしたんだ気だるげな笑み。だが、その目は笑っていない。
「便利屋だろ? 用なんて決まっている」
「珍しいな。こんな昼間から」
フリントは足を止める。
余計な前置きはしない。
「一つ、聞きたいことがある」
クロウが片眉を上げる。
「ほぉ? それは……」
「オルタディナ」
名前を出した瞬間、空気がわずかに変わる。ほんの一瞬だが、クロウの目の奥が動いた。
「……ああ、あの小娘か」
興味が薄れたような声。
だが、それは表面だけだ。
「で? それがどうした?」
「出自を知りたい」
短く、端的に。
彼はしばらくフリントを見ていた。
値踏みするように。
それから、軽く肩をすくめる。
「金になる話じゃねえが……まぁ、いい」
ゆっくりと、語り出す。
「有名な話じゃねえよ。表には出てこない類のもんだ」
路地裏の空気が、さらに静まる。
「捨て子だ。ただし名のある名家の育ち。どこかまでは分からないがな。最初に見た時の育ちの良さや身なりの綺麗さなのは直ぐに分かった」
その一言で、フリントはわずかに眉を動かす。
「深くは話さなかったが、分家の生まれで本家から縁を切られたようだ。更にそこから売り飛ばされ、奴隷の扱いを受けて丁度そこで俺が買い取った訳さ」
クロウは指先で煙草を転がす。
火はついていない。ただの癖だ。
「本家から見放され、両親からも見捨てられて孤独なあいつが知ったのは自らの才能だ」
フリントは黙って聞く。
「俺が教えてやったのは上手く他人と付き合う方法だ。目立てば疎まれる。弱さを見せ過ぎたら見限られる」
クロウの口元が、わずかに歪む。
「期待に応えるな。が、期待を裏切るな。そんな覚え方をして育って来た」
言葉は、淡々としていた。
感情はない。事実だけを並べている。
「そこそこな付き合い方を教えてたつもりだったんだがな……赤の他人の俺の言葉じゃ底に眠る根深い記憶まで変えられはしなかった」
「(……根深い記憶)」
フリントはあの別人みたいな少女の姿——いや、感情を思い出した。あれがもしかしたら根深い記憶の真実なのならば。
「アイシード? 実力主義みたいな機関に入ってありもしない持病で中途半端な成績を維持する必要があるのか?」
クロウは乾いた笑いをした。
その後に後悔しているかのような小声で自分を責めるように。
「あいつは誰よりも人の目が怖いんだよ。いつ自分が孤独になるのかに毎日な……」
視線を落とし、考える。
「(……人の目が怖い)」
その一文だけが、強く残る。
誰にも。親にも。家にも。
頭の中に、あの夜の言葉が蘇る。
『あなたを勝たせてあげれた』
『責任を取った』
『ケジメをつけた』
「(……あれは)」
胸の奥が、重くなる。理解したくなかった。
だが、繋がってしまう。
「だから——」
だから頼った自分の期待を裏切りたくなくて態度と言葉と行動がちぐはぐになってしまったのか、と前回の周回の記憶を辿る。
あれだけ気丈に振る舞って、弱さのカケラを微塵も見せなかった彼女が初めて見せた弱々しい謝罪や使命感に囚われたかのような行動。
そして愛おしそうに、或いは歪な感情さえも自身を見てくれていると狂った肯定感を全面に出してフリントライズの名前を呼ぶ姿。
あの時の自分の行動が彼女を壊してしまった結果。
「(俺は憎めないのか……)」
視線が、少しだけ遠くを見る。
シエラクロスを殺してまで関心を惹きつける行いは褒められたものではない。が、それを正さないで逃げた自身が結果だけを覗いて彼女を悪として見るのは違う。そんな考えが頭の隅にあり、どうにか折り合いを付けたいのに怖くて逃げた、なのだろう。
憎めないじゃない。憎む資格すらないのだ。
違うオルタディナの姿を別の中身だと誤魔化し、理由すら知らずに受け入れなかった。
結局何も知らなかった。ただ、どんな心境で受け入れたのかも知らないままに彼女に過度な責任を負わせてしまったのだ。
そんなの知っていれば苦労しないなんて我儘に入られはしない。
何故なら自分の置かれている状況を全く知らずに向こうは辛い過去を押し殺しながら助けているのだから。
言葉が、静かに積み重なる。
「今は楽しそうにやっているみたいだな? ま、俺に聞きに来るくらいだから多少はあいつに興味があるのだろうが——」
フリントの胸の奥に、鈍い感覚が生まれる。
鈍いじゃない締め付ける痛みだ。
「軽い気持ちであいつに踏み込むつもりならば止めた方が良い」
クロウは煙草をフリントの眼球に突き刺さんばかりに向けて重たく、覚悟を問うように言い放つ。
「お前だけじゃない。あいつも不幸になるぞ?」
フリントは答えない。
だが、想像はできる。
いや、既に不幸になってしまった。
あれがやり直せない現実として続くならば金髪の少年は生涯背負わなければならない罪悪感として生きていっただろうから。
「もう一回聞く」
クロウは煙草を深く吸い込み、白煙を天井に吐きながら。
「なんのようだ? 坊主?」
吐き捨てるように最初の問いに戻される。その言葉が、やけに重く響く。
それにフリントは——。
「(俺は最低だ……)」
フリントは、何も言えない。
「(何かの間違いを期待していた)」
もし、オルタディナが誰かに操られていたり別人に変わってしまっていたならば、自分が救われるかもしれないと割り切れていた。
しかし事実はどうだ?
彼女がああなってしまってシエラクロスを死なせる世界を作ってしまったのはどう考えてもフリントライズに他なかった。
「(間違っていたのは俺かよ……)」
奥歯を噛み締める。何とか犬歯で唇を噛んだ痛みに狂わないようにする。
「(何が腹立つって……これだけあいつを知ってもまだ怖くて仕方がねえ事だ)」
逆に向こうも悲痛な表情を浮かべた少年に対してどんな感情を抱いていたのだろうか?
今となっては知る由もない。
「どうなんだ?」
「俺は……ただ……」
静まり返る空間。フリントの頭では普段のオルタディナと壊れたオルタディナの姿が交互に過ぎり、ぐちゃぐちゃになりそうだった。
「ただあいつに……」
言葉を選ぶ。
だが、うまくまとまらない。
そして悩んだ挙句——。
「いや……なんでもねえ」
結局、それ以上は言えなかった。
クロウはそれ以上追及せずにフリントを見ている。
「なら、深入りすんなよ」
ぼそりと、言う。
「虫のいい話であいつを利用するな。話は以上だ」
フリントは、何も答えない。
ただ、その言葉を受け止める。
「(確かにそう……だよな)」
その表現が、妙にしっくりくる。
「(……じゃあどうすれば良いんだ?)」
逃げられない群青の少女の死の運命。そして繰り返される時間。歪めば歪む程に壊れていく世界の中で何が正解なのか?
もはや金髪の少年は大事なものを見失ってしまったとしか言いようがなかった。




