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第五章 舞い散る火花

 視界が、ゆっくりと戻ってくる。

 光。音。ざわめき。断片だった感覚が、一つに繋がっていく。

 ——学院、試合場。

 フリントライズは、その中央に立っていた。

 足元の白線。周囲を囲む観客席。耳に入り始める雑音。見覚えのある光景。


「(……また、ここか)」


 思考が遅れて追いつく。

 五度目の模擬戦。その開始前。時間が、戻っている。

 だが。


「——何ぼーっとしてるのよ? あっさり負けて実感がない訳?」


 声がかかる。

 横から。

 いつも通りの、少しだけ辛辣な口調で。


「寝ぼけてんじゃないわよ」


 覗き込む赤短髪の少女。オルタディナ。

 その名前を認識した瞬間だった。

 身体が、硬直する。


「(……っ)」


 呼吸が、浅くなる。心臓が、嫌なリズムで跳ねる。視界の端に、彼女の姿が映る。

 いつもの制服。血は、ついていない。

 当たり前だ。ここは“戻った直後”だ。

 何も起きていない。起きているはずがない。

 なのに。


「(……いる)」


 あの光景が、脳裏に焼き付いている。

 月明かり。赤く染まった服。"解放された”という言葉。

 そして——あの、笑い方。


「何よ、その顔」


 オルタディナが、眉をひそめる。


「私の顔に何かついているわけ?」


 いつも通りの口調。いつも通りの距離感。

 だが。フリントの中では、それが“異物”として響く。


「(違う)」


 同じじゃない。同じはずがない。


「(あれは……)」


 脳が、勝手に再生する。

 血。言葉。責任。ケジメ。


「(……こいつは)」


 目の前にいるのは、本当に同じ存在なのか。その疑念が、一瞬で全身を侵食する。


「ねえ、聞いてんの?」


 一歩、近づく。

 その動きだけで。フリントの身体が、反応する。


「——っ」


 無意識に後ずさり、距離を取る。

 赤短髪の少女が、わずかに目を細める。


「……は?」


 困惑。当然の反応だ。

 だが、フリントにはそれすら“演技”に見える。


「(近づいちゃダメだッ)」


 頭の中で、警鐘が鳴る。


「(来るなッ!)」


 身体が拒絶する。

 理由なんて関係ない。理屈なんてどうでもいい。ただ、“危険だ”と判断している。


「……何よ」


 オルタディナが、腕を組む。

 その顔には苛立ちが混じっていた。


「さっきからおかしいわよ、あんた」


 フリントは、何も言わない。

 言えない。喉が、動かない。

 言葉を出したら、何かが壊れる気がした。


「(無理だ)」


直視できない。

目を合わせることすら、できない。


「(ここにいられねえ)


 判断は一瞬だった。

 フリントは踵を返しそのまま、走り出す。


「――ちょっと!?」


 背後から声が飛ぶ。

 だが、止まらない。止まれない。

 観客のざわめきが一気に広がる。何が起きたのか分からない視線が突き刺さる。

 そんなものは、どうでもいい。

 ただ、離れる。

 あの存在から。


「(来るな……来るな……!)」


 頭の中で繰り返す。

 背後を振り返らない。

 振り返ったら、何かが終わる。そんな確信があった。

 廊下を駆け抜ける。足音が反響する。呼吸が荒れる。肺が焼けるように痛む。それでも、止まらない。

 ようやく、自室の前に辿り着く。

 ドアを乱暴に開け、中へ飛び込む。そのまま扉を閉めて鍵をかける。


「——はぁ……っ、は……っ」


 背中をドアに押し付ける。

 そのまま、ずるずると座り込む。

 心臓が、うるさい。耳の奥で、ドクドクと鳴り続けている。


「(……なんだよ、これ?)」


 息を整えようとする。

 だが、うまくいかない。

 呼吸が浅いまま、落ち着かない。


「(なんで、こんな……)」


 手を見る。

 震えている。止めようとしても、止まらない。


「(……違う)」


 自分は、もっと冷静だったはずだ。

 ループして、状況を整理して、最適解を探す。それができていた。

 今までは。


「(なんで……)」


 思い出す。

 あの夜。あの光景。あの言葉。


「解放された」

「責任を取った」

「ケジメをつけた」


「(……ふざけんな)」


 奥歯を噛み締める。理屈で考える。

 落ち着け。整理しろ。


「(状況は単純だ)」


 時間は戻った。事件はまだ起きていない。シエラクロスは生きている。オルタディナも——普通の状態だ。


「(なら、止められる)」


 いつも通りだ。やることは変わらない。

 張り込む。調べる。犯人を潰す。

 それだけだ。


「(……それだけなのに)」


 身体が、動かない。

 頭では分かっている。正解も見えている。

 なのに。


「(あいつが……)」


 彼女の顔が浮かぶ。

 血に染まった姿。あの、柔らかい声。あの、笑い。


「フリントライズ」


 名前を呼ぶ声が、耳に残っている。


「(無理だ)」


 あれは、ただの記憶じゃない。

 恐怖だ。理屈じゃ消えない。


「(……なんで、あいつなんだよ)」


 心の中で呟く。

 信頼していた。戦いを教えてくれた。背中を預けてもいいと思っていた。

 その相手が。


「(……あんな風になる)」


 理解が追いつかない。理由が分からない。

 だが。


「(また、ああなるかもしれない)」


 その確信だけは、消えない。

 未来は歪む。予想外の人物が群青の少女を死に追いやる。それはオルタディナが“そうなる”ルートも、存在していると言うこと。


「(……だったら)」


 考えが、止まる。

 その先を、思考が拒否する。


「……っ」


 頭を抱える。呼吸が乱れる。心臓がまた早くなる。


「(やめろッ!)」


 考えるな。

 今は。今は——。

 立ち上がる気力が、湧かない。そのまま、ベッドへ倒れ込む。身体が重い。まるで、全身に鉛が詰まっているようだった。

 天井を見る。何もない。白いだけの空間。

 それなのに。


「(……いる気がする)」


 誰かが。どこかに。そんな錯覚が、消えない。


「……は」


 乾いた笑いが、漏れる。

 自分でも分かっている。おかしいのは、自分だ。

 だが、それでも。


「(怖い)」


 その感情だけは、否定できない。

 目を閉じる。だが、すぐに開く。閉じた瞬間に、あの光景が浮かぶから。

 血。月明かりに反射するあの姿。


 ——解放された。


「(……やめろ)」


 布団を掴む。強く指が白くなるほど。

 震えが止まらない。寒くもないのに身体が小刻みに揺れる。


「(落ち着け……落ち着け……)」


 何度も繰り返す。

 だが、効果はない。時間だけが過ぎていく。

 外は、静かだ。何も起きていない。

 平和な夜。そのはずなのに。

 フリントの中だけが、崩れている。


「(……明日)」


 その言葉を考える。だが、その先が続かない。

 明日、どうする。また動くのか。また、関わるのか。あの“未来”に。


「(……無理だろ)」


 弱い声が、心の奥から漏れる。

 それを、否定する気力もない。

 ただ、震えながら。目を閉じることもできずにフリントは、そのまま夜をやり過ごすしかなかった。

 眠りは、訪れない。ただ、意識が擦り切れるように薄れていくだけ。

 そして何も解決しないまま。何も乗り越えられないまま。

 その一日は、静かに終わった。

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